第百七十八話 大雨の夜に 3
本日、2回目の更新です。
ご注意下さい。
滝のように雨が降っている。
爆音が早苗と稔を潰すように、鳴り続けている。
稔は、戦地の機関銃を思い出した。
指先に力が入る。
早苗は、ヤミ市で男の首を絞めていた時を思い出していた。
首を絞められた男は、醜かった。
大丈夫。
早苗の顔を、稔は見ることが出来ない。
どれほど醜悪になっても、大丈夫。
稔には、見えない。
まだ老いてしまう前の早苗だけを稔は覚えている。
早苗は初めての稔との行為を思い出していた。
あの時の痛みも、稔のために我慢した。
今も早苗は布団に爪を立てて、体にのしかかる稔の重さに耐えている。
この痛みも、稔のものになるためだと思えば、
なんでもない。
稔さん
みのるさん
愛してる愛してる愛してる
愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる 愛してる あいしてる
だから
あいして
わたしを
はなれないで
そばにいて
ことばだけで足りないなら
わたしをあげる
空襲ですべてをなくした
のこったのは
わたしのからだだけ
わたしはわたしのからだ だけ
それ以外は
なにもないの
だから
それをあげる
あげるから
わたしのものになって
わたしのだけのものになって
みのるさん みのるさん みのるさん
あたまがいたいの
いきが
できないの
くるしい
でも
このくるしみより
もっと
くるしかった
ずっと
わたしはひとりで
さみしかった
みのるさんがいてくれて
ほんとうにうれしかった
そらから
しねって
しらないひとから
ころされそうになったの
だれなの
みのるさんをうばったひとも
みのるさんがしんでいるかもしれないと
おもっていたとき
きづいたの
みのるさんが
だれかに
ころされるところに
いったんだって
わたしもころされそうになったの
わたしも
みのるさんも
しねばいいって
おもわれていたの
なんで?
なんでおかあさんは
わたしをすてたの?
なんで
おかみさんは
しんだの?
きびしかったけど
めんどうみがよかったのに
ねえ
なんで
ちちおやもままははも
おとうとたちも
しんだの?
たったひとばんで
おかあさんも
しんだ
みんな
みんな
しねばいいって
おもわれてしんだの?
いきていては
いけないの?
なんで
みんなへいきなの?
くるしくないの?
こわくないの?
わたしは
こわい
もういやだ
もう
いやだ
いや
ひとがしぬのは
いや
こわい
みのるさん
こわい
たすけて
たすけて
たすけて
たすけて
たすけて
たすけて くれるの?
やっぱり
みのるさんは
すごいひとだ
わたしののぞみを
かなえてくれる
わたしをあいしてころしてくれる
だれにも
うばわれないように
わたしをころして
みのるさんだけの
ものにしてくれる
ありがとう
もう苦しくない
ありがとう
稔さん
先にいくわ
待ってるから
ずっと
「愛してる、早苗」
息の止まった早苗の唇に、稔は最後の口付けをした。
きっと早苗の口紅が移っている。
見えないけれど、匂いがする。
早苗の匂いが消える前に。
稔は布団の下に、柄の部分だけを出しておいた出刃包丁を手探りで取ると、銃剣で敵を殺した時の感触や感覚を思い出しながら、首元に刃を立てた。
鮮血が、屏風と衝立に飛び散った。
赤い絵の具よりも、赤い色だった。
外では雨が降り続いている。
底が抜けたように、降り続ける雨の音が稔の最後の声も吐息も全て押し潰した。
朝になると、雨は止んでいた。
昨夜の雨の強さを物語るように、庭の紫陽花が幾つも折れて落ちていた。
明日、17時と18時に投稿予定。
完結します。




