第4話 神聖帝国への旅立ち
舞踏会から数日が経ち、王宮の朝はいつもより静かに感じられた。
聖遺物の持ち主であるゆえ、王宮で過ごしていたが
リシェルは控室で荷物を整え、指輪をぎゅっと握りしめる。光を帯びるその指輪から、まだ微かに温かさと圧迫感が伝わってくる。胸の奥にざわつく感覚が残り、緊張で手が少し震える。
「陛下……わたし、準備は整いました……」
小さな声で告げるリシェルに、レオンハルトは静かに頷く。
「そうか。君を守るために、私もすぐそばにいる」
金色の瞳は落ち着いていて、しかしその奥には王として背負う孤独がわずかに漂う。
数日経ったとはいえ、まだ指輪の力が完全に安定していない。リシェルが神聖帝国へ行くことは避けられない現実だった。
神聖帝国——そこは聖遺物の管理と神官の修練が行われる場所で、聖王や神官、そして聖遺物の持ち主以外は立ち入ることができない。一般の者や王族の家族ですら、容易には入れない特別な領域だった。
控室の奥に、アランが立っている。
「リシェル、気をつけろよ」
咄嗟の言葉は静かだが力強い。18歳の長男として、妹を送り出す責任と不安がにじむ。
「はい……お兄様」
リシェルは小さく頭を下げ、心の奥で決意を固める。
父ノートン子爵がゆっくりと歩み寄り、娘の手を握る。
「リシェル、君の選択を尊重する。どうか自分を見失わず、力を信じて進むんだ」
母クラリス夫人も近づき、やさしく肩に手を置く。
「無理はしないで……でも、陛下のそばで君は守られる。安心して行きなさい」
アランは無言で妹を見つめ、微かに笑む。
「行ってこい、リシェル。必ず無事でな」
妹の小さな背中に心を寄せ、兄としての責任と不安が胸を締めつける。
リシェルは涙をこらえ、静かに微笑む。
「はい、お兄様、父さま、母さま……必ず無事に戻ります」
胸の奥には家族への愛と、神聖帝国で生きる覚悟が入り混じった。
控室を出ると、王宮の門の向こうに広がる石畳の道が朝日に照らされていた。
神聖帝国へと続く道は、一般の者には許されない特別な道。
神官と聖遺物の持ち主だけが歩むことを許される場所だ。
リシェルは深呼吸をひとつし、指輪を握りしめる。
「陛下……神聖帝国での生活は……」
少し声を震わせて問いかけるリシェルに、レオンハルトは静かに答える。
「君が安全でいられる場所だ。恐れることはない。私がそばにいる」
指輪の光が微かに揺れ、二人の心を繋ぐ。
リシェルは胸の奥で、王の孤独と重責を少しだけ理解する。
その孤独は、決して逃げられず、共有する者が限られているもの。
けれど、今、目の前の聖王がそばにいることが、彼女に勇気を与えた。
家族は最後まで静かに見送る。
クラリス夫人は優しく微笑み、ノートン子爵は誇りと愛情を込めて頷き、アランは強く妹の背中を押した。
リシェルはその視線を胸に刻み、王と共に特別な道を歩き出す。
静かな石畳を進む二人の間に、光は穏やかに揺れた。
胸の奥には緊張と不安が残るが、確かに決意もある。
――わたしは、陛下と共に生きる。
神聖帝国の門が近づくにつれ、リシェルは再び深呼吸する。
誰も踏み入れられない聖域。これから始まる、新しい生活。
孤独も、痛みも、喜びも——指輪を通して聖王と共有する日々が、静かに幕を開けるのだった。




