第十九話 盛夏の祭り 7
初めて会った日に、軽い調子で揶揄われた程度だった。
それが何故、その日のうちに、襲われていたのか。
早苗にもよく分からない。
ただ、気がついたら男が早苗の上に覆い被さっていた。
きたきり雀でシラミの集る早苗のモンペ姿に何を欲情したのか。
早苗にはとんと分からなかった。
それでも稔の顔が頭を過れば、抵抗を始める。
僅かなもので、男にとってはただの山椒のような刺激であったとしても。
早苗はだんだんと腹が立ってきた。
稔が居ない。
戦争が無ければ。
召集が無ければ。
空襲が無ければ。
稔が一緒に居るはずなのに。
早苗は男の首に掛けられたままの、汚れきった手拭いを引きちぎる勢いで、男の首を力一杯絞めた。
死ねばいいと、思った。
この男も、
戦争を起こしたやつも、
稔を戦地へ送ったやつも、
街を焼いたやつも、
全部、
ぜんぶ、
死ねばいいと、
両手に力を込めた。
目の前の男が顔を歪めた。
醜い顔だった。
どす黒い顔色で、男が口を大きく開けて、舌を突き出している。
死ねばいいんだ。
両腕に力を込める。
めりめりっと小さな音がしたと思った途端に、汚れきった手ぬぐいが千切れた。
早苗は両手にそれぞれ千切れた手ぬぐいを握りしめたまま、拳を握って震えていた。
早苗はそれから、定期的に男の首を絞めるようになった。
男は首を絞められるたびに、早苗に金を払った。
醜い顔から唾液が落ちて来るのが耐えきれず、早苗は男の上に乗って首を絞めるようになった。
三回腕を叩かれたら、終わり。
それだけの行為だった。
最初の時ほどの勢いがないものの、毎回殺すつもりで早苗は首を絞めていた。
死んでもいい奴の首を絞めて何が悪い。
これで、高瀬家に食べ物を渡せる。
達郎もすみれも、死なせない。
早苗はそれだけしか考えていなかった。
しかし、他の目から見れば、それは逢い引きのようで、男との仲を周りは黙って見ていた。
早苗が戦争未亡人なのか、夫を待つ身なのか、誰も知らない。
ヤミ市に集まる人間に、早苗は稔のことを一切口にしなかった。
大事なものは、簡単に人の前に出してはいけない。
高瀬佳乃にだけは、そっと教えていた。
他の人間に、早苗は警戒心だけを抱いていた。
当時はまだ姦通罪があった。
夫以外との体の関係を持つと、処罰の対象になる。
実際に捕まった人を知らずとも、難癖をつけたい人間には充分な理由だった。
わざわざ、それだけを言いに、「夫がいたら大変なことだよ」と、早苗の所へくる人間も居た。
早苗はそれも聞き流した。
姦通罪に問われることは何もしていないし、そもそも稔がそばに居たら、こんなことをしていない。
高瀬親子とのささやかな生活と、時々殺意を込めて男の首を絞める生活。
それ以外は早苗の意識にはなかった。
稔が帰って来るまでは。
定期的な旦那寺での稔の両親とのやり取りで、ある日、稔が帰って来ることを知った。
その日から、早苗は再び、生きている。




