第四十五話 火の守り番 7
早苗は焚き口には、豆の殻を下に入れ、その上に細めの薪を乗せた。
新聞に火をつけると、それを豆の殻に挿し込む。
ぱちぱちと音がして、あっという間に燃え上がった。
あとは順次薪を足すだけだ。
早苗は残った豆の殻を元の場所に戻した。
枝豆を食べた頃が、だいぶ昔に思えた。
「早苗さんは火が怖かった時は、ないの?」
唐突に珠代が風呂場から声を出した。
「さあ、考えた事がありません。」
「空襲で焼けたのを見なかったのかしら。」
「いえ、そんなことはないです。ただ、煮炊きをしないと。」
生きていけなかった。
空襲をぎりぎり免れた知り合いの家で貰った握り飯。
火にあたってはいなくても、空襲で燃えた煤の臭いが染み込んでいた。
焼け跡を食べて、その身に入れているようだったが、食べなければいけなかった。
次にいつ食べられるのか分からない白米。きっと混ざり物がないのは、煤けた米だから。
平時でも戦時でも、米の味は分かる。
早苗は風呂の焚き口を眺めた。
「そう。早苗さんは三月の空襲はご存知?」
「…深川に住む父と義母と、弟を亡くしました。」
「そう。私は本所で両親を目の前で亡くしたわ。あと、数えで五歳の子どもも。」
早苗は焚き口から腰を上げて、湯気の漏れ出る風呂場の小窓へ顔を近づけた。
「お子さん、居たんですか。」
珠代は湯船に首まで浸かりながら、早苗を見る事なく話し出した。
「ええ。空襲の時に、数えで五歳の男の子と、七歳の女の子が居たのよ。
その日は、夫の戦死公報が届いて、実家に子どもを連れて行ったの。それが三月九日の午後よ。
そのまま泊まって行くことになって。夜中に。」
ぱちゃん、と水音がする。
早苗は小窓を背にして寄りかかって聞いていた。
珠代の顔は見えない。
「ひどかったわ。逃げないで火を消せなんて無理だと分かった。
両親と子どもたちを連れて外に出たの。
逃げようとしてもだんだん、どこにも行けないって分かって。
遠くにあるはずの火がとても熱いの。
髪が焦げる感じがしたわ。
匂いなんかわからない。
全部上に風を作って登っていくの。
火の粉と一緒に。
川の向こうにいこうと、橋に行ったの。
小さな橋よ。
それが渡りきれない内に、両側からくる人で、動けなくなったの。
火が迫っていたの。
どうしていいか分からなかったわ。
だって、どこにも行けないのだもの。」
早苗は小窓から離れて、薪を焚き口に少し足した。
焚き口の蓋を閉めて、火が見えないようにした。




