34 透明な吸血鬼は未読で無視する
フミと買い物に出かけた翌日の夕方。長々と眠っていたテネリスは目を覚ました。
「……腹が減ったな」
そういえば、昨日帰って来てから血を摂取していなかった。こんなにも空腹感があるのは、昨日たくさん血操術を使ったせいだろう。
テネリスは自室に設置してもらった小型の冷蔵庫を開けると、自分用の血液製剤のパックを取り出して口に運んだ。どこぞの哲学者が遺した「空腹は最高のソースだ」という言葉の意味が、今ならよくわかる。
血を摂取しつつ「すまほ」の電源を入れると、通知欄の最上部にメッセージが届いていることに気が付いた。
昨晩、メッセージを送り間違えたことでユウジが追い打ちでもかけてきたのかと思ったが――送り主はテネリスにとって初とも言える友人にして魔法少女だった少女、フミであった。
『テネリスさん、こちらこそ楽しかったです!』
『それで……改めて、昨日のことでお話したいことがあります。またお会いできませんか?』
「……ふむ」
メッセージに目を通したテネリスは無意識に息を漏らした。「昨日のこと」のうち、何についてお話するか次第で返事が変わるからだ。
まあ、これは少し考えてからでもいいだろう。テネリスはメッセージに既読をつけずに「すまほ」をポケットに入れ、ユウジの様子を見に行くことにした。
この時間なら、彼は診察室にいるだろう――そう思いながら引き戸を開けると、開口一番、ユウジはテネリスに向けて告げる。
「――テネリス、話がある」
「お前もか。人気者は辛いな」
テネリスはおどけながら患者用の丸椅子に腰掛けた。何となく、ユウジに診察される患者はこんな気分なのだろうな、とどうでもいい感想を抱いた。
「で、どうした。何か問題があったか?」
「ああ。昨日、ショッピングモールで魔物が湧いたと言っていたな?」
「ああ。そういえばあまり詳しい説明はまだしておらんかったな。ふむ、どこから説明したものか――」
「――いや、説明する必要はない」
「む?」
テネリスの言葉を遮ったユウジは、手に持っていた端末を操作して近くの画面に記事や動画を並べていく。
「この通り、お前がすやすや寝てる間に結構な話題になっていたらしい。だから大体のことは知っているつもりだ」
「そうか。お前があくせく働いている間に結構な話題になっていたのだな」
テネリスは特に意味もなくユウジの言葉に意趣返しで返しつつ、画面に並べられたそれを眺める。
「人が魔物に?怯える市民」「ICO『魔物災害の兆候は確認されなかった』」「現場に現れた『黒ローブ』とは?白鷺フミやインビジブルとの関係は?正体を調べてみた!」などなど、ニュースや新聞の抜粋もあれば、不安を煽るだけのデタラメ記事まで多種多様なラインナップが展開されている。
それに、買い物中避け続けていた監視カメラによる映像も見受けられる。黒いローブを着たテネリスやフミの姿が見切れて映っている様子が、短い動画として表示されている。
「ちなみに、この魔法少女の白鷺フミって子は? お前のお友達と名前が同じみたいだが」
「ああ、同一人物だ。私も昨日知ったばかりで、『お話したい』とメッセージを貰っていたところでの。返事は保留にしておる」
こんな事態になっていると知ったテネリスは、フミへ返事を即座に返さなかった己を内心称えた。こうなるとフミの「お話」の内容もいくらか見当がつきそうだし、少しではなく、じっくり考えて返事を返さねばならない。
「こうなると、お前の計画を考え直す必要が――ああいや、そもそも配信が無理って時点で計画も何もなかったな。すまん」
「やかましいぞ」
テネリスは小馬鹿にしてきたユウジの足を軽く小突いた。微妙に痛がっていたように見えたが、まあ、医者なら自分で何とかするだろう。
それより彼の言う通り、計画を考え直す必要がある。今一度、原点に立ち返って整理してみよう。
テネリスの最終的な目標は、ヴァンパイアを社会的に受け入れさせ、血を得られる環境を創り上げることだ。
そのために、「正義」の立場になろうと考え、ICOの魔法少女よろしく配信をしてやろうと目論んだが、ヴァンパイアはカメラに映らないし、ICOが「インビジブル(仮称)」とかいうセンスの欠片もない名称で懸賞金をかけてくれたおかげで、透明人間として配信をすることもままならない。
……じゃあどうしよう?というのが今のテネリスの現状だ。盛大に何も始まっていないのに、状況だけかき回してしまったわけである。
「うーむ……」
テネリスが腕を組み、丸椅子でくるくるしながら唸っていると、ユウジが脛のあたりを抑えながら口を開く。
「不幸中の幸いなのは、あくまでも世間の目は『テネリス』じゃなく『インビジブル』に向いていることだ。お前にとっては不本意だろうが、映像に映らない体質に救われたな」
「それはそうだな。この治療院に私目当ての輩が押し掛けなかったことに感謝するがよい」
「ああ。もしもの時は責任取ってお前が撃退しろよ」
「言われずとも、二度と私の前に立てない体にしてやろうぞ」
ユウジなりにフォローをしたつもりなのだろう。テネリスは冗談めかしつつ言葉を返し――ふとあることが気になった。
「ところで、インビジブルはどういう評判になっておるのだ?」
「ICOは引き続き幹部かどうか疑っているところだな。例の懸賞金も取り下げられてはいないようだ。世間は……そうだな……」
ユウジは再び端末に目を下ろし、画面に表示していた記事を右へ左へと移動させ、整理していく。
「あくまで体感でしかないが、肯定的な評価が二割、疑惑が五割、否定的な評価が三割ってところか」
画面に表示されていた記事がそれぞれ青、灰色、赤の三色で色分けされた。ユウジは机に立ててあったペンを手に取り、画面を指し示しながら説明していく。……妙に様になっているのが、何だか癪である。
「肯定的意見ってのは、ショッピングモールを守ったヒーローだとか、そういう感じの意見だな」
「ふむ、それは予想がつくな」
実際、ICOがそう思ってくれることを期待して戦闘に介入したので、概ね期待通りの評価と言える。
「次に否定的意見。元が人かもしれない魔物を躊躇なく襲ったのが怖い、前科があるから信用できない、そもそも人か怪しい……まあ、これ以上は止めておくか」
「私が何も言わないからと随分と言いたい放題しておるな。私が理性の歯止めが効かないヴァンパイアだったらどうするつもりなのだ?」
「まさか、世間もこの世にヴァンパイアがいるとは思ってないだろうよ」
ユウジは苦笑しつつ、灰色に色分けされたものを指し示す。
「で、最後に疑惑……文字通り、よくわからなくて怖いって層だ。これから肯定的にも否定的にもなりうる」
「そうか。ふーむ……」
テネリスは再び丸椅子で回転を始める。
「何かいい考えは浮かんだか?」
「そうだな、すぐには思いつかぬが、少なくとも考え直す足がかりには……む?」
突如、テネリスの「すまほ」が何度か振動し、メッセージを受信したことを知らせる。目の前にユウジがいる以上、送り主は一人しかいない。
『私が正体を隠していたことで不安にさせていたら、ごめんなさい』
『私が会いたいと言ったのは、お仕事とは関係ありません』
『絶対に騙したり、裏切ったりしません』
一瞬何の話かと思ったテネリスだったが、すぐにメッセージの意図を理解した。
改めて思い返すと、フミが最初にメッセージを送ってきた時刻は昨日の夜――日中に活動していた分を取り戻すべく、テネリスが何度寝したかもわからないくらい惰眠を貪っていた時刻である。
そうしてテネリスが目覚めたのは今日の夕方、つまりあと数時間でフミがメッセージを送ってきてから、丸一日経過するくらいの頃合いだ。
つまり、テネリスの昼夜が不規則に逆転する生活のせいで、フミからすればテネリスが無視を決め込んだような状況になっているのである。きっと相当不安になっているのだろう、文面にどことなく思い詰めているような空気が滲んでいる。
「ユウジ、少し待て」
テネリスは一言断ると、いつまで経っても慣れない手つきで「すまほ」を操作し、メッセージを打ち込んでいく。
『ふみ 落ち着け』
『今度生憎』
『あいにいく』
「テネリス、どうしたんだ?」
「……保留していた返事を返した」
じっくり考えるつもりがどうしてこうなったのやらと、テネリスはため息をついた。よくよく考えれば、どうあれフミとは話すことになっただろうし、問題はないだろう。




