第八十九話 心拍数が上がる
邪悪。
心の底から嫌悪できる存在。
リルメットはエルドレに対して嫌悪感を抱いていた。このエルドレという邪族はドス黒いものを秘めている。軽快な口調、緩い表情。
無邪気とも思えるが、エルドレは明確に自分がしていることを理解している。
反吐が出る。つま先から頭に至るまで、
このエルドレという邪族の存在を拒絶している。
「僕ちゃんたちの圧勝で終わると思うんだけどさ〜、
死に方とかに希望はあるかな?」
エルドレは右手から雷を放出し、そのまま鎌のような形にしていくと、手に持ちリルメットへと向ける。
「俺が負ける前提なのが不愉快だ。
死に方に好みもない。そもそも会話など必要か?」
「お喋りは随分と嫌いなんだね。
僕ちゃん悲しいなぁ、もっと君を知りたいのに」
エルドレが翼を広げると、リルメットは言葉を返す。
「言っておくが俺は君たちが嫌いだ」
「あぁ私も〜?まぁいいけどさぁ……」
フェゴがそう反応すると、その隣にいたエルドレが地面を踏み込んでリルメットへと接近していく。
リルメットは大量の雷のナイフを空中に作り上げ、
エルドレの雷の鎌を剣で防ぐと、エルドレの背後から大量の火球がこちらへと飛んできた。
それを予想しての雷のナイフたち。
火球へとナイフが突っ込み、爆発しながら相殺すると、そこからエルドレとリルメットは斬り合いへと発展する。
エルドレの鎌は大きいながらも素早く、
リルメットはその鎌を喰らえば致命傷になることを理解していた。
避けることはやめて確実に弾き防ぐ。
避ける行為は後ろにいるフェゴの攻撃に備えて取っておく、これ以上の最善策はないだろう。
「さすがに強いねぇ!二番目だっけ?」
エルドレは鎌を防がれた際に顔を近づけそう問う。
リルメットは舌打ちをした後に、大量の雷の斬撃を背後から放ってエルドレを後退させた。
「ひどいなぁ〜」
「言ったはずだ。会話の必要なんてないはずだと」
リルメットはわかりやすく嫌悪感を示していた。
そんなリルメットを見てエルドレはニヤけ、
片足を上げて地面を踏み鳴らし、魔法陣を展開。
「血水」
エルドレの角、翼、尻尾。
それらが黒色から赤色へと染まり、
赤い水が彼の周りを漂い始めた。
「フェゴちゃんももうちょっと戦ってよぉ〜」
「えー、めんどうくさいし……
私がいなくても勝てるだろー」
「あはははっ!まあ確かに」
リルメットは赤い水を纏い始めたエルドレを見ながら、剣へと雷を纏わせる。
それを見たエルドレも鎌を構え直し、
両者息を吸って吐いた瞬間、一瞬にして元いた場所から二人は消え、至近距離の戦いへと再び陥る。
雷を纏いし剣が振るわれると、
その切った場所から雷の斬撃が放たれる。
エルドレはそんな攻撃を余裕そうな表情で避け、
鎌を振り下ろし、剣で防いだリルメットへと赤い水で出来た槍を空中から放つ。
噂通りだな……ヨルバが言っていたように、
こいつは全く本気を出さない。むしろこちらを遊ぶように戦ってくる。
もし一対一だったら俺は勝てたのだろうか。
まったくやる気のない怠惰が気になる……常に意識していないといつ被弾するかわからない。
戦いにくい……こんなの初めてだ。
リルメットは雷を足へと纏わせ、
足元で雷を放出し、勢いを大きくつけてエルドレの鎌を切り裂き、そのままエルドレの肩を切り裂いて吹き飛ばす。
元の場所から前へと動いたため、赤い水の槍は自然に避けられた。エルドレが血を流しながら砂浜に横たわる。
「ちょっと〜、フェゴちゃん助けてよ〜」
「助けなくても大丈夫だろー」
エルドレは笑いながら切られた部位を一瞬で再生し、顔についた血を指で拭き取り舐めると、立ち上がってリルメットを見ていた。
「やっぱり強いね」
エルドレが再生することは知っている。
だがここまで即座に再生するなんて思わなかった。
リルメットは息をスッと吐き、集中して二人を視界に入れる。
選択を間違えれば死ぬ。
エルドレが目の前から消えた。
エルドレはどこなのかと探していると、
頭上に大量の魔力を感じ、見上げれば空を覆い尽くすような赤い槍が浮かんでいた。
「雷巻!」
リルメットはその場で一回転すると、
大量の雷の斬撃が竜巻のように発生し、今にも落ちてきそうな赤い槍を破壊する。
「ばぁ!」
「やっぱ出てきたな!」
リルメットはエルドレを誘い出し、
その雷纏う剣で不意打ちを行おうとしたリルメットへと袈裟斬りを放った。
エルドレはリルメットを貫こうとした尻尾が剣によって切り落とされる。
普通なら後退するはずだ。
だが相手は魔王側近、リルメットは判断を誤った。
「っ!?」
リルメットの頬が深く切り裂かれた。
頬を切り裂いたのは先ほど切ったはずの尻尾。
「普通じゃ僕ちゃんには勝てないよ」
エルドレは笑みを浮かべながらリルメットへと回し蹴りを繰り出し、砂浜にある防衛用の石壁へと強く叩きつけられた。
色欲のエルドレ……こんなにも強いのか。
毒……あいつは尻尾と水魔法に毒が含まれていると聞いたが……どうやら本当みたいだ。
リルメットは頬付近が紫色に変色し、
倦怠感が付き纏う体を起き上がらせる。
怠惰がやる気になる前に……
一気に畳み掛けて倒すしかない。
俺がこの戦いでできることは……
「迅雷……!」
全身全霊で体が燃え尽きてでも傷跡を残すことだ。
リルメットの体が雷に纏われ、体の輪郭がボヤけると、大量の魔力がそこら中へと放たれる。
リルメットが保有する技の中で奥義とも言える。
この奥義はすごくシンプルな身体強化。
雷魔法によって身体中の筋肉を活性化させ、
雷属性特有の爆発的な瞬発性と威力を維持する。
もちろんデメリットだってある。
体への負担が凄まじく、数日間足は痛み、
眠りが浅くなる。
だが今はそんなことどうでもいい。
これで互角以上に戦えなければ詰みだ。
「雷を纏うなんてすごいねぇ、
負担もすごいだろうによくやるよ」
「喋ってる余裕はそんなにあるのか?」
「!」
リルメットの速度はエルドレの反応速度を上回った。横を通り過ぎて背後へと回るリルメット、
エルドレが振り返った瞬間、閃光と轟音がエルドレの感覚に伝わり、腹を深く切り裂かれた。
「早っ……!」
エルドレが再生した瞬間、体の中で雷の斬撃が爆発し、傷がさらに抉れる。エルドレはそれに驚きながらも再生をすると、その間に二度目の斬撃が彼を襲う。
まったく対応が追い付いていない。
エルドレは何度も切り裂かれては再生し、
ただ避けることもできずにその身に斬撃を喰らっていた。
イグレットは言っていた……!
魔王側近に明確な急所は存在しない!
その身に宿す魔力がなくなるまで、ただひたすらに再生を行わせればこちらの勝ちだ。
この量の斬撃と速度ならいける。
このままこいつを切り刻めッ!!
リルメットの斬撃が速度を増し、
エルドレの体へと次々に深傷を与え、再生を常に行わせる。
リルメットは忘れていた。
この戦いは二対一である。
「ぅっぐぅあ!!」
突如リルメットを横から襲う大きな衝撃。
それにより吹き飛んだリルメットは、砂を大量に撒き散らしながら地面を滑っていき、波際で倒れる。
頭と右肩に強い痛みが走っている。
剣を握ろうにも力が入らない。
そしてすぐに、腕の骨が折れているのがわかった。
「やぁっとフェゴちゃんが動いてくれた」
「エルドレがボコボコにされてるのも面白いから、
放置してても良かったんだけどなー。
さすがに追い込まれすぎだー」
フェゴの横には水で出来た青黒い球体が浮かんでおり、それがリルメットを突き飛ばしたんだろう。
「ぐっ、ぁっ……」
リルメットの肺が痙攣している。
身体中が痛い。力が入らない。
たった一発で体に限界が訪れた。
迅雷の負担、エルドレの毒、フェゴの攻撃。
こんなの勝てるわけがない。
それでもリルメットは立ち上がった。
「おー、立ち上がる? 剣士はみんな変な奴らだ。
絶対勝てないのに立ち上がってくる」
リルメットは足を震わせながらも剣を構え、
いざ踏み込んで前へと出ようとした瞬間。
「日破」
リルメットの腹部へと何か突き刺さる感覚があった。
「がっぁ……!」
フェゴは短縮発動にて呼称のみ扱い、
火の針をリルメットの腹部へと突き刺した。
それにより呆気なく倒れるリルメット。
「あーあ、もうちょっと楽しめたのに……
そんな一瞬で殺すなんて物足りないなぁ」
なんだ、声が……ああそうか、腹を刺されたのか。
魔力はまだ多く残ってる……でも治癒魔法なんて使えないし、体自体がもう動かない。
魔王側近は一人で一騎当千の実力。
こうなることはわかっていた。だがここまで……
「……リルメットさぁああん!!」
砂浜へと響く声、エルドレとフェゴの意識が向き、
倒れるリルメットは声の方へと目を向ける。
「俺たちやっぱ……!!リルメットさんを置いて逃げるなんてできません!!」
大量の剣士や魔法使い、それらが走り出してこちらへと向かってくる。
無謀な特攻、皆死ぬ覚悟は出来ている。
リルメットの人望は厚すぎたのだ。
「バカっ……! 君たち逃げろと……!」
リルメットは最悪の未来を想像し、
表情が青ざめて痛みを忘れるほど焦り始める。
「あははっ、本当に変なやつばっかだぁ!」
このままいけば皆殺される。
ここで無駄死にするだけだ。
雷魔法は上手く使えば圧倒的な速度と威力を有する。この体はもはや自分自身の力では動かせない。
ならばどうするか?
ここで横たわり仲間の死を見守るだけか?
否。それはあまりにも強者として許されない行為。
リルメットへと背を向けるエルドレとフェゴに、
突き刺さるような魔力と共に悪寒が走る。
「……?」
フェゴがゆっくりと振り返った。
エルドレは迫る戦士たちが止まったことで、
背後へと意識を向けながら振り返る。
皆、驚愕した。
「……慕われるのも楽じゃないな」
リルメットの腹部には火の針が刺さったままであるが、身体中から雷が放出され、辺りの空気がバチバチと音を鳴らしていた。
エルドレがリルメットへと問う。
「ははっ、なんで起き上がれるの?」
すると雷の壁が助けに来た者たちとの間を断ち切る。
走り寄ろうとした戦士たちは立ち止まり、叫んだ。
「リルメットさん、やめてくれ!」
「これは俺の……
ただの意地だ」
低く吐き出された言葉に、空気が凍りつく。
「……最期の命令だ。全員、生きて帰れ」
雷鳴が轟き、空気が弾けた。
リルメットの身体から溢れる魔力は、誰の想像をも越えていた。
「死ぬにはいい日だ。全てを出し尽くして死ねる。
戦士としてあまりにも贅沢……」
轟音が鳴り響き、リルメットの魔力がどんどんと高まっていく。
「……今まで色んな剣士を殺してきたけど、
ふふっ、初めてだよ。
君みたいに魔力量が多すぎる剣士はさ」
君級剣士、最期の輝き。
その輝きは闇を討ち果たすか。
命燃え尽きる時まで剣を振るう。
リルメットの心音が大きくなった。




