第百九話 明日花という女 2
空襲の日、父は仕入れのために泊まりがけで出掛けていて、無事だった。
父からは母が亡くなったということだけの内容の手紙。
それからはずっと、手紙も電話も無かった。
周りは連絡を寄越さない父を非難していたが、母の死に泣き続けていた明日花には分かった。
何も言葉が出ないのだ。
戦争で、空襲で死んだ人間はたくさんいる。
それはよくある事だと言われるだろう。
この国の人なら、それは甘んじて受け入れろと言われるのだろう。
そんな人たちの中で、父は母のことを語りたくないのだ。
ーーーお前らに何が分かる。
それは父の無言の抵抗だった。
明日花も泣く以外で、母のことを人に話したりしなかった。
空襲で人が死ぬのがよくある事だと言われても、明日花は母の死はよくある事だと言われたくなかった。
だから、黙っていた。
父も同じだと思った。
終戦になっても、死んだ人たちはよくある事のように扱われて、明日花は黙り続けた。
自分の心を守るために。
だから、疎開先から帰って、粗末な仏壇の前で父と一晩中泣き明かしてから、ずっと父以外の人に母の事を話したことはない。
踏みにじられるから。
大事な大事な母との記憶を「よくある事」として、取り扱われたくなかったから。
父の得意料理のふかし芋を食べながら、明日花はひとり留守番の時、泣きながら母の死を悼んだ。
母のいない生活は、いつの間にか慣れてしまうものらしい。
父は事業のために、明日花は学校と家事のために、懸命に日々と戦っていた。
戦後の方が、明日花にとって戦いの日々だった。
それがだんだんと風船から空気が抜けるように、ぬるま湯のような生活になったのは、中学生の頃。
父の事業拡大に伴った今の家への引っ越し。お手伝いさんの雇い入れ。
家事をする必要の無くなった明日花は、ぼんやりと日々を過ごした。
父が継母を連れてきたのも、お手伝いさんたちや家の中を動かす人が欲しかったのだろうと、関心もなく受け入れた。
継母が母に全く似ていない顔だったので、新しいお手伝いさんくらいの気持ちだった。
「おかあさま」と呼んだことは一度もない。
それに家は広く、人がひとり増えたところで変化はなかった。
ぼんやりと学校生活を送っていたが、友だちを家に呼んだ時、違和感に気が付いた。
継母が見張るようにいるのだ。
最初は応接間でお茶を飲んでいたが、何故かお手伝いさんではなく、継母が全て運んでくる。
自室に呼べば、何故か庭先にいる。
友だちが帰った後に、レコードをかけたまま、庭へ行くとレコードの音が一番良く聴き取れる場所が継母のいた位置だった。
何かが、明日花の中で警鐘を鳴らした。
それから明日花は、友だちを家に呼ばなくなった。




