第百四話 咲き誇る花に蜂 5
出版社による展示会ということもあり、関係者の来訪も重なった初日の画廊は盛況だった。
早苗は裏方で、茶の用意をしたり、注文された画集の数を揃えたりと、稔と話す余裕も無く、一日を終えた。
早苗の目の前で稔の画集がどんどんと売れていくのは、思いがけず心が弾んだ。
今までは注文があってからの作品制作だったが、初見でも稔の絵は評価をされるのだと思え、早苗は稔の感性の素晴らしさに改めて惚れ直した。
そんな風に早苗にとっても楽しい一日ではあったが、高揚感と共に体の疲れを覚えていた。
夕飯の支度を出掛け前に整えて来たが、画廊店主と出版社の人たちの意向で銀座で食べて帰ることになった。
早苗は外で食べることに慣れていないからと固辞をしたが、行きつけの簡単な洋食屋だと言われ、渋々ながら稔と行くことにした。
店に着いてみると、畏まった店ではなく、仕事帰りのサラリーマンたちが談笑しているような気の置けない洋食屋で、早苗はようやくほっと息をついて体を椅子に預けた。
料理が届くまでの間、画廊店主と稔の会話は弾んでいた。
「藤村さんの絵は、雑誌の挿絵で何度か拝見しておりましたが、油絵になると趣が格段に違いますね。」
「そう言っていただけるとありがたいです。」
「私も再来年には還暦になりますが、なんだか若返ったように思います。」
画廊店主は、恰幅の良い体を揺すりながら笑う。
「今日来ていた私の知り合いであるこの辺の土地を持つ社長が是非藤村さんに絵を頼みたいと言っていました。」
「それは嬉しいですね。」
「展示会終わりにまたやって来ますから、その時にご紹介しますよ。いや、あいつも若い女が好きな奴でね。」
呵呵と笑うと、今度は早苗の方へ話を振る。
「藤村さんの奥様もだいぶ美人でいらっしゃる。モデルにしたいという画家も多いでしょう。
小遣い稼ぎがしたい時はいつでも紹介しますよ。」
「まあ、それはありがとうございます。」
早苗は心の中で、「誰がやるものか」と思いながら、人好きのする顔で微笑んだ。
「藤村さんはご夫婦揃っていると一枚の絵のように美しいですよね。」
誰かに勧められたのか、騙されたのか、竹中がワインで顔を赤らめながら、にこにこと早苗と稔を見た。
「僕の妹も羨ましがってましたよ。あんな夫婦になれたらいいなぁって。」
「おい、竹中、お前は妹の話よりも自分の事だろう。本ばっかり読んでないで、街に出て声を掛けて来い。」
「いやいやいや、無理ですよ。藤村さんの奥様と話せるようになるまでも大変だったんですから。」
「お前、美人な人ほど話せないからなぁ。わかった。この後、オレがいい所に連れて行ってやる。」
「いいですよ、冨田さん。明日はモデルをした姪っ子さんが画廊に来るんですよね。ちゃんとしてないとだめですよ。」
「あいつ、しっかりしてて怖いんだよなぁ。」
冨田がワイングラスを傾けながら嘆息した。
早苗たちはそれを見て笑った。




