約束して
状況が動いたのは、それからすぐのことだった。
「……ジョージ様、キャロル様をお放しください……っ」
顔面蒼白で立っているのもやっとな状態にもかかわらず、ウェンディが精一杯の声を上げた。私は余計なことはしなくていいと咄嗟に首を振るが、彼女はその紫の透き通った瞳をジョージにのみ向けている。一方、ジョージはまるで可愛らしい子猫に威嚇されたくらいの気安さで嗤った。
「敢えて見逃してやっているのが分からないのかな? 君にも色々と言いたいことはあるんだよウェンディ」
「っ……言いたいこととは? ぜひ、お聞かせください」
「とぼけなくていいよ。君なんだろう? ロバートを使って僕とキャロルの仲を引き裂こうとしたのは」
おかしいと思ったんだよ、とジョージは嘆息する。
「あれだけ注意を払っていたにもかかわらず、現場を押さえられるなんてさ。あまりにもタイミングが良すぎた。それで調べてみれば案の定ってわけだ。本当に参ったよ」
「っ……元はと言えば貴方がウェンディ様を裏切ったのが原因でしょう!? 恥を知りなさい!」
まるで被害者のような口ぶりに我慢できず、気づけば怒りに任せて叫んでいた。彼は一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、すぐに目を細めて私を拘束する腕の力を強めてくる。
「確かに若気の至りだったのは認めるよ? でも仕方がないだろう? 僕はどうしても君と結婚したかったんだから。君との縁談が持ち上がった時点で、僕がウェンディを選ぶ未来は消滅したんだよ」
「……本当に、なんて身勝手な」
「そうだね。僕は身勝手な人間なんだ。だからやっぱりこのまま君を連れ去ることにするよ」
「っ!? 嫌よ! 私は貴方とは行かない!! 家に帰して!!!」
「キャロル様!!」
その時、ウェンディが私とジョージを引き剥がそうと駆け寄ってくるのが見えた。しかしジョージは無造作に片手でそれを払いのける。もともと華奢な令嬢であるウェンディは勢いよく床に倒れてしまった。
「ウェンディ様!!」
「おっと、暴れないでよキャロル。言うことを聞いてくれないと、僕の足は近くにあるものを蹴り飛ばしてしまいたくなるよ?」
暗にウェンディに暴行を加えると脅しをかけられ、私は信じられない気持ちでジョージを振り返る。彼は変わらず柔らかな笑みを湛えていた。本気だ。そう思った瞬間、私は完全に動きを止めた。
そして私は、最悪の決断を下さざるを得なかった。
「――分かったわ。もう抵抗しないから、彼女に何もしないで」
「っ!? キャロルさま! だめです!!」
未だに起き上がれないウェンディが必死で叫ぶのに、私は力なく微笑みを浮かべることしか出来なかった。彼女はヴィルの大切な人だ。もうこれ以上、ジョージのようなクズに傷つけさせるわけにはいかない。
「ジョージ、約束して。彼女をこのまま見逃すと。その代わり、もう貴方に逆らわない。このまま一緒に行くから」
「うん、約束するよ。そもそもこんな女、僕からしたらどうでもいい存在だしね」
鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気のジョージは、そこで初めて私たちから視線を外した。どうやら雇った男たちに指示を出そうとしているようだと気づく。もう一刻の猶予もない。私は絶望的な状況下で、それでもウェンディを前に涙だけは見せないようにと堅く目を瞑った。
――その時、だった。
「うわああああああ!!!?!」
耳をつんざくような男の叫び声に驚いて顔を上げた私は、その光景に胸を大きく震わせた。
「キャロル!! ウェンディ!!」
「――――ヴィル、なんで……!?」
私たちの名を呼びながら屈強な男たちを斬り捨てていたのは、間違いなくヴィルヘルムだった。彼はこちらに向かって猛然と走って来る。その行く手を阻もうと男たちが群がるのだが、その度に彼の剣が高速で閃き、気づいた時には男たちの方が地面に突っ伏す結果となっていた。
「キャロルー!!! 無事か!!?!?」
「お父様!?」
ヴィルにばかり気を取られていたが、よくよく見ると我が伯爵家の護衛たちや父の姿もあった。彼らもヴィルに加勢する形で戦線に加わる。数は圧倒的にこちらが有利のようで、先ほどとは一転、今度はジョージ側の勢力がみるみるうちに制圧されていく。
これに焦ったジョージは私の右手首を掴むと強引に走り出そうとした。しかしヴィルの接近の方が速い。
「――止まれ、ジョージ・マホガニー。もうお前に勝ち目はない」
そう冷たく言い放つヴィルの剣の切っ先がジョージへとまっすぐに向けられる。勝敗は決した。誰もがそう思ったが、
「ははっ……ははは、あはははははははは!!!!」
当のジョージだけが唐突にけたたましい笑い声を上げた。未だに彼に手首を掴まれたままの私がその大音声に驚いて肩を竦めた瞬間、ジョージは自分の背中の方に手を回すと何かを取り出す。それがナイフだと気づいた時には、その刃が私に向かって迷いなく振り下ろされようとしていた。
「キャロル、一緒に死のう!!!」
耳が拾った悍ましい言葉にもろくな反応を取れず、私は死の恐怖から反射的に目を瞑った。しかし訪れるはずの痛みはなく、代わりに誰かに抱きしめられたのが分かって。
――それがヴィルヘルムによるものだと気づいた時には、ジョージのナイフが彼の背中に深々と刺さっていた。
「っ……キャロル、無事、か……?」
こんな時だというのに彼の声は酷く優しかった。
その直後、援護に駆け付けた我が家の護衛たちがジョージを地面に組み伏せ、拘束した。怒鳴り喚き散らすジョージの声が庭園に響く中、私は膝を折ったヴィルに巻き込まれる形で自分もその場にへたり込んでしまう。
「……ごめんな、怖い思い、させて……もう、だいじょうぶだか、ら」
その言葉を最後に、彼の身体が大きく傾いて地面へと崩れ落ちた。刺さったままのナイフの傷口からは、次々に血が溢れてきては騎士の制服を赤く染めていく。
「――ヴィル……やだ、なんで、そんな……いや、いやあああああ……っ!!!」
絶叫する私が泣いて彼に縋ろうとするのを護衛たちが素早く阻む。そして彼らはヴィルの状態を確認すると速やかに応急処置を開始した。それとほぼ同時に、駆け寄ってきたウェンディが泣きじゃくる私を強く抱きしめた。
「キャロル様、大丈夫……大丈夫です。ヴィルは……兄は、貴方をおいて死んだりなんかしません……」
彼女のその言葉の意味を私が呑み込むことができたのは、実に数日後のことだった。
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