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第百三十一話 男たちの酒宴 2

「それでは、藤村先生の画集が重版になりましたことを祝しまして、かんぱぁい!」


 何度目か分からない乾杯の声を冨田が挙げる。

 竹中は顔を真っ赤にしながらも、「冨田さん、もう送っていきませんからね!」と、素面じみたことを言っている。


 稔は出版社の面々から盃を受けながらも乱れることなく、すいっと一口で飲み続けていた。


「いやぁ、本当にお強いですな!兵隊の頃は酒豪で鳴らしたワタシですが、まったく敵いません!」


 初めて顔を合わせた編集部員も稔の鯨飲っぷりに舌を巻く。


「酒は好きですよ。ただ、最近は飲み過ぎているので、焼酎を出されます。」

「焼酎より酒の方が上等でしょう!さあ、今夜は飲んでください!」


「いえ、そろそろ社長さんがお開きにしたいようですが…」

「ええっ?!藤村先生、全然酔われてないじゃないですか!

 分かりました!ワタシが、社長に言ってきます!主賓の藤村先生がまだ呑み足りていないのに、お開きにするとは何事か!」


 顔を真っ赤にしながら、初対面の編集部員はネクタイを緩めながら、勢いよく立ち上がり、「しゃちょおー!」と叫びながら席を離れていった。


 稔はそれを苦笑して見送りながら、手酌で酒を注いで呑んだ。


 社長からは労いの声を最初に貰っていた。

 今回、稔に支援者の曾根崎がついたことも含めて、充分な成果だったと満足気に笑っていた。


 画集の重版もありがたいが、これで第二弾第三弾の画家を打ち出せることが判断出来たことが一番の成果だと社長は言っていた。

 何よりも、一番最初に我が社が成功を収めたという実績が欲しかったと言われ、知らぬ内に重責を背負わされていた事を稔は知った。


 それも伏せられていた事であり、充分な成果と言われれば気にする必要もないだろう。


 稔の頭の中は、今手掛けている百号の大作のことでいっぱいだった。


 早苗の身の丈よりも大きな画面いっぱいに稔の筆で絵を(えが)く。


 その絵を大きな公募展に出す予定ではあるが、それよりも初めて描く大きさに稔は期待が高まっていた。


 自分の絵として、どこまで描けるか。


 今まで女の絵を描き続けていた自分の中にどれほどの伸び代があるのか。


 若い画学生達に比べれば、稔の伸び代など多寡が知れている。


 それでも、戦地から持ち帰れなかったあいつらの何かを書き留められるなら、それだけで意味がある。


 稔は泊まり込んで絵を描くことを考え始めていた。

 早苗も早く家を引っ越す準備をしてくれればいいのだが、未だに片付けることもしない。


 このままでは別居のようになってしまうと、稔は心配していた。


 今日も出掛ける前に引っ越しの話を早苗にしていたが、首を縦に振ることはなかった。


「久間木さんに言って、二年間空き家でも借りたままにさせて貰えれば、早苗も引っ越してくれるかい?」


 そう聞いても早苗は曖昧に首を振るだけだった。そして、


「もしダメだったら、引っ越すわ。」


とだけ答えた。


 何がダメだったらなのか、分からないが稔は早苗の気持ちがそれで落ち着くならと頷いておいた。


 早苗に楽をさせてやりたいが、早苗はあえて苦労を選ぶような様子を見せる。そばにいて欲しいのは稔も同じだからこそ、引っ越して欲しいのだが。


 ふうっとため息をついて、稔は急に思い出した。


「……早苗を描いていない。」


 展示会の絵を描き始めてからずっと早苗をモデルに絵を描いていなかった。半年以上も長い間描かなかったことは、今までなかった。


 稔は血の気が引いた。


 早苗が怒っているのは、このことか?それなら、言ってくれれば描いた。いや、そんなことを稔が言えば早苗が怒るに決まっている。


 稔は頭を抱えた。


 どうやってさりげなく早苗を描くか。


 百号の中に描き込む予定はなかった。


 早苗をモデルにすれば良かったと今更ながら稔は後悔した。


 宴席で稔以外が酔っ払って座が乱れ始めた時、手洗いから帰ってきた竹中が稔の横に座った。


 そして言った。


「画廊で刃物を振り回していた、あの伊東さんをさっき見かけました。」








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