第三十九話 火の守り番 1
師走の日暮れは早い。
御三時の後片付けをすれば、もう夜の準備を始めなければならない。
早苗は夕飯の支度の前に、畑の向こうにある久間木宅へと足を運んでいた。
時々、早苗たちは、久間木宅の風呂をいただく時がある。
普段は土間に大きい盥を出して、そこに竈で沸かした湯を入れて済ませたり、少し歩くが銭湯へ行ったりしている。
しかし、今日は豊子と珠代が居る。
事前に風呂を貸すと久間木も言っていたので、お礼とだいたいの時間を聞くために、早苗は久間木宅へと向かっている。
まだ日が沈みきっていないので、あたりは明るい。
日没前は風がおさまる。
風呂焚きをするなら、やらせて貰おうと早苗は思った。
早苗が久間木宅の玄関に着き、艶のある引き戸を開けると、広い三和土の方に久間木とその息子夫婦が沈んだ様子で立っていた。
普段はいかにも好々爺といった風情の久間木が難しい顔をしている。
「ごめんください。あの、どうかなさったんですか。」
早苗は引き返す事もできないと思い、声を掛けた。
すると、久間木の息子が顔を上げて、
「かつ子が誘拐されたようなんです。」
と言った。
早苗は驚いて言葉を失った。
「お前、誘拐なんて滅多なことを口にするものじゃありませんよ。ほら、ご覧なさい。早苗さんがびっくりしている。」
久間木が取りなすように言うと、久間木の息子は黙った。
「かつ子が遊びに出掛けた先の子どもが、さっき来ましてね。マフラーを忘れたからと届けてくれたんですよ。ところが、聞けばかつ子が帰ったのは、もう二時間近く前だったんです。」
「それで、かつ子の行きそうなお友達の家に電話をしてみたのに、誰もかつ子を見ていないって。いつも通りに出掛けて行ったので、遠くに行くお金も何も無いのに。」
久間木の話に、久間木の息子の嫁が割って入った。
「寿栄子さん、落ち着きなさいよ。敬蔵も誘拐だと騒ぐ前に、辺りをもう少し探してみようじゃないか。夜になっても見つからない時は、私が警察に届けよう。
こういう時こそ落ち着いて、考えて、行動なさい。」
久間木が決定を下すように言った。
早苗は、ぼうっとそれを見ていたが、はっとして言った。
「それなら、わたしも探しに行きます。」
目鼻のはっきりした久間木の息子、敬蔵がひどく困った顔で早苗を見て言った。
「そんな。今夜は稔さんが居られないというのに。面目が立たないです。」
「いいえ、大丈夫です。
今日は…その、ええと、し、知り合い。
知り合いが二人泊まりに来てくれているので、留守にはなりません。」
「ああ、珠代さんたちが来てましたね。それじゃあ、早苗さんと豊子さんにもお手伝い願いましょうか。
豊子さんも電車で来ているから、この辺の土地も多少は分かってるはずですからね。
珠代さんには、留守番をお願いしましょう。普段、歩いたことのない土地を歩き回っても迷子になるだけです。
私はこちらにいますから。後で珠代さんの方にも顔を出して来ます。」
家の奥で柱時計の鐘が、四回鳴った。
日暮れまであと三十分ほどだ。
急がなければ見通しが利かなくなる。
その時、玄関の引き戸が音を立てて開いた。
道具の入った箱を背負った、白髪頭の老人が立っていた。
「こんちは。羅宇の取り替えはどうですか。久間木さん。」
にこにこと細身の老人がのんびりと言った。
久間木の息子の嫁、寿栄子が嫌そうな顔をしたのを早苗は見た。
「お義父さん、今日は帰っていただいた方が。煙管の管の交換なんかしている場合じゃありませんよ。」
小声で寿栄子が久間木に言う。
しかし、久間木は表情を変えないまま、
「あの羅宇屋のオヤジはとかく噂話が大好きだ。
下手に断ると余計に話が膨らんで広まりますよ。
ここは私に任せて、かつ子を探しに行ってらっしゃい。」
と、小声で口早に寿栄子に言うと、
「どうぞ、どうぞ。新年を迎える前に来てくれてちょうど良かったですよ。
さあ、さあ、お上がりなさい。」
朗らかに言って、老人に座敷に上がるようにすすめながら、背中で早苗たちを追い立てるように、手を振った。




