第6話 共同生活初日
朝靄が薄く差し込む。
神聖帝国の朝は、王国よりも静かで、時間がゆっくり流れているようだった。
リシェルは柔らかな寝具の上で目を覚ました。
寝台のカーテン越しに見える白い光。
隣のベッドでは、聖王――レオンハルト陛下が穏やかに目を閉じている。
昨日と同じ部屋。
別々の寝台で眠っているとはいえ、陛下と同じ空間にいるというだけで胸が高鳴る。
(別のベッドとは言え…同じ部屋で眠っただけで、緊張する……)
彼の存在はあまりにも大きく、神々しい。
寝息ひとつさえ、祈りのように静かで。
その姿を見ていると、リシェルは思わず息を止めた。
やがて、レオンハルトが目を開ける。
朝の光を映した金の瞳が、ゆっくりと彼女をとらえた。
「おはよう、リシェル。眠れたか?」
「はい……あの、少し……」
「それならよかった」
低く澄んだ声。どこか柔らかいけれど、距離を感じる。
リシェルはその声に安心と緊張、両方を覚えてしまう。
「朝食をとったら、今日は聖堂で簡単な測定をする。聖遺物との共鳴が安定しているか確認しておきたい」
「はい、陛下」
ちょうどそのとき――勢いよく扉が開いた。
「おっはようございます、陛下! リシェル嬢も!」
元気な声とともに、陽の光のように明るい青年が部屋へ飛び込んできた。
赤茶色のくせ毛を後ろでひとつに束ね、琥珀色の瞳をきらきらと輝かせている。
白い神官服を着てはいるが、外套は肩にかけただけ、襟元もゆるい。
どう見ても“神官”というより“旅人”のようだ。
「……マルセル。ノックをしてから入れと何度言った?」
レオンハルトが眉をひそめる。
マルセルと呼ばれた青年は、まるで叱られるのが日常かのように笑ってみせた。
「いやぁ、つい! 静かすぎると朝の空気が重くなるじゃないですか。俺、場を明るくする係なんで!」
「そんな係は任命していない」
「えぇ〜、陛下、冗談きついなぁ」
リシェルは思わず口元を押さえて笑った。
マルセルはとにかく明るく、そしてどこか憎めない。
その空気が、昨日までの張りつめた緊張を少しだけ和らげてくれる。
「さてさて、リシェル嬢。今日は聖堂で聖力の測定ですよ。緊張しなくて大丈夫、俺がついてるんで!」
「えっと……マルセル様、なんだか神官らしくないです」
「よく言われます!」
「褒めてません……」
そんなやりとりに、レオンハルトが小さくため息をつく。
しかしその表情には、ほんの少しだけ苦笑の気配があった。
昼過ぎ、聖堂にて。
リシェルはマルセルに導かれ、聖力を測定する台の上に立った。
彼女の手のひらに、指輪型の測定具がはめられる。
「はい、力を抜いてー……そうそう。聖遺物と呼吸を合わせる感じで」
マルセルの声は軽いが、所作は確かだった。
聖力が流れ、指先が淡く光る。
「うわ、きれいだな……」
「え?」
「いや、光の反応が、です!」
あたふたと誤魔化すマルセルに、リシェルは小さく笑う。
レオンハルトは少し離れた席から静かに見守っていた。
その金の瞳が、ふと微かにやさしく揺れる。
「反応は安定していますね。……リシェル嬢、聖力の流れが素直すぎて、むしろ扱いにくいかもしれません」
「扱いにくい……?」
「はい、純粋すぎるんですよ。汚れがないっていうか。まぁ、陛下の側にいれば自然と慣れます」
マルセルはにこっと笑い、彼女にウィンクした。
その軽さの裏に、聖力を見抜く鋭い眼差しが光る――やはり只者ではない。
***
日が沈み始める頃、夕食を終えた三人は静かに部屋へ戻った。
廊下には聖堂の灯が並び、柔らかな光が石壁を照らしている。
「さてと、今日はもう護衛任務終了ですね」
マルセルがのびをして言う。
「夜は陛下がそばにいるし、俺の出番はなし! 明日の朝、また来ます!」
「そんな軽くていいんですか……?」
「いいんです。俺が残ってる方が邪魔になるでしょ?」
リシェルが困ったように笑うと、マルセルはいたずらっぽく指を振った。
「じゃ、お二人とも良い夜を。陛下、夜更かししすぎないでくださいよ?」
「……言われる筋合いはない」
「ははっ、それじゃ!」
軽い足取りで、マルセルは去っていった。
部屋に静寂が戻る。
レオンハルトは机の上の書簡を整え、ふとリシェルの方を見た。
「……今日も同じ部屋で休むが、構わないか?」
「はい……別々のベッドとはいえ、やっぱり少し緊張します」
「そうだろうな」
レオンハルトは柔らかく笑んだ。
「君はまだここに来たばかりだ。すぐに慣れろとは言わない。だが、私のそばにいる限り、恐れることはない」
その言葉に、リシェルの胸の奥が静かに熱くなる。
陛下の声には、深い優しさと、どこか言葉にできない孤独が滲んでいた。
――この人は、どれほど長い時間を、誰の支えもなく過ごしてきたのだろう。
ベッドに身を横たえながら、リシェルはそう思った。
月光がレオンハルトの髪を照らし、白銀のように輝く。
「おやすみなさい、陛下」
「……おやすみ、リシェル」
静かに閉じられた瞳の奥に、金の光がまだ燃えていた。
二人の心に、まだ互いの想いは届かない――
けれど、確かに“始まり”はそこにあった。




