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第百三十二話 男たちの酒宴 3

 稔は静かに竹中に答えた。


「そう。」


 竹中は動じる気配の無い稔に代わって、驚いた顔をした。


「そうって。危ないですよ。何するか分からない人だって、分かっているじゃないですか。」

「それでも大事にしないように示談にしたんだ。何処かで会うこともあるだろう。」


 稔はすいっと盃を干す。


「…それでも気を付けて下さいよ。さっき、お手洗いに行ったら、ここの階段下の席に居たんです。」

「後で俺も手洗いに行って階段下を見てみるよ。様子がおかしいなら、気をつける。」


 酔いも動揺も見せない稔に気圧された竹中は、ぎこちなく頷くと席を離れた。






 竹中に答えた通り、稔はその後、手洗いに向かった。


 階段下の座席を隈なく見たが、女の姿はなかった。どの席もサラリーマンたちが連れ立って呑んでいるだけだった。


 稔は義理は果たしたとばかりに、手洗いへ行くとそのまま女のことは忘れた。

 そして、手洗いを出て宴会場のある二階へ向かうため、階段を上がろうとした所で気が付いた。


 見知った男が居る。


 稔は自分の見たものが信じられなかった。


 確か、その男の居た所はソ連兵に強襲されて、シベリアに連れ去られたと聞いていた。


 もう一度会えれば言ってやらなければならないと思っていた相手だった。



 ーーー水谷、お前の踊りと唄は大したものだ。



 その一言を素直に、あの時に言っておけば良かったと、後になって何度も思った。


 その相手が、そこにいる。


 階段脇で立ちつくして、じっと見ている姿が目立ったのか、水谷たちのいる席の男の何人かが稔の方を振り返った。


 そして、水谷と思しき男が稔を見た。


「……藤村?」


 稔は坊主頭でもない七三分けが出来るくらいに伸びた髪の水谷に、破顔した。


「水谷、久しぶりだな。」






 稔は、水谷にこれから店を移るが、一緒に呑まないかと誘われ、一も二もなく了承した。


 稔が宴会場へ戻ると、何人かが酔い潰れ始めていた。


「あ、藤村先生!

 すみません!ワタシの力及ばずっ。

 このままお開きにになります!最後の締めを部長が行いますので、御着席下さい!」


 先ほどより、更に酔いが回った編集部員に促され、稔は席に着いた。竹中の隣に座り、


「行ってみたけど、いなかったよ。」


と囁くと、ほっとしたように竹中は頷いた。





 部長の宴会を締める言葉も終わり、編集部員たちは三三五五に連れ立って店を出て行く。


 稔も冨田や竹中に二軒目を誘われたが、階下に知り合いが居た事を話し、断りをいれた。


「ああ、竹中くん、一冊貰っていいかな?」


 稔は竹中の鞄を指差し、自分の画集をねだった。


「破損部分ありますけど、いいんですか?」

「構わないよ。だいたいが分かればいいんだ。俺が兵隊の頃に絵を描いていた事を知ってる奴だから、見せてやりたいだけなんだ。」


 それならどうぞと竹中が差し出した本を稔は満面の笑みで受け取り、店先まで一緒に歩いて出た。

 冨田は二軒目に行けば酔い潰れそうな状態で、竹中の肩に腕を回しながら歩いていた。


 稔は気になったので、そっと画集で口元を覆うようにして、竹中に囁いた。


「……冨田さんの姪っ子さんとはどうなったんだい?」


 竹中は苦虫を噛み潰したような顔になると、


「……菜津水ちゃんを誘ったら、冨田さんも一緒に来ました。」


と答えた。


 稔は思わず吹き出すと、竹中の顔を見て慌てて謝った。


「それは、大変だったね。」

「今度は妹に土下座してでも着いてきて貰います。明日花ちゃんと妹の方が数倍マシです。」


 仏頂面の竹中を見て、稔は破顔して「頑張れよ」と言った。




 最後に店の外にいた編集部の人々に挨拶をしてから、もう一度店内に戻ると、稔は水谷の席へ近づいて行った。







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― 新着の感想 ―
[一言] 何だろう、そこはかとなく嫌な予感がする( ˘ω˘ )
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