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第百五十四話 久間木の回想 1






 ようやく珠代を早苗と稔から離すことが出来た。




 珠代の乗った車両が、ゆっくりと駅から出て行くのを見送ってから、ほうっと息を吐いた久間木は、人混みへと歩みを進めた。


 早苗の嫉妬心を煽るために、珠代を投下してみたが、結果は久間木の予想を遥かに超えていた。


「まあ、()()()()()()ですからね。予想通りの予想外でしたよ。」


 人混みの中で黙ったまま隣を歩く男に、久間木はぽつりとこぼした。


「まぁ、あの珠代様ですからね。」


 くくく、と笑う男は久間木の配下のひとり。

 帽子に三揃いの背広姿は三十過ぎに見える。


 珠代も知らない男だ。

 だが、男は珠代も珠代の娘のことも知っている。


「太郎、お前まで(たぶら)かされてしまっていては困りますね。」

「いえいえ。滅相も無い。」

「私の後釜としてしっかり働いているのでしょうね?」

「後釜なんて恐れ多い。僕はただの公僕ですよ。」

「それなら尚更年寄りについていても仕方がないでしょう。」

「いえいえ。勉強になります。」

「年寄りの暇潰しに勉強出来るところなんてありませんよ。」


 久間木はとぼとぼと歩いて駅の改札口を越えて、人の往来に混ざる。

 その後ろを太郎と呼ばれた男がしばらくの間ついていたが、気が付くと姿が見えなくなっていた。





 久間木が戦前戦中と何をしていたのか。


 それは誰も知らない。


 分かることはその間に歯をすべて失くし、入れ歯になったことくらいだ。

 それ以外はすべて揃っているが、酷く印象が薄い。



 隠居してからは実年齢の久間木としての関わりも増えたが、それでも関わった人間には「好々爺」の印象しか残らない。


 目は垂れているのか、釣り上がっているのか。

 鼻は大きいのか、上を向いているのか。

 唇は厚いのか、薄いのか。

 久間木と会った直後に聞かれても、答えられる人間はいない。



 久間木が初対面の人間に対して、「好々爺」としての印象だけを残せるように、表情の操作をしているためだ。

 面白いほどに、人は最初に植え付けられた印象をそのまま引きずってくれる。


「好々爺」の印象を最初に与えると、久間木の本質に気付くまでに、かなりの年月を要するようだ。



 人は見えているものを見たいものに変えて認識している。

 最悪の事実よりも、受け入れやすい現実を捏造する。



 戦中の日本がいい例だ。


 大本営発表は、受け入れやすい情報を。

 それを鵜呑みにした方が精神的に具合の良い人間が多く、その誤った情報は正しい情報として、人々に浸透していった。

 しかし、それに騙されない人間も一定数いた。


 久間木はその騙されない側の人間に入っていた。

 正しくは、()()()()()()だったと言うべきだろうか。


 久間木の父親自体が軍属で、情報を取り扱う人間だった。

 久間木は、一介の市井の人として生きるつもりだったが、二年間の徴兵期間でどうも道を見誤ったらしい。気付けば父親と同じような立場になっていた。


 まあ、それはいい。


 久間木にとってはただの仕事だった。

 命を懸けるとか、使命感を持ってなど、微塵も思っていなかった。

 ただ活計(たつき)の為にこなすだけだった。


 それでもやれば、それなりにやりがいはあり、中々込み入った内容の仕事もこなした。

 だが、やはりただそれだけだった。


 終戦を迎えた混乱の中でも、日本の中枢となる人間は実際のところ、変わりはなかった。

 表立って名前が知れ渡っていない人間は、そのまま残るのだなと感慨も無く思った。そして、当然のように久間木も残った人間だった。


 敗戦国の日本が、戦争に負けたからといって国民と国土が消滅するわけでもない。敗戦国は敗戦国として、国として機能させなければならない。

 その為には、金が必要だ。


 国の維持には金がかかる。


 尤も、敗戦という状況の中で、淡々と動いている人間は少なかった。己の身を守るため、財を成すため、重篤な国の内臓まで引きずり出すような酸鼻を極めた行いが身分年齢性別問わず行われていた。


 その地獄の中で、金塊を隠匿したまま殺された男の妻に会った。


 それが珠代だ。


 地獄と化した中で、不安に思うのでも無く、私利私欲に身を堕としもせずに、清澄な目で生きていた。


 簡単な身辺調査も済ませていたが、その目が気に入ったので、久間木の元で使うことに決めた。









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[一言] 恐ろしいお人や( ˘ω˘ )
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