それぞれの気持ち
翌朝。
気だるい体をなんとか起こし、学校へ行く準備を整えました。
馬車で二番目のお兄様が、昨日の夜会で皆様がどれほど驚いていたのかを、身振り手振りを加えながら自分のことのように嬉しそうに話してくれましたが、お兄様の喜びと反比例するように私の気持ちはどん底にいました。
学校に着いてからは、周りからの祝福の嵐に眩暈がしそうになりました。
最近では私の教室まで送り迎えをしてくれるのが日課になっていたお兄様は、私に代わって皆にお礼を言いながら私を教室まで連れて行ってくれました。
私はなんとか、笑みだけは絶やさずに教室までたどり着くことができたと思います。
休み時間には先生に呼び出され、理事長である侯爵様から直々にお祝いの言葉と花かごをいただき、寄付金をエド様にお願いしてほしいという内容を遠まわしに言われました。
この国では婚約した方に花かごを贈る風習があり、気がつけば私の席の周りは花かごだらけになってしまいました。
「オーランド様側にまで置かせていただいてすみません……」
「とんでもない、花を愛でながら勉強するのも気分が良いものですよ。それに隣を向けば花に囲まれた可憐なアイシャ嬢を見られるのですから、役得ですね」
そう言いながら微笑んだオーランド様は「おっと、親しくしてはいけないのでした」と、すぐに教科書に視線を移しました。
私の隣に立っていたエマが「皆で話す時くらい、殿下もお許しになるんじゃないかしら?」と首を傾げました。
「どうかしら……。エド様には、挨拶をすることにしか許可をいただいていないわ」
「挨拶だけ~?殿下は独占欲が強過ぎよ」
エマは呆れたように笑いました。
彼女の婚約者様は、エマが一人で夜会へ行ってほかの男性とダンスを踊っても怒らないそうで『自由奔放な君が好きだ』と言ってくださるそうです。
確かにエマは自由にしている時が一番楽しそうに輝いているので、婚約者様は見る目があると思います。
オーランド様は「挨拶は許可されているのですか」と嬉しそうにこちらを向くと「あ、今のは独り言ですので」と、また教科書へ視線を戻しました。
二人と話しているうちに少し沈んだ気持ちも浮上してきましたが、私はこれからどうしたら良いのかをエマに相談したかったのに、結局は言う勇気がないまま下校の時間になってしまいました。
「アイシャ……、お前は我が家を花屋敷にでもするつもりか?」
花かごで埋め尽くされ、どうにか二人分座るだけのスペースを確保した馬車の中、お兄様は呆れた様子です。
「お父様の爵位が剥奪されたら、お花屋さんでも開きましょう」
「なにを言っているんだ?アイシャ」
お兄様は不思議そうに私の顔を覗き込みましたが「なんでもありません」と私は視線を逸らしました。
私がおこなったことが知られたら、最悪お父様の爵位剥奪だってあり得るかもしれません。
私はそれだけのことをしてしまったのですから。
お兄様はしばらく私を観察すると、私のおでこに手を当て「熱はないな……」と呟くと、それきり口を開くことはなく、お互い無言のままお城へ向かいました。
「アイシャ、会いたかったです」
エド様は、よほど待ち遠しくしていらっしゃったのか、馬車から私を抱き上げて下ろしてくださいました。
「エ、エド様……、私はもう抱き上げられるような子供ではありません……」
「わかっていますよ。これも愛情表現と受け取ってください」
そのような愛情表現は恥ずかしいですし、エド様に愛情を向けていただく資格など私にはもうないのですが……。
エド様は馬車の中にある花かごに目を留めると「アイシャもたくさん貰ったようですね。僕の所にもたくさん届いていますよ」と嬉しそうに、私をお城の中へ連れて行ってくださいました。
エド様が言われたように、彼の区画の廊下には至る所に花かごが置いてありました。
王族に贈る花かごともなると人が入れそうな大きさのものばかりで、なかなかの存在感があります。
執務室へ入ると側近の方々にも祝福していただき、例によって花かごもいただいてしまいました。
皆様に祝福されるたびに、自分はどう詫びれば良いのかわからなくなってしまいます。
エド様の執務室で宿題をしている間も考えるのは自分の愚かさについてばかりで、宿題もなかなか進みません。
上のお兄様がエド様のところへ書類を渡しにやってくると、「アイシャ、具合でも悪いのか?」と二番目のお兄様同様におでこに手を当てて「熱はないな」とつぶやきました。
私はそんなに具合が悪そうに見えるのでしょうか。
「祝福され過ぎて疲れたのかもしれませんね。送りますから帰りましょうか」
エド様は立ち上がり私に手を差し出してくださいますが、私は笑顔で首を横に振りました。
「学校で少し気を張っていたせいだと思うので大丈夫です、エド様。ご一緒にお食事をさせてください」
「僕のことなら気にしなくて良いですよ、アイシャが婚約してくれたのですから寂しいことなどありません」
「いえ……、どうかおそばにいさせてください」
私に今できることは、エド様のおそばにいることだけです。
エド様とお兄様は顔を見合わせましたが「わかりました。体調に変化があればすぐに送りますから言ってください」と、エド様は承諾してくださいました。
いつもの倍の時間をかけて宿題を終えると、エド様は私を連れて執務室を出られました。
彼の部屋へ到着し、ソファに座るよう言われて腰を下ろすと、エド様は私を抱き抱えてゴロリとソファへ寝転がりました。
「あ……あの……」
「まだ食事まで時間もありますし、僕の上で寝ていてください。こうしていれば暖かいでしょう」
エド様を下敷きにするなんてとんでもありませんが、彼はどうやらこの体勢を変えるつもりはなさそうに私の頭をなで始めました。
エド様はどうしてこんなにお優しいのですか……。
せっかくのご厚意ですので寝てみようと思いましたが、しばらく経っても罪悪感が勝ってしまって眠気はやってきませんでした。
「アイシャ、なにか気に病んでいることがあるなら言ってください。僕はなんでも解決してみせますよ」
「はい……」
「学校で嫌なことでもありましたか?」
「ありません……」
「……では、僕との婚約に後悔でもしているのですか?」
「そんな!……そのようなことは、決してありません」
思わず声を張り上げてしまったことに後悔しました。
これではなにか問題があるように聞こえるではありませんか。
エド様は、私の頭をなでていた手を止めました。
「……すみませんアイシャ、さきほど一つ嘘を言ってしまいました。なんでもは解決できません。アイシャがどんなに婚約破棄を願おうとも、僕は貴女を開放してあげられそうにありませんから」
「なぜそのようなことをおっしゃるのですか……」
思ってもみなかったことを言われ、不安になりながらお尋ねしてみると、彼は弱弱しく微笑みます。
「気がついていましたよ。婚約を申し込んだ瞬間から、アイシャが喜んでいないことに。けれど僕は貴女を手放したくなくて、強引に契約書を交わしてしまいました。最低な男ですね」
やっと気がつきました。
私が心を伏せるほど、エド様は傷つかれてしまうのですね。
この前もそうでした。公爵令嬢様の件で私が一人で気持ちを静めようとしたばかりに、エド様が傷つかれてしまった。
全てをお話ししなければと思いました。
信じていただけるかわからないし、エド様に嫌われてしまうかもしれないと思うと恐ろしいですが、私が隠せば隠すほどエド様は思いも寄らぬ方向から傷つかれてしまいます。
私のお話を聞いたらきっとエド様は傷つかれるでしょうが、これが真実なのですから。
エド様自身が悪いのではないと、お伝えしなければ。
「エド様……、お話したいことがあるのですが」
彼はしばらくの沈黙の後、私を抱えながら上半身を起き上がられました。
私を隣に座らせてくれると「聞きましょうか」と、真剣な眼差しを私に向けられました。





