第247話 雲海
"雲海"と呼ばれる男がいる。齢36にして、現在はSSSランク冒険者として活動しているその男は常に波乱の人生を歩んできた。幼き頃から活発な少年でヤンチャを繰り返しては周囲の者を困らせ、それに対して胸を痛める毎日を送っていた。本人としても悪気があって、やっていた訳ではない。しかし、いかんせん少年の時分では湧き上がる衝動をコントロールする術が見つからなかったのだ。結果として、野山を駆け回って魔物退治の真似事をしたり、喧嘩を売ってきた歳上の者に躊躇いもせず挑んでいったり………………と様々なことをしては有り余る力を発散させてきた。そんなことを繰り返していたある日、母が亡くなった。元々、身体が弱かった母は随分前から病気を患っていたのだ。それは"産後病"という子供を出産した母親がごく稀に発症する原因不明の病だった。その確率は1万に1人であり、一度罹ってしまうと治すことができず、身体がどんどんと弱っていき、やがては死に至るというものだった。ちなみに母親がその病に罹っていることを彼は知っていた。母親は隠し通しておこうとしたのだが、周りの者が噂しているのを聞いてしまったのだ。その事実を知って、彼は魔物退治で金銭を稼ごうとしたり、歳上の者との賭け喧嘩を行うようになったのである。彼には回復魔法が使えなかった。病気を治療してもらうには多額の治療費が要る。そう思った彼はそれを稼ごうと毎日必死になっていたのだ。母親の罹っている病気が不治の病だとは知らずに…………………。訃報はちょうど彼が山に入ろうとした時、顔見知りの者が駆け寄ってきて知らされた。どうやら、家の床の上で力尽きていたらしい。近くには手紙のようなものがあり、そこには彼に対する深い愛情が詰まった言葉が無数に書かれていた。それを読んだ彼は今までで一番泣き、ある決意をすることになる。それは冒険者になるというものであった。彼には物心付く頃から父親がいない。以前母親に理由を聞いたところ、冒険者という危険な職業であちこち飛び回っているらしい。それを不意に思い出した彼は奇しくも父親と同じ道を歩もうとしていた。彼は父親を恨んでいた。理由はどうあれ、自分達を捨てて出て行った碌でもない奴。母親は女手一つで自分を育ててくれたが父親は一度も顔を見せることなく、どこかへと消えていった。そんな奴のことなどこの先、考えることはないと思っていた。ところが、事情が変わった。彼の中でいっぺん会って、ぶん殴ってやりたいと思う程、腹が立ったのだ。お前がいない間、どんな思いで自分達が生きてきたか……………いや、最悪、自分はまだいい。しかし、母は常に寂しい表情をしていたのだ。お前のせいだ。全部、お前のせいでこうなった。母は……………お前が殺したんだ……………と。それからの彼は冒険者になるべく準備を整えた。身体を仕上げ、必要な知識を習得し、真っ当な方法で金銭を稼ぐ。それが約半年程続き、彼の中である程度の目処が立ったところでそろそろ自分の生まれ育った村を出る計画を立てた。冒険者ギルドは村になく、隣街まで行かなければならなかったからだ。だが、そんな矢先だった。またしても彼を更なる不幸が襲う。それは村を出る前日のこと。突然、村中に激しく鐘の音が鳴り響いたかと思うと1匹の真紅に染まったドラゴンが飛んできたのである。ドラゴンは村の中へと降り立つと何の躊躇いもなく、罪のない村人達を襲いまくった。口から炎を吐いて焼き払ったり、強靭な尻尾で薙ぎ払ったり、鋭い爪で切り裂いたりとそれはそれは惨憺たる光景が目の前で繰り広げられていた。とはいえ、村人達もただ指を咥えて目の前の惨事を見ていた訳ではない。一応、何人かの村人達が剣や斧をドラゴンへ向かって振り下ろしたのだが、いかんせん皮膚が想像以上に硬く、弾かれて終わるだけだった。この時、その現場のすぐ近くにいた"雲海"…………クラウド少年はただただ震えて見ていることしかできなかった。自分がこれからなろうとしている冒険者とはこういった魔物から人々を守る職業だ。だから、その為にこの半年間、準備に準備を重ねてきた。しかし、現実はどうか。いくらイメージトレーニングを積み、身体を鍛えようが実際にこうして強大な魔物を目の当たりにすると身体が震えるだけで何もできない。恐怖で動くこともできずに仲間達がやられていくのをただ黙って見ていることしかできない。なんて自分は弱虫でちっぽけなんだ。一体何の為の半年間だったんだ………………彼は自己嫌悪と悔しさで涙が止まらず、ずっとその場で歯を食い縛っていた。そして、それはドラゴンが彼以外の村人達を全員亡き者にするまで続いた。
辺りが火の海に包まれ、生存者がほとんどいなくなった村を見渡して満足そうに唸るドラゴン。と、ドラゴンはここでまだ1人だけ残っていることに気が付いた。それはまだ幼い少年で物陰に隠れながら、嗚咽を漏らし身体を震わせていた。少年はドラゴンからすれば、この村の中で最もか弱き生物だった。立ち向かってきたり、逃げ惑っていたりと死に抗い、生に執着する者はまだいい。ところが、それすらも放棄し、目の前で起こった非情な現実を諦めて受け入れ、ただただ立ち止まっていることしかできない者は愚かであると感じたドラゴンはつまらないものを見たと言わんばかりの態度で少年へ向けておざなりに尻尾を振るった……………のだが、それは小さな身体へと届く寸前で思わぬ邪魔が入ったことにより、不発に終わってしまう。
「"重力"」
「ぐおおおっ〜!?」
突然、少年の真横で声が聞こえたかと思うとドラゴンの尻尾は地面へと張り付けられたかのように動かなくなってしまった。このあまりに急な出来事にひどく驚いた少年は恐る恐る、その原因となったであろう人物を見ようと視線を横へと移動させていった。するとそこにいたのは……………
「っ!?」
この世界ではまず目にすることのない黒髪黒眼の男だった。歳はおおよそ30代半ば〜40代程か。長身であり、引き締まった肉体と鋭い眼光を持ち合わせ、漂う雰囲気からして只者ではない。しかし、それに反して服装はだいぶ質素なものだった。白いヨレヨレのシャツに生地の薄いズボン、ボロボロの靴といった軽装備で今しがたドラゴンの攻撃をいなしたのと同一人物だとは到底思えない。本当にこの男がドラゴンの一撃から自分を救ってくれたのだろうか……………少年は疑念を抱きつつもとりあえず、お礼を言おうと口を開いた。
「あ、あの、助けてくれてありが……………」
「坊主」
「ふぁ、ふぁい!?」
ところが、途中で男の言葉によって遮られてしまい、伝えることができなかった。さらに少年はまさか、男の方から話し掛けてくるとは思わなかった為、またしてもひどく驚いてしまった。一方、そんな様子を少しも気にすることなく、男は話を続けた。
「お前、助かりたいか?」
「えっ!?」
その問い掛けはシンプルではあるものの、とても重厚感を漂わせるものだった。それこそ少年の答え方次第ではこの先の展開が大きく変わってしまう程の。
「その歳で一丁前にしけた面してんじゃねぇ。言っておくがな、魔物という危険と常に隣り合わせなこの世界ではこんなこと日常茶飯事だ。そればかりか、そこには人の悪意ってものも乗っかってくる。こうしてる今もどっかで知らねぇ奴が泣いてんだ。まさか、お前………………こんなことで死ぬ気じゃねぇよな?」
「っ!?あ、あのっ、そのっ……………」
少年は口の中が渇く思いをした。別に感動した訳でも恐れをなした訳でもない。単純に核心をつかれ、気圧されてしまったのだ。何故、会ったばかりの男に自分の今の状態が分かるのか。そればかりか、この男は世界中でこのようなことが起こっているのをまるで見てきたかのようだった。もしかしたら、この人こそ、自分が目指す冒険者の中の冒険者なのかもしれない。そう思った少年は居ても立っても居られず、早口で捲し立てた。
「あのっ!も、もしかして、おじさんは冒険者なのか?」
「ん?そうだが……………目上の者に対する口の利き方がなっちゃいねぇな。そんなんじゃ、苦労するぞ」
「えっ!?あ、す、すいま」
「だが、冒険者はそのくらいでちょうどいい。なんせ仕事柄、舐められたらやっていけねぇ。まずはなんでも形からだ。それが坊主にとっては口調ってんなら、責めやしねぇぜ」
「あっ!?ありがとうございます!!」
「おい、持ち味を早速消してんじゃねぇ!別に俺の前でくらいは普通にしてろよ」
「えっ……………で、でも」
「まぁ、いいか。それよりも坊主」
「?」
「答えは決まったか?」
「っ!?は、はい!!」
「じゃあ早速聞かせてくれ」
「ぼ、僕……………俺は助かりたい!こんなところで死ぬ訳にはいかないんだ!俺は困っている人を救う冒険者になってやる!もうこんなことは二度とゴメンだ!!だ、だから……………助けてくれよ、おじさん!!」
「了解。だが、1つ言っておく。俺は"おじさん"って名前じゃねぇ。俺の名前は……………」
男は自分の名を告げながら、その場から動くことのできないドラゴンへと向かっていった。その後に起きたドラゴンとの闘いを少年はこの先も忘れることはないだろうと確信に近い想いを抱きつつ、見ていた。そして、これが………………クラン"箱舟"のクランマスターと後にSSSランク冒険者にまで登り詰める少年との最初の出会いだった。




