第9話 触れてはいけないのに
城の回廊を歩いていると、背後から静かな足音が近づいた。
振り返る前に、腕を掴まれる。
「リシェル、少し話をしよう」
低く落ち着いた声。振り返るまでもなく、陛下だとわかった。
「昨日の件だが、私が君に嫉妬しているように見えたか」
突然の言葉に、リシェルは返事を詰まらせた。
陛下は手を離し、わずかに視線を逸らす。
「見苦しかったかもしれないな。君が誰かと親しげに話すだけで、胸がざわつくなど」
その横顔には、孤独と不器用さが同時に見えた。
「でも、私は――」
言いかけたリシェルの言葉を、陛下は一歩踏み出して遮った。
「違う。君に気を遣わせるつもりではない。
ただ……初めてだ。私が“失いたくない”と思う相手が、目の前にいるのは」
その言葉に、リシェルの胸が高鳴る。
「以前、私が話したように、君は私を救う存在だ。
その意味が、日を追うごとに実感として強くなっている。
――強すぎて、恐ろしい」
陛下は自嘲するように微笑む。
「王である私は、愛するものに触れるたび、奪われてきた。
だから君に触れてはいけないのに、触れたくて仕方がない」
その言葉は、囁くように静かに落ちてきた。
沈黙の中、リシェルはそっと袖を掴む。
触れた指先に、陛下の手がそっと重なる。
「……その程度の触れ方でも、私には堪え難い。
君が離れたら、また孤独に戻ると思うと……」
その声には強さと弱さが混じっていた。
リシェルは胸が熱くなり、ただ静かにうなずいた。
その瞬間、陛下は初めて“王”ではなく、ひとりの人として微笑んだ。
孤独だった心に、少し光が差し込んだ気がした。




