終幕
本日、更新2回目です。
ご注意下さい。
藤村稔と早苗の夫婦が亡くなった後、毎年の墓参りに佳乃と珠代と豊子は、揃ってやってきた。
久間木は、墓を自宅近くの寺に作った。
稔の両親も最初は何か言っていたが、黙らせることなど造作もなかった。
心中した息子夫婦の墓など、末娘の嫁ぎ先で世話になっている身の上では、引き受けることが億劫だと誰が見ても分かっていた。
毎年の梅雨の墓参りで、ある時、濡れた石で久間木が足を挫いた。
「もう十年近いのですもの。
少しくらい時期が早まっても、早苗さんも藤村先生も気にしませんわよ。」
のんびりと白玉を食べながら、珠代が言った翌年から、桜の頃の墓参りに変わった。
今日は、その墓参りの日だ。
ちょうど離れの桜の木が満開になった。
久間木は、息子の敬蔵に頼んでガラス戸を全て外してもらい、縁側に並んで花見が出来るようにしてもらった。
火鉢にかけた鉄瓶が、かたかたと音を立てている。
ケキョ
下手くそなウグイスが近くで鳴いた。
だらしなく、あぐらをかいた膝の上で久間木の煙草が煙る。
羅宇屋のじいさんを看取った後は、紙で巻いたタバコに変わった。
それなりに、年を取った。
久間木はぼんやりと桜の花を眺めている。
あの時、藤村夫妻が心中をしたと新聞記事に載らないように、久間木が手を伸ばした。
二人を偲ぶために、誰にも来てほしくなかった。
早苗と稔を偲ぶ時は、豊子も珠代もこの離れに泊まって行った。
「幽霊でもお化けでも、何でもいいから出てきてくれたらいいのに。」
「早苗さんなら、そんな嫌がらせはしなさそうですわね。残念ですわ。」
畳も襖も入れ直して、天井も張り替えた。
もう誰にも貸すつもりもなかったので、久間木がごろごろと昼寝をする場所になった。
押し入れにあった早苗を描いた稔の絵は、七回忌の法要が終わった後、地元の画家として小さな展覧会を開いてお披露目をした。
それを見つけた銀座の画廊店主が尽力して、とある美術館に寄贈されることになった。
久間木が動けば、政財界の人間に買わせて価値を釣り上げることも出来たが、長く保管と展示をしてくれる美術館を選んだ。
いつまで残るかは分からない。
それでも、少しでも多くの人に、藤村稔の名前と、早苗の姿を見て貰いたかった。
「ああ、いい天気ですねぇ。」
あと一時間もすれば、珠代が来るだろう。
豊子も泊まるらしいから、今夜は酒盛りをしよう。
さやさやと風が吹くたびに、ほこほことした桜が揺れる。
久間木は桜の下で髪を切られる稔と、懸命に髪を切る早苗の姿を思い出して、目を細めている。
二人が亡くなってから、久間木は息子夫婦と孫を以前よりも構うようになった。
その後に、また孫が一人増えて、可愛がり過ぎた結果、すっかりおじいちゃんっ子に育った。
今日はお墓参りとお客さんの相手があるから遊べないと言うと、
「おじいちゃん、嫌い!」
と怒鳴って、逃げて行ってしまった。
久間木は新しいタバコにマッチで火を着けると、満足そうに煙を吸った。
少し震える指先には、老人らしいシミが浮いている。
「ふっふっふ、嫌い…か」
祖父に甘えて、嫌いだと言えるほどの孫に育ったことに、久間木は安心していた。
早苗も稔も、口に出来なかった言葉だろう。
嫌われると思って、恐れてしまうようでは、絶対に言えない言葉だ。
「早苗さんにも、藤村さんにも、もう一度会いたいものですねぇ。」
亡くなった母と同じで、死んでからようやく素直に口に出せる。
久間木は己の傲慢さを恥じた。
言いたいことも言えずに、相手を支配していたなど。
「本当に、愚かですねぇ…」
久間木はまたぼんやりと、煙を吸った。
大きく、ため息と一緒に煙を吐いた。
風に流されて、あっという間に消える煙を眺めながら、久間木は稔と共に笑う早苗を思い出していた。
「償いのつもりではありませんが、死ぬまで覚えていますよ。
あとは、絵がどこまで残るか。
それまでは、あなたたちは消えていませんからね。」
好々爺とはかけ離れた、悪い笑みを浮かべると久間木はひとり愉快そうに笑った。
「あら、何を楽しそうにしていらっしゃるの?」
玄関前の方から、花の散らされた銀鼠の着物姿の珠代が現れた。
「なあに、藤村さんたちを思い出していただけですよ。」
「まあ、いやらしい。」
冗談めかした声で珠代が答えると、そのまま久間木の隣に座った。
ほのぼのとした春の光が縁側に並ぶ二人を照らしている。
「豊子さんももうすぐ着きますわ。」
「それじゃあ、そろそろ着替えましょうかねえ。」
久間木は珠代に灰皿を取ってもらうと、タバコの火を消してから立ち上がって座敷の方へ進んだ。
珠代はその背中を見送りながら、桜の木から聞こえるウグイスの鳴き声に耳を傾けていた。
障子を閉めて、久間木がもそもそと着替えている。
「むう…」
小さな唸り声を出して、久間木は障子越しに珠代に話しかけた。
「珠代さん、改めて考えたんですが。
あなた、太りましたねぇ。」
「ご自分が痩せられたからって、僻みは良くありませんわよ。」
「いや、それにしても、これは…」
久間木がまだごそごそと音を立てる。
「それに二十年前と比べられても。私だって多少は肥えますわよ。」
珠代が呆れたように障子の奥に向かって話した。
「あら、珠代さん、太ったんですか?」
「豊子さんほどじゃありませんわ。」
玄関の方から庭に入ってきた、紺色のワンピース姿の豊子が鞄を提げて珠代の隣に座った。
「子どもの面倒を見続けていると、体の蓄えがないと保ちませんからね!
その上、今度は清正くんの子どもが産まれるそうです。
義理の孫が出来るのは嬉しいけれど、赤ん坊の世話はした事がないから、不安ですよ〜」
「今からでも作ればいいじゃない。」
「無理ですよぉ。ここまで出来てないのに、今更出産と育児とか。無理ですよ。むーりー。」
ごろんと縁側に横になった豊子の頭の先から、障子を開けて久間木が出てきた。
「おや。豊子さんの方が肥えましたね。」
「久間木さんのばかぁ〜」
「はいはい、ばかで結構。
さあさ、墓参りに行きましょうか。
お寺で佳乃さんが待ってますよ。」
久間木は頼りなくなった腹回りを触りながら、縁側から玄関に周り、草履を履いた。
玄関から出る前に、暗い土間を振り返って見た。
何も造りを変えていない土間では、早苗が奥から出てきて煮炊きを始めても、なんの不思議もないように思えた。
久間木は、目元をゆるませると、
「もうすぐ行きますからね。
お邪魔させてくださいよ。
今度こそ、構い倒してみせますから。」
痛む胸を押さえながら、ぼそぼそと呟いた。
久間木は、暗い土間から敷居を跨いで、明るい桜の花の見える外へと歩き出した。
珠代と豊子が稔と早苗の話をしている。
「まるで二人が生きているみたいですねぇ。」
きっと早苗も稔も意外そうに思って、空から見ているだろう。
「あなたたちは、それだけ愛されていたんですよ。
今度こそ、伝えますからね。」
久間木は癖になった独り言をこぼしながら、珠代と豊子の方へ向かった。
桜の花びらが二枚、はらはらと風に舞って散った。
花見日和の午後のひととき、遠くでウグイスが鳴いた。
つがいを求めて。
長い物語を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
初めての長編ということもあり、不出来な点も多かったとは思います。
よろしければ、ご感想や評価(★)をいただければと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
心からの感謝を。




