第六十六話 若紫の訪れ 1
前話『第六十五話 稔という男7』の後半部分の文章が欠落していたので、2021.8.1 20:05に改稿しました。
改稿前に読まれた方は、前話に戻られてお読み下さいますようお願い致します。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
日曜は朝から客が来る。
稔が出す画集のモデルになる女は、学生か勤め人。
平日は午後の遅い時間に二時間ほどしか来られない。
今まで稔のところへ来ていた有閑を持て余したご婦人方のような女は、一人も居ない。
画集のモデルになる女が、初めて玄関に立つ姿を見た時、早苗は言い知れぬ焦燥をじりりと感じた。
行儀良く、脱いだコートを腕にかけて訪うその服は、セーラー服。
真っ黒い土間の中に映えて見える白い線と三角タイ。
顎の高さに切り揃えられた艶々しい黒髪。
寒さに染めた頬の色さえ、計算したものでもないのに、美しく思えた。
早苗はあえて何も言わずににっこりと笑うと、黙って相手が言うのを待った。
すると、その女学生は素直に、
「あの、私、藤村先生のモデルで参りました冨田と申します。叔父が編集をしている縁で、こちらに伺わせていただきました。」
と、まっすぐに早苗を見ながら挨拶をし、丁寧にお辞儀をした。
早苗は動揺を押し殺して、微笑みを浮かべると、
「ご丁寧にありがとうございます。わたしは藤村の家内でございます。主人が仕事部屋の方で来られるのを待っておりますわ。さあ、どうぞお上がり下さい。」
と、言って稔の所へ案内した。
まだ年若い娘たちをモデルにするため、襖は開けっ放しにして早苗は二人が見える場所で縫い物をしている。
互いに自己紹介をして、モデルとして頼む内容と、手間賃についての説明の会話が終わると、静かに鉛筆の音だけが聞こえ続けた。
今までのご婦人方は、間断なく稔からの会話を引き出そうと口を動かし続けていたが、女学生は黙って描かれていた。
途中、早苗が休憩時にお茶を出すと、ほっとしたように口にしていた。
そして、時間になれば簡単に挨拶をして帰って行く。
モデルとして来る女学生たちは、淡々と稔に描かれた後、帰る。
去年まで女学生だったという勤め人の女たちも、さして稔に絡まることもなく、言われたとおりに椅子に座り、決められた時間を過ごすと、さっさと帰って行った。
早苗が拍子抜けするほど、娘たちは稔に対して淡白だった。
何度か来る内に、稔に気を持ち始めるのかと、早苗は警戒していたが、まったくその気配すらなかった。
それも当たり前の事だと、早苗は気が付かなかった。
早苗にとって稔はいつまでもひとりの男であり続けるが、娘たちにとっては、父親より少し若い男性という恋心を抱くことがない対象だった。
ただ、二人きりで絵を描くのは流石によろしくないと思っている。
そこに絶えず早苗がそばにいることで、安心して、小遣い稼ぎが出来るということだけを娘たちは考えていた。
こうして稔が女学生たちをモデルに画集のための絵を描き続けることひと月弱。
早苗は誰にも言えない焦燥感に身を焦がし続けていた。
玄関先でモデルの娘たちを迎え入れるたびに、早苗は自分の髪と肌を触る。
年の割に綺麗な髪と肌だと思っていたが。
あくまでも、年の割に、というだけだ。
どう見ても三十路を越えた女の顔と髪だ。
首元にある皺も、娘たちには、無い。
どの娘たちも、はちきれんばかりの肌をしている。
皺など、どこにもない。
早苗は覚えず、首をさすった。




