9 古き吸血鬼は風呂に入る
こうして「日隠治療院」で雇われることになったテネリスは、施設内を案内されながらユウジに声を掛ける。
「ところで、私の方からも聞きたいことがある――魔法少女とは、何だ?」
「魔法少女なあ……まあ、十数年山に籠ってた奴からしたら意味不明だよな」
ユウジはテネリスの疑問に納得の声を上げる。
「生憎と、それを説明するには色々と事情が絡み合っていて、俺では説明しきれる自信がない。現代を知る意味も兼ねて、図書館にでも行ったらどうだ」
「図書館か。それはヴァンパイアでも立ち入っていいのか?」
「少なくとも、ヴァンパイアお断りのルールは無いはずだ。さっきの話を聞いた感じ、日中でも出歩けるんだろ?」
「ああ。そうだな、明日にでも行って来るとするか」
「場所はわかるか?」
「わからぬが、探せばそのうち見つかるだろう」
「流石、ヴァンパイア様は時間感覚の余裕が違うな」
ユウジはゆっくり拍手しながら皮肉るように返す。
「図書館探しに何日もかけられちゃこっちが困るんだ。明日地図を見せて……地図の見方はわかるか?というか、一人で行けるか?」
「当然だ。馬鹿にするでない」
「お前の常識が分からねえから困ってんだよ……」
腕を組んで不服を露にしたテネリスに対し、ユウジは「雇ったのは早まったかな」と小声で呟きながら前を歩く。
「まあそういうことなら、明日の朝にでも説明する。夜行性のお前と違って、俺は昼行性なんでな。眠くて堪らねえ……と、ここをお前の部屋にしよう。好きに使ってくれ」
「ああ、感謝する」
テネリスが案内された場所は、透明なガラスの扉が入口の部屋だった。奥には簡素なベッドが置かれており、恐らく使われていない病室の類であろうことが窺える。
「それと、その服は汚れがひどいから、シャワー室に着替えを置いておく。寝る前に必ず清潔にするように。じゃ、おやすみ。また明日な」
「ああ……おやすみ?」
テネリスは慣れない挨拶を返してユウジの後ろ姿を見届けると、早速部屋の扉に手をかける。
「む?硬いな」
長らく使われていないせいで、扉が何かに引っ掛かっているのかもしれない。そう判断したテネリスは、ぐっと力を入れて引き戸を強引に押し開けた。本来想定されていない開け方をされた扉は大きな音を立てて倒れ、ガラスが割れる音が廊下に響く。
思わぬ事態にテネリスが硬直していると、ユウジが慌てて引き返してきた。彼は粉々になったガラス扉を見て事態を察したのか、一言呟いた。
「……明日は、俺も一緒に出掛ける」
「……頼む」
テネリスはまず、現代の常識を知る必要がありそうだ。それが二人の共通見解となった瞬間であった。
テネリスが自室の扉を破壊した事件があった後、ユウジによる過剰なまでに丁寧な説明を受けてから、テネリスはシャワー室を利用した。
――ここは治療院である前に俺の家でもある。シャワー室を破壊されたら修理代が馬鹿にならない。気を付けてくれ、マジで。
それが就寝前のユウジの最後の言葉だった。それと、何か嫌な予感がしたと思ったら触るのはやめろ、だったか。
これ以上破壊神のような真似をするのは不本意なので、テネリスは大人しくその忠告に従うことにした。
「それにしても、まともに体を洗うのはいつぶりだろうな……」
テネリスは温かい湯舟に漬かりながら考える。
時代を逆行するような暮らし方をしていたテネリスにとって、現代設備の快適さは筆舌に尽くしがたく、血で満たされた後の高揚感とはまた違った満たされた感覚を覚える。
「快適、だ」
テネリスの口から言葉が漏れる。
視線を下げると、すっかり輝きを取り戻した銀髪と白い肌が映る。きっと、今のテネリスは真祖としての風格を取り戻せたはずだ。
「……前の生活に戻れなくなりそうだ……」
正直、ユキと言ったか、あの魔法少女に対して腹が立っていないと言うと嘘になる。
しかし、結果的に血の安定供給と快適な暮らしを手に入れる事が出来たと考えたら、ギリギリ許してやろう、という気持ちにならないでもない。それはそれとして、再会したら意趣返しの一つくらいはさせてもらうが。
それに、少し認めがたくはあるが――ずっと孤独で緩やかな生活を続けていたこともあり、明日からどんな日々を過ごすのかと、内心楽しみにしている自分がいる。
「まさか、こんなことを思う情が残っていたとはな」
テネリス自身、ヴァンパイアとして生きる中でこんな感情を抱くことはほぼ無いだろうと思っていただけに、密かに衝撃を受けていた。
果たしてどれだけの間この治療院に留まるかは決めていないが、少なくともこの快適な暮らしに報いる程度には働いてやるとしよう。
……それと、破壊した扉の修理費分も。
翌朝、破壊したガラス扉の破片を隅にまとめ、ベッドでぼうっとしていると、白衣を着たユウジがあくびをしながらテネリスの前に姿を現す。
「ふぁあ……おはよ――誰だお前」
「は?私はテネリスだ。まさか昨日の事を忘れるわけがあるまい?」
「いや……えぇ……?体洗うだけでこんな変わるか……?」
ユウジが困惑しているが、テネリスもまた動揺であった。
確かに髪のツヤと輝きが戻ったし、色々と汚れも落として、清潔な衣服に着替えたが……それで別人扱いされるのは些か大げさだ。
「何を困惑しているのかよくわからんが、今日は街に繰り出すのだろう?いつにするんだ」
「あ、ああ……。毎日決まった時間に来る客だけ捌いたら、すぐに出よう。それまではこのまま待っていてくれ」
「用心棒はしなくていいのか?」
「いらない。というか、今のお前は怪我人を増やす未来しか見えない」
「……」
酷い言いがかりだと思ったのも束の間、これまでの行動を思い返すと反論の余地が無く、テネリスは黙った。
「ああそうだ、待っている間はこれでも見てたらいい」
唐突にユウジがポケットから小さな鉄の板を取り出し、テネリスに投げ渡してきた。
「これは?」
「俺の予備のスマホだ。握りつぶすなよ」
「すま、ほ……?おい、触ったら光ったぞ?どうしたらいいんだ?」
「……後で使い方を教える。その辺に雑誌があるはずだから、今はそっちを見ててくれ」
ユウジはテネリスから「すまほ」を回収し、引き返した。
何故かはわからないが、テネリスはとても不服であった。




