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善き吸血鬼は血を求める  作者: 岬 葉


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1 飢えた吸血鬼は血を求める

 ヴァンパイア――それは世界各地に様々な伝説を残す、闇夜に潜む怪物の一つ。


 人の形をしながら、人の枠を大きく逸脱した能力を持ち、その力でもって人間を襲い、血を啜り、恐怖と混乱を齎してきた恐ろしき存在。


「――腹が減った……死ぬ……」


 そんな存在が今、人知れず飢えで死にかけていた。


 古びたログハウスのベッドで気だるげにぼやく少女の名はテネリス。始祖と呼ばれる存在によりヴァンパイアとなった、由緒ある真祖の一人である。


 つまり、テネリスの飢えの正体は、人間の血の渇望であった。


 ヴァンパイアが人の血を飲まねば生きていけないというのは現代では有名な話だ。だが一方で、「血を飲まなかった者の末路」を知る者は居ないだろう。何なら、ヴァンパイア当人ですら知らない。


 それも当然のこと。ヴァンパイアは人外の力で容易に人間から血を得ることができる。血を得ないままに過ごした結果どうなるのかを知る者は、きっと誰一人として居ないだろう。


 果たして、普通の生物のように息絶えることになるのか、無限に続く飢餓に苦しむことになるのか、はたまた一般ヴァンパイアのように血を求めて彷徨う獣となるのか――このままだと、その答えはテネリス自身が身をもって明らかにすることになるだろう。


「どうしてこの私が、こんな目に遭わねばならんのだ……」


 真祖ともあろう者、本来であれば、適当に拵えた召使を扱き使いながら、豪奢な洋館でグラスに入った深紅の血を優雅に傾けて――そんな悠々自適な暮らしを送っていたはずだ。


 それが実際はどうだろうか。


 見ての通り、この狭い小屋で暮らしているのはテネリスただ一人。ヴァンパイアと縁のある動物の代表格であるコウモリの姿すらない。


 屋内、目につくものは何十年と使い古したものばかりだ。暇潰しに幾度と読み倒した本は古代の書物のような様相を呈しているし、ベッドはすっかりテネリスの形を覚えてしまっている。


 ただ、最低限雨風を凌げないと困るので、穴が空いたところは徹底して塞いでいる。テネリスの住処が「ログハウス」の体裁を保っているのは、その涙ぐましい努力の賜物だ。


 なお、穴を塞ぐための素材には事欠かない。何故ならこの地は、これ以上ないほどに自然が豊かな場所――光源は太陽と月の光以外になく、建物はおろか、獣道のひとつすらない――究極の陸の孤島だからだ。


 故に、娯楽などもってのほか。


 喉が渇いたなら歩いて一分そこらの川へ行くか、その辺に居る野生動物を狩って血を啜るかの二択を迫られることになる。当然だが、川までまともな道は存在しない。もっと言えば、水を飲むという行為は、ヴァンパイアの生命維持の観点からすればほぼ無意味である。


 こんな場所での暮らしを続けていた甲斐あって、月のごとき輝きを放っていた長い髪はくすんでボサボサ。暗がりでもルビーのごとく輝きを放っていた瞳は濁り、口から覗かせる牙は血を求めて疼いている。


 誰が見ても、今のテネリスに真祖としての威厳は微塵も感じられないだろう。


「これも全部、あの馬鹿どものせいで――」


 テネリスが、かつて存在した有象無象の同族を脳裏に浮かべた直後、そよ風で軋むログハウスの音に紛れ、何かが屋根裏を這う音が耳に入る。


 直後、テネリスは衝動的にベッドから跳躍して音がした場所に手を伸ばし、目にも止まらぬ速さで、音を鳴らした主であったネズミを掴んだ。


「ハア、ハア……血だ、血だァ……!」


 痛みを感じる間もなく事切れたネズミから漏れる血の臭いを前に、テネリスは涎を垂らし、濁った眼をギラギラと光らせた。


 今のテネリスの姿は、ある意味では実にヴァンパイアらしい姿であっただろう。




「……もう我慢できん」


 日が暮れた後、ネズミを糧として衝動を誤魔化したテネリスは深く息をついた後、ぼやく。今までは何とか耐えていたが、先刻のネズミのせいで中途半端に満たされてしまい、歯止めが効かなくなってしまった。


「人を、見つけねば……!」


 体力を温存するためにも、できることならば自ら動くようなことはしたくない。


 だが貴重な夜の時間は刻々と過ぎていて、一度日が昇ってしまえば、その日が沈むまでまたこの不毛な時間を過ごすことになってしまう。テネリスはすっかりこの生活に辟易していた。


 意を決したテネリスはゆらりとベッドから身を起こす。


 その時ふと視界に映るのは、何時だかここに来た人間が置き忘れ、すっかり埃を被った手鏡だ。もし己の姿が鏡に映るなら、きっと今は酷い顔をしているだろう。


 そんなことを思いつつ、ログハウスの戸に手をかけた。ドアノブがばきりと音を立てて外れたので放り捨て、強引に押し開けて外に出る。


 そして、そよ風に揺れる木々の音や、鈴虫の鳴き声、月明かりに照らされた自然がテネリスを出迎えた。切羽詰まっているテネリスとは対照的に、忌々しいほどに和やかだった。


 テネリスはその光景に目もくれず、背に一対の黒い翼を生やして空高く飛翔する。これだけでもテネリスに残された僅かなエネルギーを消費してしまうが、これはもう、人間の血を得るための必要経費と割り切る他ない。


「確か、街がある方角は……向こうだったな?」


 テネリスは、遠く、山々の間に僅かに見える人工物の影を認めると、そこへ目がけて勢いよく滑空していった。




 街へ着いたら人を見つけることは造作もないことだと、そう思っていた。


「――人っ子一人居らぬではないか!」


 テネリスを出迎えたのは、朽ち果てた「霧が丘街」の看板であった。


 その時点で少し嫌な予感はしていたが、テネリスの記憶が正しければ、この街は小規模ながら住宅街やビル、鉄道駅、スーパーマーケットなどの施設が一通り整っている、周囲が山に囲まれている割には栄えている街であった。


 だからこそ、適当に歩いていれば、人間の一人や二人程度なら容易く見つかると踏んでいた。だが今のところ、十分ほど街を放浪したにもかかわらず、人の姿はおろか、気配すら感じられない。


「寝静まるにしても静かすぎるぞ……」


 最近の人間は、寝る時に気配を消すように進化したのだろうか。だとしたら、随分とヴァンパイアに対して不親切なものだ――半ば現実逃避気味にそんなことを考えつつ、テネリスは近くにある民家に歩み寄り、割れている窓から屋内を覗き込んだ。


「一体何がどうなっているのだ?」


 窓が割れている時点でお察しではあるが、カビの匂いが充満し、物が散乱していて、床や天井も抜けている。見た目の酷さならテネリスのログハウスといい勝負が出来そうだ。


 などと思っていると、ふと床に落ちていた『二◯四五年七月』と辛うじて読める、色褪せたカレンダーが目に留まる。


「今は、二千……五十とかか?最低でも四十五は越しておるよな……?」


 テネリスはその場で指を折って数える。


 テネリスの齢はとうに三桁に達しており、人間社会に交わらずに生きてきたせいで、年号や西暦を意識して生活する場面も無かった。故に、年月日は勘に頼り切って推し量ることしかできなかった。


 しかしそれでも、このカレンダーの日付がかなり古いものであることは確信できた。


「……他の家はどうだ?まさか誰も居ないなんてことは……ないよな?」


 たまたま覗き込んだ家がゴミ屋敷だったとか、単純に場所が悪かった可能性に賭けるほかない。


 テネリスは流れるように隣の家屋を覗き込み、人が居ないのを確認し、また別の家に移り――それをひたすら繰り返した。




「――最悪だ」


 この街を隅から隅まで散策したテネリスは、道路の中央で呆然と突っ立ったまま、吐き捨てるように呟いた。


 結論、この街はテネリスの知らぬ間にゴーストタウンと化していた。


 人は居ない。電気も通っていない。車は道路に乗り捨てられ、雑草は好き放題に生い茂り、あらゆる建物が廃屋と化している。


 しかし、全く収穫が無かったわけではない。様々な場所のカレンダーや時計の状態から「二◯四五年七月五日」ごろに何かがあったことが分かった。


 その何かの詳細は不明だが、街の一角のある地域に、まるで巨大な怪獣が戦ったかのような痕跡が残っているのを見つけた。辺りには変色して黒くなった、血のような跡もあちこちに見受けられた。間違いなく、ここで何かがあったに違いない。


「……だが、そんな事はどうだっていい」


 人間の血を得ることができない――それ即ち、死。


 この事実を突きつけられているテネリスは、それはもうやさぐれていた。


 この街で起こった惨劇も、裏で渦巻いているかもしれない陰謀も、全部、何もかもが心底どうでもいい。


 ただただ、血が欲しい。もうそれ以外の事は何も考えられなかった。


「はあ。日の出の刻も近い、か」


 すっかり意気消沈したテネリスは近くの廃ビルの一室に身を隠した。街の探索に時間を使ってしまったせいで朝日が昇り始める時間が来てしまったのである。


 こうなってしまっては、もう次の夜まで活動することは困難だ。ログハウスへ帰るにも遅すぎる。


「いっそ、ここで人間を待つとしよう……」


 幸い、このビルの個室はかつての住居より余程快適だ。それに、腐っても街なので、人間が来る可能性は何もない山の中より格段に高いはずだ。


 そんな希望的観測を胸に、テネリスは部屋のカーテンをしっかり閉めてベッドに横になった。


 テネリスの身体を包むように沈む柔らかいベッドは快適だったが、隙間から漏れてくる忌々しい紫色の日差しと、貴重な体力を消費した一日を無駄にしたという事実が、全てを台無しにしていた。

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