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第百五十話 珠代の回想 5

「肖像画?」


 思いがけない依頼に珠代が珍しく惚けた顔になった。


「ふっふっふ。またあなたを驚かすことが出来たようですね。」


 久間木は満足そうに笑うと、煙管(キセル)を珠代に向けた。


「そう。あなたは、私の店子である藤村稔に肖像画を依頼する。

 その男が、あなたの夫が亡くなる前に、会っているはずです。絵を描いて貰っている間に聞いてみなさい。」

「ふじむら、みのる…」

「あなたが求める情報をどこまで知っているのか。ほんの僅かかもしれない。

 自分の店子について調べたら、あなたの夫と関わりがあると分かりましたのでね。

 一応、ちゃんと取引は守るのが信条です。」


 久間木はそう言うと黙った。


 珠代も黙って桜の花を眺めた。


 鳥の声よりも、子どもたちが騒ぐ声が響いている。

 花を見たまま、珠代が言った。 


「それは、他に私に頼みたい事があるのでしょう?」


 上を向く珠代の白い肌に、桜の花から溢れた光があたる。

 ちらちらと動く影の中、珠代はじっと久間木を見返した。

 久間木は音を立てずに笑うと、小さく頷いた。


「私の可愛い夫婦雛(めおとびな)に、ちょっと刺激を与えて欲しいのですよ。」

「夫婦雛?」

「そう。かわいいかわいい(つい)のお人形さんたちが、余りに平穏すぎて、ちょっかいを出したくなったのですよ。」


 久間木の言う人形のひとつは、おそらく画家の藤村稔。

 そして、その妻までが、久間木のお人形さんに数えられている。


「…あなたが、久間木さんが、隠遁生活に入ったのは、お人形で遊ぶためでしたのね。」

「珠代さんは察しが良すぎる。だから、首に紐をつけておかないと、余計なことをしそうでねぇ。」

「私は、藤村稔から話を聞く。ただ、それを奥様には内緒にする。それだけでいいんですの?」

「ええ。それだけで。」


 久間木が嬉しそうに頷くのを見て、珠代はまだ見ぬ藤村夫妻を気の毒に思った。


 久間木に気に入られてしまっては、逃げる事は出来ない。

 どんな状態で飼い殺すつもりでいるのか。

 関わりのない相手なので、助けるつもりもないが。


「まあ、それと桜を見て思い出したのもあるんですがね。」

「桜が、何か?」

「藤村家の庭にある桜は、私の父が先に亡くなった母を思って植えたのですよ。

 なんだか、その夫婦間の執着が珠代さんを思い出させてましてね。」

「なんだか言葉に(トゲ)を感じますわね。」

「はっはっは。そんなことはありませんよ。

 私には理解できないけれど、羨ましいと思っているのかもしれませんね。」


 久間木は頭を軽く撫でると、「すっかり薄くなってしまった」とぼやいた。



 この花見の後、珠代は久間木の知り合いからの紹介という形式で、藤村家を訪れた。



 そこにいたのは、亡くなったと思っていた娘のかなえと一字違いの早苗。


 珠代は久間木の依頼を守りつつ、早苗にちょっかいを出すことを唯一の楽しみにしていった。




「ふふふ。久間木さんの気持ちも分かってしまうのも、難儀ね。」


 藤村家の帰りの車中で、珠代は幸せそうに笑った。





 少しつつけば、猫をかぶったままに嫌悪感を隠そうとしない早苗と、裏表のない豊子との他愛のない日々は楽しかった。

 早苗の嫉妬心を煽るような行動を珠代に期待していた久間木は、予想外の交流を続ける様を見て苦笑していた。


「まあ、珠代さんですからねぇ。」


 渋柿をモンペ姿で採り始めた時は、さすがの久間木も言葉を失くしていた。


 珠代は愉快そうに笑うだけだ。





 実際、愉快としか言いようがない。


 薪をくべて、料理をして、豊子の恋の話をして、甘い菓子を食べる。

 夢にも思わなかった平穏な生活を珠代は心から楽しんだ。



 こんな日々がずっと続けばいい。



 そう思うようになった冬の日に、終わりが知らされた。



「かつ子ちゃんは、誘拐されたの?」



 寒空の中、早苗と豊子が帰ってこないかつ子を探しに出て行った後、珠代が一人で留守番をする藤村家の家へ、久間木がやって来た。


「ええ。先ほど羅宇屋(らうや)の親父が来ましてね。かつ子を誘い出して拐かそうとしていたようです。

 まあ、その前に相手は捕まえましたが。」


 久間木は羅宇屋に付け替えて貰った竹菅(ちくかん)を撫でながら、珠代に答えた。






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― 新着の感想 ―
[一言] そういうことだったのか……!( ˘ω˘ )
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