もう、裏切られるのはうんざりなの
何が何だか分からない、というのが私の今の率直な心境だった。
ウェンディ・エッグシェルはヴィルと相思相愛のはずなのに、ロバート・タンジェリンと結婚する? はあ????
「そんな馬鹿な話……いえ、そうせざるをえない理由でもあるってこと?」
気分転換どころか混乱を招く結果になったショッピングから帰宅後。自室のベッドの上で行儀悪く寝転がりながら私は今まで得た情報を整理する。
ロバートが私に嘘をつく理由はないので、ウェンディ・エッグシェルと彼の婚姻については確定情報と考えていいだろう。
またロバートの態度から彼がウェンディ・エッグシェルを心から愛しているのは間違いない。
「考えられる可能性は……このひと月ほどでウェンディさんがヴィルからタンジェリン様に心変わりをしたとか……?」
いや、そもそも三人は幼馴染の間柄だ。こんな短期間で心変わりをするなど普通では考えにくい。しかも学院時代のウェンディ・エッグシェルはジョージを愛したが故に貴族令嬢としては致命的な瑕疵を負った。だからこそ恋愛には慎重になるだろうし、異性から裏切られた経験がある身で自分も男性を簡単に乗り換えるようなことはしないだろう。例えばこれがタニアならまぁ……やりかねないが。
そこまで考えた私はふと一つの仮説を思いついた。
「……もしかして、彼女が純潔でないからこその話なのかしら?」
ヴィルの実家であるウィスタリア伯爵家は女神信仰を重んじる家門だ。だからこそ純潔を既に喪失しているウェンディとヴィルの結婚は認められなかったのではないか。
一方、ロバートの生家であるタンジェリン子爵家は割と出自が新しい家門。しかもロバートは嫡男で次期当主だ。多少反対にあっても強硬な手段に出られる立場である。
「傷物となってしまった彼女の嫁ぎ先として、タンジェリン子爵家はこれ以上ない相手だから……ヴィルも泣く泣く彼女をタンジェリン様に託した、とか」
なんとか整合性のありそうな推測を立ててみるものの、やはり納得感は薄い。
「あと考えられるのは、そもそもヴィルとウェンディさんは恋仲ではなく、ティールームで見た光景は何かこう……友情が行き過ぎた的なものだったとか? ……あ、はは」
自分で口に出して思わず苦笑が漏れた。
「流石にそれは私のただの願望よね……」
だって二人は互いに抱き合いながら「愛してる」と囁き合っていた。そんなこと幼馴染同士でするわけがない。
ここでの余計な期待は自傷行為に等しい。流石に二度も愛する人に裏切られたのだから、いい加減、学習するべきなのだ。
「……まぁ、どうせヴィルが騎士団を辞めたら会うことにはなるだろうし。その時に、今後については協議すればいいわよね」
婿入りの立場であるヴィルが私の機嫌を損ねるとは考えにくい。
たぶん、一番いいのは私が何もかもを見なかったふりして表面的には互いを尊重し合う夫婦になることだ。別に愛はなくとも夫婦という形態は維持できる。幸い、ジョージの時のような生理的嫌悪感は今のところ抱いていないので、子供のこともまぁなんとかなるだろう。無理だった時はその時に考えればいい。
ひとつひとつ、愛し愛されることを諦める算段をつけていけば、気持ちは徐々に軽くなっていった。
こういうのが大人になるということなのかもしれない。
だが、そんな私の努力を嘲笑うかのように。
その知らせは舞い込んできた。
「――お嬢様! 騎士団よりヴィルヘルム様がお怪我をされたという連絡が!」
執務室に飛び込んできたナンシーの口から出た言葉に私は一瞬、頭が真っ白になる。
怪我って、どんな? ヴィルは無事なの? 今彼はどこに? 大丈夫なの? 彼に会いたい、会わなくちゃ――!
気づけば私は馬車に飛び乗っていた。慌ててついてきたナンシーの報告によれば、怪我は命に別状はないものの、最低でも数日間は入院する必要があるとのこと。
私は震える自分の手をグッと握り締めながらヴィルの無事を祈った。命に別状はないと言われても全く安心出来なかった。早く彼の顔が見たい。無事を確かめて抱きしめたい。その一心だった。
やがて馬車は病院へと到着し、私はヴィルの病室まで一目散に走った。令嬢としては恥ずべき行為だと理解していたが、どうしても止められなかった。それくらい必死で、とにかく急いでいた。
だが、そうして病室に辿り着いた私は。
またしても見たくもない光景を見せつけられる結果となった。
ベッドの上には上半身を起こした状態のヴィルがいて。
そんな彼に縋りつくようにして首元に抱き着いているのは、やはり銀色の髪の彼女で。
「ヴィルの馬鹿! 本当に心配したんだから……っ!!」
「ごめんって。でも別に大した怪我じゃないからさ。もう泣かないでウェンディ」
「だったらもっと自分を大切にして! ……貴方に何かあったら、私は……っ」
すすり泣く彼女に片手を回し、その背中を優しく撫でるヴィルの姿に。そのまなざしに。
今度こそ何かが砕け散った音がした。まるで、ひび割れた硝子の器が粉々になったように。
あれほど期待するなと自分を戒めていたはずなのに、やはり心のどこかでは希望を持っていたのだとその時になってようやく気づいた。そして予想通り、私はまた傷ついた。本当に、馬鹿みたい。
「――ヴィル」
前回の私はすごすごと逃げ帰ったが、今回の私は前へと進んだ。
こちらの声に反応して顔を上げたヴィルの視線を真っ直ぐに受けながら、私は思ったままのことを口に出す。
「婚約を破棄しましょう」
「……は? え、キャロル、いまなんて――」
「私との婚約を破棄してください。もう、裏切られるのはうんざりなの」
私の言葉に驚き目を見開いたヴィルは、その直後にハッとした様子で自分に抱き着いている女性の方を見た。どうやらようやく浮気現場を婚約者に見られたのだと気づいたようだ。遅すぎる。
「待ってくれ、何か誤解されてる気がする! ウェンディもとりあえず離れてくれ! キャロル、とにかく冷静に話を――」
「何を言われたところで私の意思は変わりません。後日、代理人が話に伺いますので私はこれで」
「キャロル!? っ……!!」
「ヴィル!? 大丈夫!?」
チラリと視線を向ければ、彼はわき腹を押さえていた。どうやら怪我をしたのはそこらしい。痛みで顔を顰めながらも私を呼び止めようとするヴィルに対し、私は無表情のまま告げた。
「もう二度とお会いすることはないと思いますが、どうぞお大事に」
「っ……待って、キャロル! 頼むから、話を――」
「ヴィル! 無理しちゃダメよ、傷が開いちゃう!」
「そんなのどうでもいい! どいてくれウェンディ、俺は……うっ……」
このまま私がここに居ると興奮した彼の傷口が本当に開いてしまいそうだった。
だから私はそれ以上は口を開くことなく静かに病室を出る。すると背後からは、
「頼む……いかないでくれ、キャロル……ッ!」
必死で懇願するヴィルの声がして。正直、それにほんの少しだけ心が揺れた。けれど。
振り向きたい気持ちを断ち切るようにして一度だけ目を閉じ、開いて。
「さようなら」
誰にも聞こえないような小さな声でそう呟くと、今度こそ迷いなく私は毅然と歩き始めたのだった。
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