第二十九話 虫追い 5
早苗は口を堅く結び、縁側から稲川を見下ろした。
稲川は、初めて見る早苗の勢いにしばらく呑まれたままだったが、だんだんと言われたことを理解したのか、神妙な顔つきになった。
稲川が、ぐっと両手を拳に握る。
稲川も豊子に対して思う事は色々ある。
最初は若い子だなと思っていただけだった。
不器用でも、要領が悪くても、豊子が豊子なりに出来る事を精一杯やって、客をもてなそうとしている姿を見るうちに、好ましいと思い始めていた。
客として、優しい関係のまま終わるのもいいと思うこともあった。
ただ、他の男に取られて終いになるのは、考えただけでも腹の底の具合が悪い。
稲川は、若くもない。
中学生の子どももいる。
その子どもにとっても、豊子にとっても、稲川の恋慕は邪魔でしかないように思う。
だが、そこに豊子からも好意があるのならば。
わずかでも、稲川の一方通行でないとしたら。
その僅かな望みにすがっても、いいだろうか。
共に暮らす女を、また望んでもいいだろうか。
だが。
亡き妻も忘れないままに、豊子の手をとってもいいのだろうか。
戦地で何度も思い浮かべた妻の顔と、赤ん坊。写真があったはずだが、復員する頃には、失くしていた。
だから、ずっと頭の中に残り続けている。
誰にも話すつもりはないが、きっと消えないだろう。
そんな思いを亡き妻に、ずっと抱いている男を初婚の豊子が受け入れてくれるのだろうか。
「オレは、豊子さんを望んでいいんだろうか…」
稲川は、眉間に皺を寄せながら、思わずといったように呟いた。
俯く稲川を真正面から見下ろしている早苗の耳に、その言葉が届くやいなや、早苗は躊躇うことなく言葉を返した。
「そんなの豊子さん本人に聞きなさいよ。ひとりで考えていたって、分かるわけがないでしょう。
あなたが豊子さんに言わない限り、豊子さんの答えが出るわけないじゃないの!」
早苗は更にいらいらとして言った。
「黙っていても分かるなんて、思わないでちょうだい!
待ち続けた女たちが、ずっとこのままでいるわけがないでしょう!」
男たちが兵隊にとられて居なくなっても、戦争が終わって、帰ってくるのを待っている間も、女たちだって生きていたのだ。
何も言わずにいた間も、女たちは考えて考えて生き続けていた。
どんなに辛くても、夜を越えて生きてきた。
いつだって、幸せになれる可能性があるのならば、それを掴もうと、女たちはみっともなく、もがいて生きている。
戦争の前も、戦争の間も、その後も。
いつだって、もがいている。




