ちゃんと責任取って
「だから婚約破棄についても……受け入れたいと思ってる」
あれほど婚約破棄を拒否し続けていたヴィルからの唐突な承諾に、私の頭の中は真っ白に塗り潰された。数日前までは確かに私の方が望んでいたことだ。なのにいざ彼の口から肯定された途端、ここまで絶望的な気持ちになるだなんて、想像もしていなかった。
ショックで黙り込んでしまった私を、ヴィルが不安そうな眼差しで見つめてくる。
「キャロル? その、何か言って欲しいんだけど……」
「……つまりヴィルは、私と婚約破棄したいってこと?」
質問に質問で返すのはマナー違反だと知りつつも、問わずにはいられなかった。するとヴィルは驚いた顔をしながら大きく首を横に振る。
「そんなわけないだろ! 俺はキャロルが好きだし本当なら今すぐにでも結婚したい! けど……」
「けど? もう隠し事はしないで。ちゃんと正直に言って!」
私がそうまっすぐにぶつければ、ヴィルは苦渋の表情を浮かべた後でそっと自身の左腕に触れた。
「……刺された位置が悪かったからか、左上腕から下が上手く動かせなくなってるんだ。リハビリ次第では回復する可能性もあるとは言われたけど、おそらく完全に元には戻らないと思う」
「そん、な……」
――私のせいだ。私なんかを庇ったから。私がジョージに捕まったりしなければ、こんなことにはならなかったのに……!!
自責の念に駆られ打ちひしがれる私に、ヴィルがそっと自由に動く右手を伸ばしてきた。労わるように頬を撫でられる。温かい。その優しい触れ方に、思わずぽろりと涙が零れた。
「頼むから泣かないでくれ、キャロル……俺はあの日、君の盾になれたことだけは、自分で自分を褒めてやりたいくらいなんだ」
「……ヴィルのばかぁ!! ……なんで、そんなこと言うのよぉ……っ」
下手な慰めでますます涙が止まらなくなってしまった私に、ヴィルがオロオロしながらも目尻を拭ったり肩を撫でてくれる。それがまた涙腺を刺激して、私はしばらく子供みたいにしゃくりあげながら泣いてしまった。
私のせいでヴィルに一生消えない傷を残してしまったこと――後悔してもしきれない。
……それでも、彼が生きていてくれたことが、嬉しかった。一歩間違えば本当に死んでいたかもしれないのだと改めて実感したから。こうして言葉を交わせること。触れ合えることが、今では奇跡のように思える。
ひとしきり泣き続けた私が落ち着きを取り戻すまでにはかなりの時間を要した。しかしその甲斐あって、ひとつ気づいたことがある。
「ヴィル……もしかしなくても、婚約破棄に同意したのは、その怪我が原因なの……?」
彼は大変気まずそうな顔をしながら、小さく頷いた。
「流石に後遺症持ちの伴侶なんてバーミリオン伯爵家には相応しくないだろ? 俺も、キャロルの荷物にはなりたくないし……」
「――――馬鹿!!!!」
生まれてからこんなに叫んだことはない、というぐらいの声量で私はヴィルを罵倒した。彼は驚きのあまり目を白黒させている。だが私の怒りはこんなことでは収まらない。
「てっきり私に愛想尽かしたのかと思ったのに、そんな理由で婚約破棄!? ふざけないでよ!!」
「キャ、キャロル落ち着いてここ病室――」
「落ち着けるわけないでしょヴィルの大馬鹿者!! なんでそんなに簡単に諦めちゃうのよ! 私のことが本当に好きなら……っ! そんなことで身を引いたりなんかしないで!!」
一気にまくし立てたせいで肩で息をする羽目になった私はそこで一度グッと両手を握りしめる。それからなんとか気を落ち着かせると、今度はヴィルの左手にそっと両手を伸ばし、優しく包み込むように触れた。そして、されるがままのヴィルをじっと見つめながら、小さく訊く。
「…………痛い?」
「え? あ、いや、大丈夫。ちょっと感覚が鈍いだけだから」
「そう、良かった……ねぇヴィル。私は確かに貴方のことを未だに心から信用できてはいないのかもしれない」
その言葉にヴィルはハッとするが、すぐに神妙な面持ちで頷いた。
「さっきも言ったけど、それは当然のことだと思う。どう言い繕ったって俺がキャロルに嘘を吐いて傷つけた事実は変わらないから」
「うん……でもね。それでも私は、ヴィルのことをもう一度信じられるようになりたいとも、思ってるの」
これが私の偽らざる本音だった。ヴィルに裏切られたと感じた瞬間、本当に悲しくて、辛くて。いっそ全部忘れてしまえたらと思った。嫌いになれたら楽なのにと願った。それでも、私は最後までヴィルのことを本当の意味で嫌いにはなれなかった――ううん、違う。ずっと、好きって気持ちは消えなかったのだ。そして、それは今もこの胸にしっかりと息づいている。
「怪我を理由に婚約破棄したいっていうなら、私はそんなの絶対に認めない。もし、今でもヴィルが私のことを愛してくれているなら――ちゃんと責任取って、結婚して」
息を呑むヴィルの瞳が、期待と不安で大きく揺れたのが分かった。彼はあえぐように言う。
「……それは、俺に都合が良すぎないか……?」
「え? そんなことないと思うわよ? だってヴィルはこれから先、一生をかけて私に自分の気持ちを信じさせないといけないんだから」
人の気持ちは目には見えない。だからこそ、言葉で、行動で示し続けていかなければならない。
それが本当に出来るのかと目線で問えば、ヴィルは心の底から嬉しそうに破顔した。
「それこそ望むところだ。言っておくけど俺の初恋はキャロルだし、これから先も君以外を好きになることは絶対にないよ」
「ふぅん? でも、口で言うだけなら誰にでも出来るわよね?」
「……言ったな? 退院したら覚悟しろよ。もう一切遠慮しないから」
その言葉と熱の籠った眼差しに、私は少しだけ早まったかもしれないと苦笑いを浮かべる。けれど決して嫌ではなかった。むしろちょっと楽しみだと思っている自分がいる。重症だ。
そこで話題を変える意味も込めて、私は触れたままのヴィルの左手を改めてぎゅっと握る。もうひとつ、これだけは伝えておかねばならない。
「リハビリについては私も出来る限りのサポートをするから。もし前みたいに動かせなくても、私が貴方の分まで手を動かすわ。そうやって、お互いに支え合えるようになっていくの。分かった?」
「……ほんと、参ったなぁ」
ヴィルはそう呟くと、絶対安静にもかかわらずまたしても上半身を動かし、私の肩にぽすんと額を乗せた。甘えるように。
「また惚れ直した。君と出会ってから、俺の情緒はめちゃくちゃだ」
そっちこそ責任取って、と彼が幸せそうな声で囁いてくる。
恥ずかしくてくすぐったくて、嬉しくて。
私は本当に久しぶりに、心からの笑みを浮かべることができたのだった。
おそらく次で最終話となります!最後までどうぞお付き合いいただけますと幸いです!
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