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第二十八話 紺青の少女と黒仙狸


藍鈴(あいりん)から離れな!」


珠真は伸ばした爪で藍鈴の腕を掴む刀夜に襲い掛かった。鈍刀(なまくら)なら紙の如く切り裂く鋭い一撃。


――キンッ!


だが、乾いた金属音を立て珠真の爪は斬り飛ばされ宙を舞う。いつ抜いたのか刀夜の手には剣が握られていた。


「良い一撃だ」


珠真の目を以てしても捉えられない文字通り目にも止まらぬ刀夜の抜剣術。


「ちっ、化け物め!」


珠真の背中を嫌な汗が流れた。


どんな猛者にも遅れは取らない――珠真にはそんな自負があった。だが、目の前の優男に勝てる図が思い浮かばない。


窮奇が女導士を抑えている間に藍鈴を救い出し戦線離脱を計ったのに……余裕の笑みを浮かべ剣をだらりと下げる刀夜を前に珠真は死を覚悟した。


「だけど(ただ)では殺られないよ!」


珠真の黒く美しい姿がゆらりと動くと残像が生まれる。その虚像は消えず幾多の珠真が生まれた。


それらが一斉に刀夜を襲う。その一体の爪が刀夜の前髪を掠め、幾乗かの銀糸がはらりと宙を舞った。虚像と思われたが実体がある。


身外身法(しんがいしんぽう)か」


実体を持つ分身を作る仙術である。


仙狸の武器は鋭爪だけではない。

数々の強力な仙術も行使できる。

これで数多の猛者を屠ってきた。


だが、薄く笑った刀夜は繰り出される爪撃を何気ない動きで躱し、すれ違いざまに斬って捨てる。数瞬で分身全てが消失した。


「悪くない、が俺には通じん」

「初めから通用するなんて思っちゃいないさ」


気付けば珠真の背後に藍鈴の姿が。珠真の狙いは少しでも刀夜の気を逸らす事。刀夜の隙を付いて珠真はまんまと藍鈴を助け出したのだ。


「これはしてやられたな」


参った参ったと笑う刀夜には、しかし余裕があった。珠真も藍鈴を抱えて逃げ切れるとは思っていない。


「あたいが時間を稼ぐ、藍鈴は逃げな!」

「珠真と一緒じゃなきゃ嫌! ずっと傍にいてくれるって約束したでしょ!」


藍鈴に縋られ胸が張り裂けそうに痛い。できれば、ずっと藍鈴を守ってやりたい。いつまでも傍に居たい。


だが、珠真は緊圏呪(くびわ)に縛られた藍鈴の監視者だ。どこかで別れる必要がある。


「やれやれ、完全に俺の方が悪者だ」


もともと刀夜は人に害なす妖魔(あやかし)退治に来た筈なのに、二人のやり取りに自分の方が悪い事をしているようだ。


「だが、見逃す訳にはいかん」

「させないよ! この身、この命に代えても藍鈴は守る!」

「珠真!」


少女を背に庇い両手を広げる珠真。彼女の黒い袖に藍鈴が縋った。


「人と妖魔(あやかし)の想い合う何とも麗しい姿だが……そこまでだ」


刀夜の視線が珠真達を通り越し後方へ向いている。


三皇啓嗣五帝(さんこうけいしごてい)(さき)竜蛇神(りゅうだのかみ)……黄帝に願い奉る……」

「――⁉」


慌てて珠真は振り返ったが時既に遅し。


「我願うは蚩尤(しゆう)が血に染まりし(ふう)の枷」


蘭華の方術は無慈悲に珠真を襲った。


珠真の両手足首に赤い線が浮かび、手と手が、足と足が磁力を帯びたように引き合い枷で拘束された罪人のように動きを封じられた。


「くっ、何だいこれは⁉」

「それは八神の一柱、兵主神(ひょうすのかみ)蚩尤(しゆう)さえ捕らえた黄帝の枷。貴女の力で破るのは不可能です」


もはや珠真に抗う術は無い。


(どう足掻いても勝てない)


珠真は絶望に顔を青くし膝から崩れ落ちた。


(あたいはこのまま調伏される)


自分は良い。どうせ妖魔(あやかし)として生を得た時から(・・・・・・・)虫の好かない方士に使役されてきたのだ。


だから藍鈴との交流だけが珠真にとっての真実。珠真が向ける藍鈴への愛情は本物。


(藍鈴だけでも)


地に膝を擦るのも構わず蘭華に縋った。


「あたいはどうなっても良い」


勝気な珠真の目から涙が零れ落ちた。


「お願いだよ藍鈴は助けておくれ。あの子は親を人質にされて嫌々手伝っていただけなんだ」

「嫌! 珠真を殺さないで!」


珠真の決死の訴えを聞いて藍鈴は蘭華にしがみ付いて懇願した。


「私、何でも言う事を聞きます。何だってします。だから珠真を殺さないで!」


はらはらと流れる藍鈴の涙に蘭華の瞳が揺らぐ。


「落ち着いて……悪いようにはしないから」


蘭華は紺青の髪を優しく撫でると、藍鈴が怪訝そうに見上げた。そんな藍鈴に蘭華はふわりと微笑む。


「窮奇から貴女達を頼まれているの」

「窮奇から?」

「ええ、彼は貴女達をとても心配していたわ」

「珠真を助けてくれるの?」


涙に濡れる青紫の瞳に不安と期待の色が入り混じる。こくりと柔らかく頷くと蘭華は真っ直ぐ刀夜へ顔を向けた。


「刀夜様、この二人を私に預けては頂けないでしょうか?」

「俺も二人に同情はするが二人を見逃す訳にはいかない」


刀夜とすれば窮奇を調伏すれば事件解決とはいかない。二人から聆文(れいぶん)に繋がれる手掛かりがどうしても欲しい。


藍鈴を離し刀夜の前に立った蘭華は金青の瞳に真っ直ぐ見詰めた。澱みない紅い瞳に見詰められ刀夜はたじろぐ。


「藍鈴は浮民の娘、珠真は妖魔(あやかし)、この二人を証人としても黒幕は揺るぎもしないでしょう」


十かそこらの少女と猫け物の証言で聆文を追い詰めるのは不可能。


「それに使い捨てにされている二人を尋問しても何も知らないと思いますよ?」

「うむ……」


蘭華の言い分は正しく刀夜は言葉に詰まった。


「ですが窮奇は別です」

「窮奇から話を聞けたのか⁉」


蘭華は黙ってこくりと頷いた。


「……分かった、蘭華の願い通りにしよう」

「ありがとうございます」


頭を下げ礼を述べると蘭華は膝を折って跪く珠真と目線を合わせた。


「貴女は蠱毒(こどく)ですね」


蠱毒――数多の虫を壺に閉じ込め争わせ、最後に残った一匹で術を行使する呪いである。


だが、実際にはどんな生き物の精を使っても術は成立する。


「どうしてそれを?」

「仙狸にしては呪蠱(じゅこ)の臭いがして変だと思ったのです。本来なら貓鬼(びょうき)となる筈ですが、貴女の核となった猫の精が余程強かったのですね」


猫の精を集めて蠱術を使えば最後の一匹は貓鬼となり、呪った相手を激痛で苦しめ最後は臓器を破壊して死に至らしめる。


「仙狸は強力な妖魔(あやかし)。貴女の主人は呪いの核として使い潰すのを惜しんだのね」

「ああ、その通りだよ」


力の足りない方士が蠱術で生じた強力な呪力を利用して珠真を縛ったのだ。


「つまり、この緊圏呪は呪いそのもの」


蘭華は珠真の首に巻かれた黒い首輪にそっと触れた。


「八神が一柱兵主神(ひょうすのかみ)………」


蘭華の口から方呪が紡がれる。それはとても暖かい魔力を含んでいて、珠真を優しく包み込んだ。


「……解戒(かいかい)

「あっ……」


黒い首輪が外れ球体となって都邑(みやこ)の方へと飛び去っていった。


「呪いとは最後に術者へと帰るもの。愚か者の終わりは良くないでしょう」


それを見送りながら蘭華は溜め息を漏らした。


「珠真!」

「藍鈴!」


珠真の胸に藍鈴が飛び込み、藍鈴の頭を珠真が愛おしそうに撫でる。そんな二人を刀夜と蘭華は優しく見守った。


「大団円といきたい所だが……」


喜ぶ二人の姿は心温まるものだったが、刀夜としてはまだだ懸案事項が多い。蘭華の横に立つと二人に聞こえないよう囁いた。


「今回の黒幕は二人を許さないだろう」

「はい、ですので……」


蘭華は隣に立つ刀夜を見上げてくすっと笑った。


「刀夜様にもご協力を頂きたいのです」


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