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第百二話 咲き誇る花に蜂 3

 


 庭の桜がすっかり葉桜になった頃、稔の画集が出来上がった。


 簡単な外箱のついた画集は、新書判五、六冊ほどの値段だった。


「ほう、これは随分立派な御本になりましたね。」


 出来上がった画集を早速購入した久間木は本屋の帰りがけに早苗の所へ寄った。


 縁側でぱらりぱらりと(めく)る。


「若い娘さん達が、可愛らしく美人さんに描かれている。不思議なものですね。

 あやしいことは何も無いのに、何やらどきりとしますね。」


 早苗も久間木の手元を一緒に見ながら、相槌を打った。


「ええ、女のわたしから見ても(なまめ)かしさがあると思います。」

「おや、早苗さん。あなたの旦那様がこういう絵を描いていて、褒めるとは。」


 からかいを含んだ声色で久間木が言う。

 早苗は微笑むだけで答えとした。





 桜の終わった頃に、早苗は稔に毎日届く洋封筒と、伊東明日花の手紙の入った洋封筒を並べて見せていた。


 早苗が稔に対しての決意を固めた後、届く洋封筒に対して、前ほど気持ちが動かなくなっていた。


 嫌だと思う気持ちが、どうでもいいという無関心さに変わっていた。


 稔に対して直接関わってくることもなく、継子(ままこ)の明日花と、稔の妻である早苗への憎しみと嫉妬と苛立ちを見分けがつかないほどにごちゃ混ぜにした伊東という女の感情。


 それをただ投げつけられていただけだった。


 投げつけられたものがただの紙で、害はないと思えてしまった。そうなると、稔に隠していた事が何故だったのかも分からなくなった。


 ひとまず、早苗は肖像画の予約を貰っている稔に、注意も含めて伝えておくことにした。


 稔は積み重なった洋封筒をちゃぶ台に置いた早苗を見た。


「これは。随分な量だね。」

「一度、稔さんも見たでしょう?」


「ああ、あれは早苗宛てだったのに気が付かないで開けてしまったんだ。その中身が酷い絵と意味の分からない文だったから。

 早苗に見せないようにしたんだ。」


 稔はそっと早苗の手を取ると言った。


「怖かっただろう?こんなに届いていたのに、なんで言わなかったんだい?」


 早苗は稔の手にもう片方の手を重ねると、ゆっくりと撫でた。


「怖かった。でも、稔さんは画集を出す為に一所懸命に絵を描いていたから、余計な事で心を乱してしまうのは嫌だったの。」

「もう終わったから、言ってくれたのかい?」


「ううん。それよりも、もうこんな紙切れに怯えていたことが、馬鹿馬鹿しくなって。

 もうどうでもいいのだけれど、稔さんにも気をつけて欲しいから。」

「そうか。頼りない夫ですまなかったね。もう大丈夫だ。」


 稔は早苗の両手を手で包むと、その指先にそっと口付けた。





 手紙は伊東という女だろうと稔も言った。しかし、それは二人の推測で確たる証拠は無かった。


 肖像画の依頼は、出来る限り後に回して、関わりを持たないようにする事にした。


「何の反応も無ければ、向こうの方で興味もなくなるだろう。」


 早苗は稔の言う通りだと思い、下手に刺激する必要も無いと考えていた。

 ただ、念の為に手紙は保管して、証拠として取っておく事になった。


「早苗には俺の事で迷惑をかけてばかりだな。」


 茶箪笥に入れても邪魔になる量になってきたので、土間の方に適当な木箱にまとめて入れておくことにした。


「今度からここに投げ込んでおけばいい。」

「まだ続くのかしら。」


 早苗は下がり眉をうっそりと(ひそ)めた。


 稔の二重まぶたを飾る長いまつ毛は近くで見ている早苗ですら、ため息が出てしまう。


 早苗の欲目を抜いたとしても、均整のとれた稔の顔はありふれたものではなかった。


 女たちが執着しても、不思議ではなかった。









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[一言] >「何の反応も無ければ、向こうの方で興味もなくなるだろう。」 せやろか?( ˘ω˘ )
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