03 僕は留守番になった
二人が結婚して、僕たちは三人で暮らし始めた。最初のうちは、母さんと高志郎さんの間に僕がどうやって入ればいいのか分からなくて、ちょっと気をつかいすぎて疲れた。でも、高志郎さんはいつも穏やかで、母さんも少しずつ笑顔が増えていったから、僕もだんだん変に気を張らなくて済むようになった。
平日は学校に行って、帰ってくると母さんと夕飯を作って、高志郎さんが帰ってくるのを待つ。たまに母さんが高志郎さんの好物を作ってるとき、僕は横でサラダをちぎりながら、母さんがなんでそんなに嬉しそうなのか不思議だった。だけど、テーブルの向こうに座った高志郎さんが「美味しいな」って言ったときの、母さんの小さく笑う顔を見ると、何となく分かる気がした。
つまり、これが新婚さんってことだな!うんうん!
休日になると、三人でスーパーに行って買い物をしたり、ちょっと遠くのアウトレットに行ったりした。母さんはあんまり運転が得意じゃないから、どこへ行くにも高志郎さんの車だ。左手が途中でなくても、ハンドルを片手でくるっと回す高志郎さんは僕から見てもすごくかっこよかった。僕は後部座席に座って、二人が前で話す声を聞きながら窓の外を眺めていた。
このまま、ずっとこんな日が続くと思っていた。
それなのに、急に海外赴任の話が出た。
高志郎さんの会社の人たちが、どうしても高志郎さんに現地で仕事をしてほしいって言ってきたらしい。母さんは最初すごく反対してたけど、話を聞いているうちに「行ったほうがいい」ってなったみたいだ。僕は母さんと高志郎さんが真剣な顔で話し合っているのを、テレビを見ながら見ていた。
二人は僕の希望を何度も確認して来た。僕は一緒に行きたかったけど、日本人学校が遠い場所。これでほとんどダメ案件。現地の学校に行くのは母さんが心配して大反対。それでどうなったかと言うと僕は、日本に残ることになった。
それならかっこいい一人暮らし希望だったけど、二人に反対された。
三千院のお祖父さんの家に預けられる。そう決まったとき、母さんは泣きながら「ごめんね」って言った。僕は「大丈夫だよ」って言ったけど、本当は怖かった。
だって、母さんと離れて暮らすなんて、今まで一度もなかったから。
高志郎さんが車で僕を送ってくれることになった。母さんは荷物を車に積み込みながら、何度も僕の手を握ったり、頭を撫でたりした。
「ちゃんとご飯食べて、風邪ひかないで」って。
まるで僕がどこか遠いところに一人で行っちゃうみたいだった。
車に乗り込んでから、僕は助手席でずっと黙っていた。
窓の外に流れる景色がいつもより遠くに見えた。
後ろを振り返れば、母さんが手を振ってくれているのが見えたけど、すぐに角を曲がって見えなくなった。
それからしばらくして、高志郎さんが「大丈夫か?」って聞いてきた。
僕は「うん」って言っただけで、口を閉じた。
峠道に入って、カーブが多くなったけど、車はすごく静かだった。
ハンドルを握る高志郎さんの右腕は力強くて、左手の取手がギアを動かすたびにカチンと小さな音がした。
「高志郎さん、左手、痛くないの?」
急に思い出したみたいに聞いてしまった。
「ん?あぁ、痛みはもうずっとないよ」
と笑顔が返って来た。
その笑顔を見たら、ずっと気になっていたことが、急に口から出てきた。
「どうして山本の苗字、選んだの?」
声が少し震えたかもしれない。
高志郎さんは
「そうだね・・・」と考えながら運転して、遠くの道を見たまま答えてくれた。
「普通になりたかったんだよ」
それだけだった。
僕は「普通?」って小さくつぶやいた。
三千院って苗字は、すごくかっこいい。
初めて会ったときから、ずっと思ってた。
あの大きな屋根の家に住んでて、和室があって、お祖父さんもお祖母さんも着物で迎えてくれて。
そんな家の人は、普通になりたいのかな?
「僕、三千院航平でもよかったけど」
自分でも変なことを言ったと思ったけど、言わずにいられなかった。
「そっか」
高志郎さんは笑った。
「でも、君には山本が合ってるよ。君のお父さんの名前だしね」
僕は窓の外を見た。山の向こうに小さく町が見えた。
あの暗い町の大きな家に、僕はこれから住むんだ。
母さんはいない。
けど、僕は『山本航平』でいるんだ。
三千院みたいにかっこいい苗字は、確かに僕には似合わないかもしれない。
あんな大きな家に住んでも、僕は多分、玄関で靴をそろえるのを忘れて怒られる。
茶室で足が痺れて立てなくなる。
勉強も運動も普通だろう。いや、勉強は自信がある。
僕は普通だ。普通だけど、普通のままじゃ終わらないような気もするけど、それは気のせいだ。
車が峠を下り始めると、木々の向こうに三千院の屋根が見えた。
時代劇のセットみたいな家。あの家で、僕は母さんと離れて暮らす。
ちょっとだけ胸が苦しくなったけど、高志郎さんの運転する横顔を見たら、少しだけ気持ちが落ち着いた。
トランクの中には母さんが詰めてくれた服と、本がぎっしり詰まっている。
どれも僕の普通の一部だ。だけど、この町で何が待っているのかは、まだわからない。
わからないけど、僕は山本航平だ。
この名前で、どこまで行けるか試してやろう。
車の窓に映った自分の顔に、ウインクしてみた。高志郎さんみたいにかっこよく出来なかった。
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