35 透明な吸血鬼は友に打ち明ける
「……さて、いよいよか」
時刻は夜。ヴァンパイア的感覚で言えば、冷えた空気が美味しい時間帯。
フミの自宅の前に到着したテネリスはひとつ息を吐いた。緊張しているわけではないが、これからそれなりに思い切った行動をするつもりだ。だからそれは、まだ引き返せる一線を踏み越えるための、ある種の儀式であった。
テネリスはインターホンに指を置き、慎重に押しこむ。ピンポンと軽快な音が鳴り、少し待つとフミの声が聞こえてきた。
「……テネリスさん、ですか?」
「ああ。家に入ってもいいか?」
「はい。今お迎えに行きますね」
その言葉を最後に、インターホンからフミの声は聞こえなくなった。初見の機械を軒並み破壊してきた実績を持つテネリスだったが、インターホンは無事、壊れずに役割を最後まで全うしたようだ。
それから十秒ほど待つと、玄関から出てきたフミがテネリスを出迎えた。
「テネリスさん、こんばんは」
「こんばんは。良い夜だな」
「来て下さってありがとうございます。どうぞ、入ってください」
「ああ、お邪魔する」
この家に入るのは今回が二度目だ。特に家の中を見て回ることもなく、まっすぐリビングに移動した。どことなくフミが緊張している様子だったので、テネリス側から歩み寄ることにした。
「この間は、不安にさせてしまったようですまなかったな」
「あっ……いえ、私も疑われてもしょうがないと思いますから、こうして来て頂いただけでも。今、飲み物をお出ししますね」
フミは前と同じように台所から飲み物が入ったコップを持ってくると、テネリスの前に置いた。……今回は緑茶だった。
「それで……ええと……」
「包み隠さず言って構わぬ。こちらもそのつもりで来ておるからの」
「……やっぱりテネリスさん、映らないんですね」
まあその話だろうなと、テネリスは特に驚くこともなかった。ただ、「やっぱり」という言葉にはやや引っ掛かりを覚えた。それが表情に出ていたのか、フミは居間の一角にある端末を指し示す。
「インターホンって、誰が来たか確認できるようにカメラがついてるんです」
「む、それは盲点であったな。今の時代、どこでもカメラがあると思っておいた方が良いのだな」
テネリスは苦笑しながら変装用のサングラスやマスク、帽子を脱ぐ。続けて服のポケットから「すまほ」を取り出し、カメラを起動して自分の写真を撮り、その画面をフミに見せた。
「ほれ、この通りだ。私は、巷でインビジブルと呼ばれているらしい」
画面に映った透明人間を見て、フミはごくりと唾を飲んだ。頭で分かっていても、実際にそれを目の前で見るのはまた違う衝撃があるのだろう。
……それに、まさか今日この日のために、フミとの会話のシミュレーションをしながらたくさん自撮りの練習をしていたとは思わないだろう。真祖たるもの、見えないところの努力も欠かさないのである。
「それで、フミは私をどう思うのだ?」
フミがテネリスはインビジブルだと確信している今、それを誤魔化すよりは堂々としていた方が信用は得られると踏んでいた。その予想を確かなものにするための確認であった。
テネリスの問いかけに対し、フミはテネリスの向かい側に座って口を開く。
「……テネリスさんとお別れした時までは、テネリスさんは野良の魔法少女なんだと思っていました。だから、一緒に戦っていたのがインビジブルかもしれないって言われて……とても、驚きました。だって、それってつまり、テネリスさんは幹部で、人を襲ったことがあるってことですよね?」
滝のように溢れるフミの言葉に、テネリスは頷くわけでもなく続きを待った。
「でも、私の知っているテネリスさんは、常に落ち着いているようで、どこか抜けていて……強くて優しい人です。だから人を襲ったというのも、何かの間違い、ですよね。……ほら。たとえば、インビジブルは二人いるとか……!」
フミは縋るような目を向けてきたので、テネリスはおもむろに首を横に振った。
「残念だが、この世にカメラに映れない怪物は私しかいないだろう。私は確かに霧が丘街で人を襲った。認めよう」
「そ、そんな。どうしてですか?」
「それは――」
フミの言葉に、テネリスは深く息を吐いた。ここからが「それなりに思い切った行動」の始まりである。
「――私が、ヴァンパイアだからだ」
「ば……え、バンパイア?」
「ヴァンパイアだ。知っておるか?」
「そ、それは、はい。知ってますけど……」
フミの疑心に満ちていた目は、狂人を見る者のそれに変わってしまった。緊迫した空気が解消したというのに、さっきよりもいたたまれない空気である。
だが、これが普通の反応なのだろう。比較的すんなりとテネリスのことを受け入れたユウジは、やはり少しおかしいのだ。
「順を追って説明するべきであろうな。そうだな、まずは――」
テネリスはかつてユウジに説明したように、この街に来るまでの経緯を話し始めた。
「――というわけで、今は雇い主のもとで暮らしているわけだ」
ユウジに関する詳細は一切告げていないが、ひとまずテネリスのことは伝わったはずだ。
そう判断したテネリスは、説明の途中から背に生やした、一対のコウモリを思わせる黒い翼をバサバサしながら、緑茶を啜った。
開き直って人外要素を全開にした解放感も相まって、とてもリラックスした気分であった。
他人の家で好き放題くつろぎ始めたテネリスに対し、フミは混乱しつつ問いかけてくる。
「……どうしてここまで説明してくれたんですか? 私が今聞いたことを、全部ICOに伝えるとは思わなかったんですか」
「ああ、思わんとも。メッセージでそう言っておったし、私達の関係は『こっそり』だ。そうだろう?」
テネリスは「すまほ」のメッセージを見せながら返した。
「た、確かにそう言いましたけど……いや、そうですね。友達が信用してくれたのなら、私もそうするべき、ですよね」
フミは立ち上がると、テネリスの前に立って手を差し出した。
「……決めました。私、テネリスさんのことを信じます!」
「ふむ。ということはやはり、私のことを疑っていたのか? 確かに、魔法少女だとは教えてくれなかったしな……」
「ああいやっ、別に信じていなかったわけではなくてっ! こう、言葉の綾というか、改めて信じようって思ったっていうことで。魔法少女だと伝えなかったのも事情がありましてっ!」
「ふふ、冗談だ。少し意地悪なことを言ったな」
テネリスがわざとらしくしおらしく振舞えば、フミは両手をじたばたと動かして弁明し始めた。その様子が何ともおかしく、自然と笑みが漏れた。
テネリスは慌てふためいていたフミの手を握ろうとして――以前ユウジと握手した時に痛がっていたことを思い出し、細心の注意を払いながら握ることにした。
これにてテネリスとフミの間で和解して一件落着――ではない。フミにとってはそうなのかもしれないが、テネリスの本題はここからだ。
「さて、こうして魔法少女たるフミに対して正体を明かしたのは、単にフミが友人だからというだけではない――何が目的だと思う?」
「え?」
フミは表情を強張らせると、体をもじもじさせ、顔を赤らめる。
「も、もしかして……私の血、ですか? て、テネリスさんなら、いいですよ……?」
「ふむ……そのつもりはなかったが、確かに、魔法少女の血が飲めるかは確かめるべきかもしれぬな」
わざわざ魔法少女の側から血をくれるなんて、こんな機会は中々無いだろう。折角の申し出なので、フミの気が変わらないうちに少し血を拝借することにした。
「少し痛いやもしれぬから、目を閉じておるがよい」
「は、はい……」
フミの体は縮こまり、目に見えて緊張している様子だし、ますます早く終わらせねばならない。
テネリスはフミの首筋に目を向ける――ことはなく、フミの服の袖をまくり、懐から取り出した注射器を腕に刺して採血した。紅くて美味しそうな液体で注射器の中が満たされたら、さっと針を抜いて清潔な布を当てる。
「よし、終わりだ。痛かったか? 頑張ったな」
「え?」
フミの頭を撫でてやると、彼女は呆然とした表情で固まっていた。テネリスが治療院で手伝っている時、注射を頑張った子供にいつもやっている癖が出てしまったが……まあ、問題はないだろう。
ユウジから万が一の時のためにと支給されていた注射器だったが、なるほどこういう場面を想定してのことだったか。中々ヴァンパイア的視点を理解しているようだし、帰ったら一言感謝を告げておくとしよう。
そんなことを思いつつ、テネリスは注射器からフミの血を数滴指先に垂らして舐めた。
「……ふむ、健康な生娘の味。魔法少女の血も問題なく飲めそうだ」
「あの……え、終わり……?」
注射器から取り出した血を舐めて感想を述べたテネリスを前に、フミは呆然と立ち尽くしていた。
流石に、生産者の前での食レポはデリカシーに欠けていたのかもしれない。テネリスは一つ、反省を心に刻んだ。




