私が笑う話 パート⑦
その後、桐弥は"キリヤ"が使っていた部屋に案内された。
キリヤの部屋なのに、桐弥にとって何故か既視感を感じた。
しかし、部屋の壁に掛けられた鏡を見て桐弥はぐっと歯を噛み締める。
鏡に写る少女は、桐弥とはまったく違う姿だ。
「やっぱり…これは、私じゃない…」
こんなに髪の色は黒くなかったし、紫色なんて、人間の瞳の色とは思えない。
カラコンを入れているような感じもしないので、これが素なんだろう。
なにより、顔の輪郭が、目の形が、唇の形が。
桐弥とは似ても似つかない。
雰囲気が似ているだけだ。
「…私が…ううん、この体の人が使ってた部屋だからかな…」
ポツリと呟いて、桐弥はベットに腰を掛ける。
やはり、このベットは使いやすい。
いや、使い馴れた感触がする。
桐弥にとって、世界とは家族であり、家族とは世界であった。
その家族がいないことが、桐弥にとって、どうしてもツラいことだった。
はらりと涙が頬を伝っていく。
ここは嫌だ。
父がいない。母がいない。兄がいない。妹がいない。
彼らだけが、私の存在の証明なのに。
「帰りたい…早く戻りたいよ…」
靴を脱いで、ベットの上に丸まった。
少しして、ベットの上から穏やかな寝息が聞こえてきた。
食堂に集まった面子は、今後どうするか頭を抱えていた。
「どーするよ。つーか、結局キリヤはどうなってんだ?」
「わかりません。"桐弥"さんの言っていることが本当であるか確かめる必要もあるでしょう。敵の何らかの攻撃かもしれません」
「攻撃!?キリヤは大丈夫なのか!?」
「"桐弥"さん自体にはキリヤさんを害する危険は少ないと思われます。…最悪、"桐弥"さんを排除しなければならないかもしれませんが…」
トーマの発言に周りはぐっと息を詰める。
彼らは"桐弥"が無害な存在であることをよく分かっていた。
自信無さげに俯き、元の場所に帰りたいと泣く少女が誰かを害するような存在であることはないだろう。
「まぁ、キリヤさんがどうなっているか分からないんだ。"桐弥"さんをどうこうするのは時期尚早だろう」
「はい。まずはキリヤさんがどこにいるのか、どうやったら戻ってくるのかを考える必要があるでしょう」
「…はぁ。ただの記憶喪失なら良かったんだがなぁ…」
一人がそう呟いたことで、周りからもため息が漏れた。
「…ヴェ…賢者ならどうにかできるんじゃないか?」
「まぁ…でも、賢者はショックで出てこないみたいだし」
「いや、どうにも出来なかったからあんなに怒ってたんじゃねーの?」
「あー…確かに。なんとかできるなら賢者ならソッコーでどうにかしてるはずだな、うん」
「マジかよ…キリヤどこ行ったんだ…」
今まで、キリヤとヴェルトが指針になって動いていた。
その二人が動けない状態であることで、少し困ったことになってしまう。
「どうするにせよ、賢者にも協力して貰わねぇとな」
「ですねー。まぁ、今晩だけはそっとしておいてあげましょうよ」
「明日になっても使えなかったらミゼンに活入れて貰えばいいんじゃない?」
気を使ってヴェルトが立ち直るまでそっとしておいてあげたいところだが、そういうわけにはいかないので、みんな嫌な役回りをミゼンに押し付けることにした。
ミゼンは押し付けられたことにそっと深いため息を吐いたが、いつものことなので、特に気にする者はいない。
「あとはあれですよね、子供たち」
「あー…ちゃんと事情説明すれば、歳上の子達は分かってくれるだろうけど…」
「でもきっと傷付くわ」
「だろうな。ならば王宮で桐弥さんを預かろうか?」
「それならセェルリーザでもいいわよ」
「いやいや!それならエルフの里でも」
「魔族の国でも歓迎するぞ?」
「ドラゴンの国でも大丈夫だけど」
「いいえ!桐弥さんはこのまま孤児院でお世話しますから!」
意外にも、ここで大きく言い切ったのはエレナだった。
トーマはどうでもよかったのだが、エレナが言い切ったからには勿論その通りにする。誰に何と言われようともする。
「ではこのまま孤児院で。子供たちにも説明しましょう。彼らは馬鹿ではありませんから分かるでしょう。みなさん、分かっていらっしゃると思いますが桐弥さんのことは他言無用でお願いします」
トーマの言葉に、彼らは勿論だと頷いた。
言ったら後が怖い。
「明日、賢者様と相談してどうするか、考えます。明日以降またご連絡致します」
各々が頷き、この話し合いは解散することになった。
翌日、エレナはキリヤの部屋の前で困惑していた。
どれだけノックをしても、中から桐弥の返事がないのだ。
普段のキリヤはエレナよりも早く起きて、エレナが手伝うまでもなく全員の朝食を作り終え、下手すると昼食の準備まで終えている。
しかし、桐弥は朝食の時間を過ぎても起きてこない。
もしや、体調でも悪いのかとエレナは心配していた。
エレナは部屋に向かって声を掛けつつ、中に入る。
桐弥は寝ていた。
布団を掛けずに寝ていたため、少し肌寒そうにベットの上で丸まっている。
「…桐弥さん。おはようございます」
エレナは少し安心して桐弥を揺すり起こすことにした。
エレナが覗き込むと、桐弥はゆっくりと目蓋を開いた。
「…あ…」
「桐弥さん、おはようございます。大丈夫ですか?お布団掛けてなかったし…」
ぼぅ…っとエレナを見ていた桐弥は、何度か瞬きをして部屋の中を見渡す。
「桐弥さん?」
「…あ、えっと、ごめんなさい…」
「え?あ、いいんですよ!きっと疲れていらっしゃったと思いますから。よく寝られましたか?寒くありませんか?」
「…はい…大丈夫です。ご迷惑おかけします…」
沈んだ雰囲気の桐弥にエレナは明るく声をかける。
「昨日はお風呂入らなかったでしょう?今から入りますか?」
「…はい」
「あの引き出しに着替えがありますから、好きなものを持って食堂に来て下さいね」
「…ありがとうございます」
よそよそしい桐弥の姿に、エレナは最初だから仕方ないかな…と思っていた。
少し慣れれば、心を開いてくれるだろうと時間に任せることにする。
エレナが桐弥を起こしに行っている時、ヴェルトは部屋から食堂へ出て来て、周りの心配そうな視線を受け流しつつ、トーマを呼んだ。
大抵、トーマはヴェルトが「トーマはどこだ?」と誰かに聞いた数秒後には後ろに控えている。
転移陣が埋め込まれた耳飾りを使って移動しているようだ。
いろいろと勿体ないからやめてほしい。
「…"桐弥"はどうした?」
ヴェルトの発言に、トーマは少し眉をひそめた。
明らかに、"桐弥"について知っているようだったからだ。
「昨日の話を聞いていらっしゃったのですか?」
「…あぁ。もしかしたら一時的なものかと思ったからな」
「…そうでしたか。今、エレナが桐弥さんを起こしに行っています。この様子ですと、変わりないでしょう」
少しして、エレナが食堂に入ってきた。全員の視線を受けたエレナは無言で首を横に振った。
それを見た全員が、無言で項垂れる。
「…キリヤさんはどうなってしまったんでしょう…」
エレナの言葉に、ヴェルトは首を傾げた。
「…キリヤは無事だろ?」
「え!?キリヤさんが何処にいるか知ってらっしゃるんですか!?」
「…?」
ヴェルトと他の全員の間によく分からない沈黙が生まれた。
「…すみません。我々と賢者様の間になにか誤解というか、認識の差があるように思います」
「あぁ。俺もそう思う」
「今の桐弥さんとキリヤさんは別人なのでは?」
「いや、同一人物だ」
「…しかし、本人は別の世界だと…」
「今のキリヤは前世の桐弥だからな」
「…前世?」
また、よく分からない沈黙が生まれ、ヴェルトはやっちまった、と頭を抱えた。
キリヤはヴェルト以外に前世について何も話していなかったのだ。
「あー…なんだ。アイツは前世持ちなんだよ。別の世界で星野桐弥として生を全うして、神に此方に連れてこられたクチだな」
「…だからあれだけ達観した、歳に似合わない少女だったのですね…」
「私はてっきり賢者様の影響でそうなっているのだと思っていましたが」
全員が「成る程…」と納得したところで、ミゼンが口を開いた。
「…だが、桐弥とキリヤでは雰囲気が違わないか?キリヤは飄々とした奴だっただろう」
「まぁ、確かに」
「…俺も前世についてはよく知らん。異世界で二十歳で死んだことは知ってるが」
「今の桐弥さんは17歳らしいですから、何か変化の起こる前だったのでは?」
キリヤは飄々というか、人を喰った性格というか、ふてぶてしい少女だった。
今の桐弥は人を警戒した、傷を負った動物のような雰囲気を持っている。
「まぁ、様子見するしかねぇだろ。俺達はキリヤがどんなやつなのかよく分かってるが、桐弥は俺らを変な奴等としか思ってねぇだろうからな」
昨日の桐弥を思い出してヴェルトたちは頷きあった。
しかし、一週間たってからも、桐弥は他者と関わろうとすることはなかった。




