――出るわ
ヴィルとの婚約破棄を父に託せたことで、私の肩の荷はだいぶ下りていた。
しばらく休養を、という言葉にも甘えることにしたため、久しぶりに領地の視察に出向こうかと準備を進める。そんな中、病院を無事に退院したらしいヴィルは連日、我が家の門を叩いていた。
守衛の話によれば、どうしても直接私に話したいことがあるから取次を頼みたいとのこと。
我が家の正門が見える窓からそっと様子を窺えば、顔色の悪いヴィルの姿が目に入った。怪我のこともあるだろうが、その姿は以前よりも窶れていて、何とも言えない気分になる。
直接訪問だけでなく、手紙の方も毎日届いていた。
こちらはヴィルだけでなく、何故かロバートや、ほぼ面識のないウェンディ・エッグシェルからも来ている。内容を確かめれば、全員判を押したように「直接話をさせて欲しい」の一点張り。
ヴィルはともかく、ロバートやウェンディも私と彼との婚約破棄を阻止したいようなので、やはりこの三人の間には何か特別なものがあるようだ。
「それにしても……なぜそんなにも直接会いたがるのかしら」
別に言い訳をするだけなら手紙でも構わないはずなのに。
私と同じ疑問を抱いたのであろう父も何やら難しい顔をしている。父は父で、ウィスタリア伯爵との面会を取り付けるのに苦労をしているとのこと。
「風の噂なので定かではないが……どうやらウィスタリア伯爵夫妻は現在、別居状態にあるらしい」
「えっ!? ……それってどのような理由からなのでしょうか?」
「まったく分からんが、どうやら奥方の方が伯爵に離縁を求めているとかいないとか」
私は先日お会いした二人の姿を思い浮かべる。気難しそうな伯爵に対して、穏やかな笑みでこちらに気遣いを見せていた伯爵夫人。嫋やかな印象であまり自己主張をするような気質には思えなかったので、もし噂が真実だとすれば相当な覚悟をもっての行動だろう。
「では、あちらの状況が落ち着くまでは話し合いの場を持つことも難しいですわね……」
「すまないな、キャロル」
「謝らないでください、お父様。元はと言えば私がご迷惑をおかけしている立場ですので」
私が苦笑すると父は心配げな視線を向けてくる。
「……今日も来ていたようだな」
ヴィルヘルムのことだとすぐに理解したので、私は小さく頷く。
「ええ……どうしても直接話がしたいようですね」
「そうか。お前の気持ちは変わらないのか?」
「そうですね。どんな言い訳をされたところで、私はもう彼を信じられる自信がないので」
愛がなくても夫婦の形は維持できる。だけど、信頼関係がなければ夫婦は成立しないと私は最近思うようになった。それは私が伯爵家の跡取りであり領地や領民を守るべき立場の人間だという部分も大きい。
「大事な局面で相手が信用できなければ、背中を預けることなど到底不可能です。私は次期伯爵家の当主として、自身の伴侶には何よりも信頼を求めたいと、今回のことで強く思うようになりました」
私がきっぱりと意思を示せば、父は僅かに驚いた後で柔らかく目を細めた。
「成長したな、キャロル」
「いいえ、全然。私はまだまだ未熟なままです」
本当に成長しているのなら、むしろヴィルと正面から対峙してきっぱりと引導を渡すべきなのだ。
それを避けている時点で自分の弱さを認めざるを得ない。
「とにかく、このまま彼とは距離を置き続けたいと思います。そのうち諦めるでしょうし」
いつまでも脈のない女に関わっていられるほど彼も暇ではないだろう。
しかしそんな私の予想に反して、ヴィルヘルムの訪問は一向に途絶える気配がなかった。
既に十日近く、毎日通い続けている。とはいっても彼は別に強硬な手段を取るわけではなく、粛々と守衛に私への取次を頼むだけ。その場で叫ぶこともなければ強引に屋敷に侵入する様子もない。だからこそ、守衛も強くは出れずただ門を閉ざすことしかできない状況だった。
完全に我慢比べになっている。しかも門前に居られると気軽に外出もままならない。
私は段々と苛立ちを隠しきれなくなり――とうとう、爆発した。
「――出るわ」
屋敷に上げるつもりはなかったので、私自らが正門へと足を運んだ。
すると私の姿を視界に捉えた瞬間、
「キャロル!!」
ヴィルが叫んだ。その切実な表情と声に私は内心ではかなり動揺していたが、出来るだけ冷静さを保つように努めた。ここで崩されてはいけない。毅然と振舞わなければ。
締められたままの正門を挟むようにして私たちは向かい合った。門から少し距離を取っている私に対して、彼は門の格子を握りしめながら必死に訴えかけてくる。
「キャロル……頼む、一度話をさせて欲しい。君に伝えなければいけないことがたくさんあるんだ」
「……では、この場でお話ください」
「っ! それは……すまないが、ここで話せる内容ではないんだ。出来れば二人きりで、それが無理ならせめてバーミリオン伯爵と三人のみで話をさせてくれ」
「それはお断りします。私は貴方を我が家に一歩たりとも通すつもりはありませんので」
私の強い拒否の姿勢にヴィルの顔は苦渋に歪んだ。彼に握られた鉄格子がガシャンと小さく音を立てる。
「頼む……全部、全部話すから。一度だけでいいんだ。お願いだから話を聞いてくれ……」
「だから、この場でなら話していただいても構いません」
「っ……それは出来ないって言ってるだろう!?」
初めて、ヴィルが憤るような声を上げた。反射的に身体を揺らした私に気づいたのか、彼はすぐに「すまない」と謝罪の言葉を口にする。
「君を怖がらせるつもりはなかった……けど、どうしてもこの場では話せないんだ。俺以外の人間にも迷惑が掛かる可能性があるから」
「……それは、もしかしてウェンディ・エッグシェル男爵令嬢のことを仰っているのですか?」
私の声にヴィルがハッと息を呑む。それが答えだった。
「やはり、貴方が一番大切なのは彼女なのですね」
「っそれは違う! アイツのことは、これからはロバートが守っていく。もう俺の手からは離れて――」
「別に隠さなくてもいいですよ。私に近づいてきたのも、全ては彼女のためだったんですよね?」
「……それ、は……」
図星をつかれて言葉を失くした彼に、私は堪らず苦笑した。
「言いましたよね。もう嘘を吐かれるのも、裏切られるのもうんざりだって」
「……キャロル、俺は……っ、確かに、君に嘘を吐いた。自分でも愚かなことをしたと思っている、でも……っ! 俺が君を好きになったのは本当のことだ。嘘じゃない!」
「そうですか。ですが、私はもう貴方のことは信用できません」
――ああ、どうして裏切った側である貴方がそんなに傷ついた顔をするの。
こちらを見つめながら愕然とする彼に、まるで私の方が悪いことをしているような気分になる。
けれど折れるつもりはない。代わりに私は交渉のカードを切る。
「素直に婚約解消に応じていただけるのであれば、騎士団復帰への助力もします。すべて私たちが婚約する前の状態に戻るのならば、貴方だって文句はないでしょう?」
「……いやだ」
「はい?」
「俺は絶対に別れたくない。騎士団のことなんてどうでもいい。ただ、君を失いたくない」
「……そんなに我が家への婿入りが魅力的ですか?」
「違う! 君のことが好きだからだ!!」
「でも彼女のことは『愛してる』のでしょう?」
私の言葉にまたしても彼の動きが止まる。
困惑を湛えたその表情を真っ直ぐに見据えながら、
「いい加減、ご自身が最低なことをしていると理解してください。――二度と私の前に現れないで」
私は永遠の決別を告げた。
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