第8話 救いという言葉の重さ
朝日が薄く差し込む部屋で、リシェルは静かに目を開けた。
隣のベッドには、ゆるやかな寝息を立てるレオンハルトがいる。
昨日、彼が口にした言葉が胸の奥で響き続けていた。
――君は、私を救う存在だ。
その表情は穏やかだったのに、どこか切なげで、胸が締めつけられるような気持ちになった。
意味を問いただしたかったが、昨日は聞けなかった。
リシェルはそっと身じろぎすると、レオンハルトの長い睫毛が揺れ、瞳が開かれた。
「おはよう、リシェル」
「おはようございます、陛下」
「……またそんなに緊張して。もう何日一緒に起きていると思っているんだ?」
「わ、わかってます……でも……」
リシェルが言葉を詰まらせると、レオンハルトは小さく笑った。
朝の光で映える横顔が美しくて、胸がまた高鳴る。
朝食を終えたころ、扉が勢いよく開いた。
「リシェルちゃーん! 今日も訓練がんばるっすよ!」
マルセルがいつものように明るく入ってきた。
軽い足取りで近づいてきて、リシェルの横にぴたっと立つ。
「はい、よろしくお願いします!」
リシェルが微笑むと、レオンハルトのまなざしが一瞬だけ険しくなる。
マルセルは気づかず、いつもの調子だ。
「じゃ、行きましょう!」
リシェルの腕を軽く触れたとき、レオンハルトが静かに声を落とした。
「……マルセル。彼女に触れる必要はないだろう」
「えっ。あ、すんません! つい……!」
声は穏やかなのに、目だけがわずかに冷たかった。
リシェルはその変化に気づき、胸がざわつく。
(陛下……少し嫉妬してる……?)
そう思った瞬間、自分の頬が熱くなった。
訓練場に移動し、マルセルとともに聖力の操作を始める。
リシェルの周囲には今日も光が舞い、淡い花びらのように漂った。
「やっぱすごいっすね、リシェルちゃん!」
「本当に……昨日より滑らかだ」
レオンハルトの声は柔らかく、けれどその後に続く視線はどこか沈んでいた。
リシェルは意を決して、問いかける。
「陛下……昨日おっしゃった“救う存在”というのは……どういう意味なんですか?」
レオンハルトの表情が静かに止まった。
マルセルが空気を読み、少し距離を置く。
風が静かに流れる中、レオンハルトはゆっくりリシェルへ向き直った。
「……あれは、本心だよ。けれど、君に重荷になるかもしれないと思って、言葉を選ぶつもりだった」
「聞かせてください。知りたいんです、陛下が感じていることを」
リシェルのまっすぐな瞳に、レオンハルトはふっとため息を落とすように微笑んだ。
「私は……ずっと独りだった。人より長く生き、老いも遅い。だからこそ、周りの人間は先に歳を重ね、遠ざかっていく」
淡々と語られているのに、どこか胸が痛むほど静かな悲しみがそこにあった。
「愛した者も、信じた者も、皆老いていった。若さを保つ私に恐れを抱き、距離を置いた者もいる。……私は変わらない。だが、世界のほうが変わっていく」
リシェルは胸にぎゅっと痛みを覚える。
「そんな時に、君が現れた。聖遺物に選ばれた者は、私と同じように“長い時”を歩む可能性がある。……初めてだ。私の隣に立てる人が現れたと思ったのは」
「陛下……」
レオンハルトの指先が宙をなぞり、リシェルの頬に触れそうで触れない距離で止まる。
「だから、君は私にとって……救いなんだ」
その声はあまりに静かで、あまりに切実だった。
胸が苦しくなる。
こんなにも深く、孤独と寂しさを抱えていた人が、救いを求めていたなんて――。
リシェルは震える声で答える。
「陛下は……お一人じゃありません。私は……ここにいます。離れません」
レオンハルトが驚いたように瞳を見開く。
その中で、長年閉ざされていた扉が、ほんの少しだけ軋んで開いたように見えた。
マルセルが遠くから、気まずそうに声を張る。
「あー……そろそろ次のメニュー行きましょうかね! うん!」
リシェルが笑うと、レオンハルトの表情がわずかに和らいだ。
だがその視線がマルセルに向いた瞬間、ほんの少しだけ冷たくなる。
「……マルセル。彼女のそばに立つときは、距離を保てと言ったはずだ」
「ひゃっ……! は、はいぃー!」
リシェルはその様子を見て、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
レオンハルトが嫉妬するほど、
自分を想ってくれるという事実が、嬉しくてたまらなかった。




