04 大きな本箱と侍
僕が三千院の家に、持ってきた荷物と先に送っておいた段ボールの大半は、ぜんぶ僕の歴史の本だった。小さいころ母さんに読んでもらった武将の絵本から、最近買ったちょっと背伸びした分厚い学術書まで。誰に何と言われても、この本たちだけは僕にとって手放せない宝物だった。
引っ越しのとき、母さんと高志郎さんが「荷物多すぎない?それに本って重いし・・・」って心配そうに言ったけど、僕は絶対に置いていけなかった。東京のマンションも引き払うんだし、置き場所がないからっていうのもあったけど、何より、知らない土地で母さんと離れて暮らすのは初めてだから、せめて本だけでも一緒。そう思った。
聖一郎さんは、本の入った段ボールがたくさん届いて驚いたらしい、怒るどころか「これは本箱を買わねばならんな」って笑ったそうだ。
そう話す光子さんの隣りの聖一郎さんは静かで落ち着いていて、僕の知らない大人の余裕があった。
僕の中の「お祖父さん像」とはだいぶ違っているけど・・・なんていうか、すごく静かで武士みたいだった。
「こんなにたくさんの本は綺麗に並べた方がいい」
そう言われて、僕は正直うれしかった。普通は子どもの荷物が多いと嫌な顔をされるって思ってたから。しかも、ちゃんと「綺麗に並べた方がいい」って言ってくれたのがうれしい。だから聖一郎さんがネット回線を引いてくれないっていうのも、ちょっとだけ許せた。
最初の夜、新しいベッドと枕はちょっと変だったけど、すぐに眠たくなった。
僕の新しい部屋は、東京のマンションにいたときよりずっと広い。床はフローリングで襖とかある。それがまたかっこいい。まだ壁紙の匂いがするような真新しさもあるのに、どこかお寺みたいに静かだ。
聖一郎さんが買ってくれた本棚は、大きくて立派で、木目がすべすべしてた。段ボールから一冊ずつ本を出して並べていくときの、あの音が好きだ。ページとページが少し擦れる音。背表紙を指で撫でながら、これはあの時、読んだやつだな、って思い出すのが好きだ。
全部並べ終わったら、なんだか自分の城ができた気がした。きっと母さんが見たら「もう!」って言うだろうけど、この部屋だけは僕の世界だ。窓からは山の木々が見えて、風で枝がゆらゆら揺れる。東京では聞こえなかった鳥の声が遠くする。それを聞いているとすこしだけ心細くなった。
その夜、僕はベッドに潜り込んで、今日、何度目かになる母さんへの電話をした。ずっと待ったけどそのままだ。留守録に切り替わることもない。
無事に到着したことは高志郎さんから聞いただろうけど・・・僕は母さんに直接言いたいのに・・・
そう思いながら目を閉じると、すぐに夢を見た。
夢の中で、どこかの侍が僕の前に立ってた。着物はちょっと古くて、破れたりしている。刀を腰に差して、まるでテレビで見るみたいにちょんまげを結っていた。
「お前を助けてやろう」
侍はそう言った。声は低くて、刀の鞘がカチリと鳴った。
でも、僕は心の中で「助けてほしいなんて思ってない」と言った。だって、本があるし、誰かに頼らなくても僕はちゃんとやれるって思ってたから。母さんに一人で大丈夫だって言った手前、誰かに甘えたら嘘になる。侍は偉そうで怖いけど、僕は何も言わずにそっぽを向いた。
ちらっと見た侍の横顔は少しだけ笑った気がした。ちょっと悔しそうな、でも面白がってるような笑い方だった。結局、僕は侍の横をすり抜けて、そのまま眠りの奥に沈んでいった。
次の日、目が覚めたら外は薄曇りで、まだ少し寒かった。本棚の前に立って、改めてずらりと並んだ本を眺めると、やっぱり気持ちが落ち着く。どの一冊にも、僕の知らない世界が詰まってる。どのページを開いても、誰かの言葉や物語がそこにあって、僕はそれを読んでる間だけは何者にもなれる。
どれだけ頑張っても、寝る前はきっと本棚の前に立つんだろうなって思う。本を開いて、昔の人の声を聞いて、心を落ち着けて、それから目を閉じる。
侍が現れたら、僕は言ってやる。
「助けはいらない」
だって僕は山本航平だ。死んだ父さんと母さんがくれたこの苗字で、ここから先を生きていく。
僕は、まだ自分の普通がどこまで行けるか知らない。だけど、この家でなら、きっと何か面白いことが起こる気がする。
明日は中学に初登校だ。少し、こちらの家に慣れてからがいいだろうということで、三日間、忙しく過ごした。そう、忙しくだ。なんせ聖一郎さんから剣道と弓道を習い、合間に光子さんと茶室でお茶を飲んだりしたんだ。お菓子は毎回、二個食べる。
剣道は素振りとかそんなの。弓道は弓の持ち方とか呼吸とか・・・ちっとも当たらない。的に届かない。そしてそれを見ていた光子さんが
「航平さん、気負うことないのよ、気軽に」と言いながら的を狙って、もしかしたら狙ってないかも?だって構えてすぐにシュパって・・・それが、ドスッって的に当たったんだ。これが普通のこと?お茶をやれば弓が上手くなるとか?!
と三日間、忙しかったのだ。
そして今日、聖一郎さんと一緒に挨拶に行って教科書を貰って来た。
明日は初登校だ。友達出来るかな?
そんなことを思っていると、外の鳥の声は遠くなる。僕はゆっくりと夢の中に落ちていった。
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