第三十七話 雪の終わり 6
立春もとうに過ぎたある日。
早苗は名残り雪の中、仕立てた着物を届けに、客の家まで出掛けていた。
早苗の腕は、勤め先の女将が褒めるほどに上達していた。その生真面目さと段取りの良さ、そして手先の器用さが早苗のお針子としての働きにぴったりと合った。
そのため、ぽつりぽつりと早苗を名指しで言ってくる客も出るようになった。
この日はそういう客の一人に呼ばれた帰りだった。
その客は、先年に妻を亡くし、肌襦袢も併せてすべての着る物を注文するようになっていた。早苗を妻にとは言わないが、時々からかいを仕掛けてくる事もあった。
早苗は、客相手には愛想を良くしているので、まともに取り合わずにやんわりと言葉を返して、終いにしている。それを客も喜んでいるようだった。
その証拠に、届けに行く度に揶揄った詫び代だと言っては、出前を取り、昼を一緒にすることがお決まりのようになっている。
再婚する気にもまだなれないが、寂しさもあるのだろうと早苗は理解していた。
年は近いが、父と娘のようなやり取りばかりをしている。
そして、いつもの帰り道。
傘を閉じようかと空を見上げようとすると、人の行き交う通りの端に稔の姿が見えた。
傘を上にあげて早苗が手を振っても、稔はじっと早苗を見たまま動かなかった。
早苗は稔を見つめたまま、稔の正面まで歩いて行った。
稔は瞬きも忘れたように、早苗を見ていた。
早苗はどうしたのかと首を傾げると、稔の表情が急に険しくなった。
そして、唐突に稔が言った。
「その首はどうしたんだ。」
早苗は言われた事の意味が分からなかった。
「首?」
「赤い跡がある。」
「赤い?ああ、今朝起きたら虫に刺されていたところかしら。」
早苗が稔と会えた嬉しさで、ふふふと笑うと、稔が急に早苗の手を取って歩き出した。
早足でどんどん歩いていく。
稔と早苗では、六寸ほど身の丈の差がある。そこを斟酌せずに、稔は早苗を連れて、止まる事なく歩き続けていた。
早苗は傘を手にしたまま、訳が分からないままに、連れて行かれた。
着いた先は、早苗の住み込み先であり仮の親のように面倒を見てくれる勤め先の女将の所だった。
そして、女将の前に着くなり、稔は前置きもなく言った。
「早苗さんを嫁に下さい。」




