第三十五話 雪の終わり 4
「え、ど、どういう意味ですか。」
豊子は湯呑みを炬燵の上にある盆の中に置くと、急に立ち上がった。そして、火鉢に掛けられた薬缶を手に取ると、勢いよく急須に湯を入れ始めた。
「あら、男性が女性に迎えに行くって。そういう意味よね。早苗さん。」
珠代がわざとらしく、早苗に同意を求めた。早苗はそれに乗るのも癪だったが、背中を丸めて急須を持つ豊子を見て溜め息をついた。
「わたしもそう思います。豊子さんを嫁にしたいのだと。」
かちゃん、と急須の蓋が音を立てる。その蓋をぎゅうぎゅう押しながら、豊子は俯いていた。
早苗からも珠代からも、豊子の髪から覗く耳が真っ赤であるのが分かった。
ようやくかと、早苗は息を吐いた。
「豊子さんだって、稲川さんのこと嫌じゃないんでしょう。」
「あら、早苗さん、そこは好きなんでしょうと聞きましょうよ。」
「こんな唐変木の豊子さんがそこまで理解しているとは、思えませんから。」
「まあ、ひどいこと。豊子さんは唐変木なんかではないわよね。稲川さんのこと、お好きなんでしょう。ねえ。」
豊子は頬まで真っ赤になりながら、三人の湯呑みにお茶を注いだ。
少し手が震えている。
早苗は珠代を睨んだが、珠代はそれを微笑みで返し、豊子に言った。
「それで。稲川さんがそういう意味でお迎えに来られたら、どうなさるの?豊子さん。」
豊子は珠代に返事もしないまま、急須を流しへ片付けた後、のろのろと炬燵へ入った。
相変わらず顔は赤い。
「ねえ、豊子さん。稲川さんはいつそんな事を言っていたの?」
微笑みをたたえた珠代が聞いた。
肩に掛けているショールがふんわりと笑う珠代に似合っていた。
早苗は珠代に任せようと、湯呑みを啜った。
「もう師走も中頃よ。ダンスパーティーに行かないというには、ちょっと遅いわ。先月にはもう言われていたのではなくて?」
珠代が炬燵の中で豊子の方へ体を向けて言った。
その声が思いの外、優しい音を含んでいたせいか、豊子がぽつりぽつりと話し始めた。
「…ええと。その。稲川さんのお兄さんが亡くなられて。」
「ええ、そうなのね。」
「それで、初七日まで済ませて帰って来たんですけど。その。」
「ダンスパーティーには行けないと、言ったの?」
「はい。残念だけど、仕方ないですねって。それがひと月近く前で。その後…。」
「その後は、どうなさったの?」
「お店に一度だけ来て、中学生の子どもがいる男とは結婚出来るかって聞いてきたので、お店だったから、いいと思いますよって答えて…」
「それで?」
「…そしたら、お見送りの時に、迎えに行くから、と、い、言われて…」
豊子がたまりかねたように顔を両手で覆った。
豊子の真っ赤な耳を見ながら、豊子も豊子だが、稲川も稲川だ、と早苗は思った。
早苗が言った事をきちんと受け止めて稲川が行動したことは、良いだろう。
しかし、その行動が曖昧過ぎた。
指を咥えて見ているよりはいいが、豊子が分かっていなければ何の意味も無い。
「稲川さん、ダメねぇ。」
思わず口から出た。
早苗は脱力しながら、湯呑みを啜った。




