第三十二話 雪の終わり 1
「気をつけて行ってきて下さいね。」
「早苗も、ちゃんと戸締りするんだよ。」
「ええ、稔さんが心配するようなことは何もありませんよ。」
「仕事が終わったら真っ直ぐ帰るからね。」
「急ぎすぎて、事故に遭わないように気をつけてくださいね。」
雪も降り始める時節に、長い時間を玄関の軒下で見つめ合う二人。
稔は一晩留守にする。
明日には帰る。
コート姿に早苗の手編みのマフラーを巻いた稔は、早苗の頬が寒さで赤いことに気がついた。
そっと、頬に手をあてる。
「冷えてしまう前に、家に入りなさい。見ているから。」
「いえ、稔さんを見送ってから、中に入るわ。さあ、行って下さい。」
また、二人が見つめ合う。
少し雲が増えてきている。
風は無い。
静かな冬の朝。
鳥たちが食べ物を探す以外に、何も動かない。
しばらくして、遠くから車が近付く音がする。
塀の向こうで停まる。
エンジンの音が聞こえる。
早苗は気にせず、稔を見つめ続ける。
その視線に入ろうとする珠代。
「こんにちは。藤村先生。今夜は私が早苗さんと一緒におりますから、ご心配なく。」
珠代は、早苗の肩に手を置き、稔の顔を覗き込んだ。
温かそうなコートにふんわりとした手袋。
早苗の華奢な肩にその手袋がやけに映える。
にっこりと笑う珠代。
早苗は眉間に皺を寄せた。
稔は珠代に視線を合わせた後に、
「お願いしますね。」
おざなりではない、真剣な口振りで珠代に頼んだ。
早苗の手をもう一度、ぎゅっと握ると、帽子を被り、何度も振り返りながら、出掛けて行った。
早苗もその後ろ姿をじっと見送っていた。
「ほらほら、早苗さん。出征じゃありませんのよ。明日には帰って来られるのですから。」
早苗が目を合わせようともしないことに、全く頓着せずに珠代が言った。
「お昼には豊子さんも来ますからね。それまでにお洗濯、終わっていないと、私たちがやってしまいますわよ。」
にっこりと、珠代が笑うと、ようやく早苗が嫌そうな顔をして、珠代を見た。
珠代は更に目を細めた。
「さ、行きましょう。」
こらえきれない笑いを含んだ声で言った。




