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第百五十九話 久間木の回想 6


 引退前まで使っていた手下の人間の何人かは、畑仕事の手伝いをする人として家に招くようになった。


「妻も子どももいない上に、仕事もない。暇で死んでしまいますよ。」

「畑仕事になんぞ興味があるとは、意外でしたね。」

「戦中から畑を始めた人間なんぞたくさんいるでしょう。人としての(たしな)みですよ。」

「嗜みですか。それはいいですね。」


 藤村夫妻が住み始めて、最初の冬を迎える頃。


 久間木は庭の落ち葉を集めては、肥やし作りに精を出していた。

 手ぬぐいをかぶって久間木の隣で(ほうき)を動かしているのは、片目を失くした傷痍軍人だ。戦地で命だけは助かったが、雨が降ったりすると頭痛で身動きがとれなくなる。


 久間木はそれを踏まえた上で、使っていた。軍人になる前まで筆が達者だったのを見込んで、文書の偽造をさせていた。

 それなら体調の良い時だけやればいいと、復員後の焼け果てた自宅跡に立ち尽くす男に声をかけたのだった。


「まぁ、俺が畑仕事をし始めたのは、ここに来てからですがね。」

「あなたも適当ですねぇ。」

「変な仕事に巻き込まれると嘘が得意になりますから。」

「それはそれは大変でしたねぇ。」


 のんびりと久間木が返すと、男は片目を嫌そうに歪めた。


「なんでアンタみたいな胡散臭い人間が真っ当に隠居生活を送っているんだか。世の中おかしいなぁ。」

「ああ、それは同感ですね。」


 はっはっはと久間木が笑っていると、早苗が盆と薬缶を持って玄関から出てきた。


「おや、騒がしかったですかね。」

「いえ、もうすぐ三時ですから、お茶をすすめようと思いまして。」


 早苗はそう言ってにっこりと笑うが、少し顔が強張っている。


「わざわざすみませんね。桜の落ち葉は早苗さんが毎朝掃き出してまとめているから、気を遣わずとも。」

「いえ、お客様にお茶を出そうとしたら、漬け物など要らないと追い出されましたので。代わりに召し上がっていただけませんか?」


 早苗が近くにあった木製の踏み台の上に盆を置いた。盆の上には綺麗に盛り付けられた漬け物と梅干し、そして黒文字と空の湯呑みが収まっていた。


「ほほう。これは美味しそうですね。早苗さんの手作りですか。」

「ええ。あまり珍しいものではありませんが。」

「いえいえ、充分ですよ。ご馳走になります。」

「お気に召して良かったです。後で取りに来ますから、ここに置いといて下さい。」


 早苗はほっとしたように微笑むと、久間木たちに頭を下げて家に戻っていった。


 その後ろ姿が見えなくなってから、久間木が訊いた。


「今日の客は?」

「前に住んでいた大家の奥方ですね。」

「それは面倒な。」


 久間木は嘆息しながら、早苗の消えた方向を見た。


 藤村夫妻が急に引っ越しを迫られたのは、大家の嫉妬からだった。

 七十を過ぎてから迎えた四十過ぎの後家を猫可愛がりしていた大家は、何かと用事を作っては年下の女房が、店子の稔の所へ行くのが気に入らなかった。


 男としての役割を妻に果たせていない負い目を抱えた大家は、とにかく稔を追い出すことに執念を燃やした。近い場所への引っ越しを妨害し、遠い所へ藤村夫妻を追い出したのだった。


 その結果が、わざわざ()大家の妻が遠出をしてまでの新居への訪問だ。


 早苗の顔が強張るのも仕方のない事だと久間木は思った。そのついでに思いついた事を口にする。


「太郎は、人を使う事を覚えたのでしょうかね?」

「……御隠居さんよ。何を企んでらっしゃるんですかね。」

「企むだなんてとんでもない。ちょっとだけ、年老いた夫を持つ四十過ぎの女を(たぶら)かす人間を操るくらい、太郎にも出来るでしょうと思っただけですよ。」

「それを企みと言うと思いますけどね。」

「暇な隠居の身ですから。畑以外の作物にも手入れをしてみようと思っただけですよ。」

「あのご夫婦も可哀想に。」


 しみじみと男が言うのが面白くて、久間木はくつくつと笑った。




 久間木にとって、藤村夫妻は人形遊びのようなものだった。

 ざわざわとした感情は、思いがけない綺麗な夫婦雛を手に入れてしまった悦びによるものだろうと久間木は推察した。


 それならば、この美しい人形たちを手元で守り、そして存分に遊ぶことにしたのだった。






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[一言] ブラック足長おじさん( ˘ω˘ )
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