表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/182

第百七話 咲き誇る花に蜂 8

 


 冨田からの連絡で駆け付けた伊東明日花の友人である冨田の姪は、ずっと明日花の手を握っていた。


 稔が最初のモデルとして描いた時よりも、少し大人びて見えた。


 この頃の娘たちの成長と変化は数ヶ月単位で起こることに、稔は初めて気が付いた。


 早苗の変化の様子を所帯を持った頃に見ていたはずなのに、嫁になったからだと、見逃してしまっていた。そして、すぐに離れてしまった。

 稔は早苗との時間への喪失感を改めて感じていた。






「明日花、大丈夫?お父さんは来ないの?」

「きっとこっちには来ないわ。警察へ行って、事件にならないように動く方が大事だもの。」


「そんなことないわよ。きっと心配してるわ。ああ、でも家には誰もいないのよね。…ウチに泊まりに来て!一人にさせられないもの。」

「お手伝いさんがいるわ。」


「ダメよ。夜にはみんな帰ってしまうのでしょう?」

「そうね。でも仕方ないから。」


 動揺したまま明日花に声を掛ける冨田の姪に比べて、明日花はどこまでも冷静だった。


 その様子を見ていた冨田が姪の方をぽんぽんと叩き、


「オレもそう思うよ。送るから一緒に行こうか。」


と言った。


 竹中は警察へ行き、状況の説明と今後の対応について聞いてくるとのことだった。


 稔は画廊店主と相談して、出来る限り穏便に済ませる方向で取り扱うことに決めた。


 まだ展示会の会期は残っている。


 刃傷沙汰で悪影響が出るのは避けたい。


 稔は傷つけられなかった羽織と着物に触れてほっと息を吐いた。






 画廊の周りはいつも通りに人が流れていた。


 稔は人の流れを見ながら、帰りにあんぱんを買って、それを食べながら早苗に話そうと思った。


 何処までも、稔には女が取り憑いていた。


 早苗への愛情を目で見せてやれればいいのに、とビルの上の空を眺めながら稔は思った。





 日が暮れた藤村家に、車が一台。


 三揃いの背広姿の男が二人。


 静かに塀の外で車を降りると、玄関で(おとない)の声を掛けた。






 稔が帰宅すると、早苗は二枚の名刺を差し出して言った。


「今日、銀座の画廊で、伊東さんに刺されそうになったそうね。」


 視線は名刺の方に固定されて、稔の顔を見ようとしなかった。


 僅かに、名刺を持つ手が震えている。


 早苗を抱きしめると稔は言った。


「大丈夫だ。竹中くんと冨田さんが助けてくれた。傷はひとつもついてない。着物も切られていない。大丈夫だ。」


 稔がゆっくりと早苗に話すと、早苗は声をあげて抱きついた。


「稔さん!稔さん!守ってあげられなくてごめんなさい!わたしが離れてしまっている間に…」


 早苗は言葉を失くし、ただ声をあげて泣いた。

 稔は早苗を抱きしめて、背中を何度も何度もさすった。


 稔は自身の体に刃物を向けられた時よりも、早苗が泣く方が辛かった。


「大丈夫。怪我はないよ。

 それに、事件にしないで終わらせるつもりだ。逆恨みも怖いし、この名刺の人たちだって、その為に来たんだろう?」


「…ええ、示談にして欲しいって。」


 鼻声で早苗は答える。


 稔は胸元に早苗の顔を押しつぶすように抱きしめると、頭頂部に口付けを落とした。


「そうだろうね。画廊にも来たよ。俺たちも大きな事にはしたくないから、示談で済ませようと思う。

 早苗、怖かったろう。急に知らない男たちが来て。」


「…怖かったのは、そんなことじゃないわ。稔さんが斬られたかもしれないと思ったら、もう」


 震えながら話す早苗に、稔は申し訳ない思いと、それに優る愛おしさを感じていた。


 早苗は違う。


 早苗だけは違う。


 稔をここまで愛してくれるのは、早苗だけだ。


 稔は早苗の艶やかな髪を撫でて、そっと耳へ口付けた。


 ふたりは抱き合ったまま、葉桜の梢が風に鳴る音を聴いていた。



 稔の買ってきたあんぱんを食べる早苗の目は腫れていて、何度も稔に頬を撫でられながら、ぱくりぱくりと食べていた。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] >稔の買ってきたあんぱんを食べる早苗の目は腫れていて、何度も稔に頬を撫でられながら、ぱくりぱくりと食べていた。 可愛い( ˘ω˘ )
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ