8-2-10 死んだ社畜は因縁のある集団と対峙する 5
「しかし、まさかイリア嬢が留学されているとは驚きですね」
「あら、おかしい事かしら?」
アコニット侯爵の言葉にイリアさんが聞き返す。
おそらく何を言いたいのかを理解しているが、一応聞き返しているだけだろうが……
「貴女のような才女が留学などする必要があるのかと思いましてね」
「何事も新しい環境が大事なのよ。普段とは違う環境に身を置くことによって、別の感性を身に付けることもできるはずよ」
「たしかにそれはそうですね」
「でしょう?」
イリアさんの説明にアコニット侯爵は納得する。
この話はここで終わるのかと思ったが、そうではなかった。
むしろ、ここからが本番だったようだ。
「ですが、留学先は一考すべきだと思いますがね」
「何か問題があるのかしら?」
「なぜ、ビストのような国に行くのか、と言うことですよ。公爵令嬢であるイリア嬢が行くような国ではないと思いますが? 学ぶようなこともないでしょう」
アコニット侯爵は自分の考えを述べる。
これはビストを下に見ているからの言葉であろう。
聖光教は【闇属性】を持つ者が多い魔族を迫害しているうえ、【人間至上主義】──つまり、人間以外の種族を基本的には認めていない。
もちろん、この中に獣人族が含まれている。
【聖光教】の人間としては当然だと言える。
しかし、それはあくまでも【聖光教】の当たり前の考えである。
場所が変われば、常識は変わるのだ。
「聖光教は魔族だけでなく、獣人も迫害の対象だったかしら?」
「迫害? 何を言っているのでしょうか?」
「自分たちの敵である魔族と同じように獣人を扱っているように感じるわ。つまり、迫害をしているのでしょう?」
「それは心外ですね。我々は神の僕──その神の名に恥じるような行為をするはずがない」
「自分たちのやっている行為は正当な行為だと?」
「ええ、その通りです。当然、迫害などするはずもない」
イリアさんの言葉にアコニット侯爵は真顔で答える。
堂々と嘘をつくな、こいつは。
【聖光教】が魔族を迫害しているのは周知の事実だし、それと同じように扱っているということは獣人に対しても同じようにしているはずだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいわね。それよりも私がビストに留学する件についてだけど、あなたにとやかく言われることではないわね」
「それは残念。年長者の意見を聞き入れてくれてもいいと思いますが……」
「あなたの考えを否定するつもりはないけれど、私にとって不必要な考えよ。聞き入れないのは当然でしょう?」
アコニット侯爵の言葉をイリアさんはバッサリと切り捨てる。
一方的ではなく、物事を多角的に見る力は確かに必要である。
しかし、世の中には受け入れることができない意見だって存在する。
それが俺たちにとっての【聖光教】であり、【聖光教】にとっての魔族の存在である。
「なるほど……そこまで言うのでしたら、私から言うことはありませんね」
「そもそも今日会ったばかりの人に文句を言われる筋合いはないわ」
「それもそうです。さて、そろそろ我々はお暇しましょう」
アコニット侯爵はその場から立ち去ろうとする。
傍から見れば、イリアさんに言い負かされて逃げ帰るように見える。
【聖光教】の人間たちも慌てている。
「アコニット侯爵っ!?」
「なんですか?」
「どうして言い返さないのですか? これでは、我々の布教の意味が……」
「まあ、ここでは失敗になるでしょうね」
「なら、なぜ成功させようとしないのですかっ!?」
あっさりとしたアコニット侯爵の反応に男は驚く。
彼の立場からすれば、侯爵の対応は明らかにおかしいと思うのだろう。
だからこそ、文句を言おうとしているのだろう。
「目先の利益に囚われては大成できませんよ?」
「はい?」
アコニット侯爵の言葉に男は首を傾げる。
抽象的過ぎて理解できなかったのだろう。
現に俺も理解はできなかった。
だが、この場で一人だけ彼の言っていることを理解できたものがいた。
「奪おうとするのは構わないけど、それ相応の覚悟はすることね。無事に聖教国に帰りたいのなら、ね」
「……ご忠告ありがとうございます」
イリアさんの言葉にアコニット侯爵は悔しげな表情でその場から立ち去った。
そんな彼の後を【聖光教】の人間たちは慌てて追いかけていった。
そして、この場には俺たちと街の人たちが残された。
「まさか本当に退散させるとは思わなかったな。坊主たち、すげえんだな」
残された俺たちに話しかける人物がいた。
今回の件を教えてくれた屋台の店主であった。
驚いている様子から、本当に成功するとは思っていなかったのだろう。
いくら高い身分があるとはいえ、俺たちはまだまだ学生。
大人の集団を相手にできるとは思っていなかったのだろう。
「あら、信じていなかったのかしら?」
「そりゃそうだろう? こんな綺麗な嬢ちゃんが大の大人を言い負かせるなんて、誰が思う?」
「公爵令嬢の私のことを信じられなかったの?」
「偉い人であることは理解できたけど、だからといって完全に信じることができるわけがないだろう? 俺たち平民からすれば、どんな人かもわからないのに……」
「たしかにそうね」
店主の言葉にイリアさんは納得する。
俺のような近しい人間であれば、イリアさんのことを信じることは難しくない。
だが、店主のように初めて会った人であれば、それが公爵令嬢という身分の高い人であっても信じることは難しいのだろう。
むしろ、ものすごく縁遠い存在だからこそ、信じることが難しくなったのかもしれない。
貴族様が平民をわざわざ助けてくれるのだろうか、ぐらい思っていたかもしれない。
「まあ、とりあえずありがとうな。だが、大丈夫だろうか?」
「何がかしら?」
「いや、嬢ちゃんたちは公衆の面前であいつらを言い負かしただろう? そのせいで因縁でも付けられないだろうか?」
「ああ、そういうことね。それなら大丈夫よ」
「どうしてだ?」
イリアさんの言葉に店主は首を傾げる。
彼は真っ当なことを心配しているのに、それがあっさりと否定されたのだ。
疑問に思って当然だろう。
しかし、イリアさんも何の考えもなしにそんなことを言ったわけではない。
「グレイン君がいるからよ」
「え?」
「ん? この坊主が?」
話の矛先がいきなり俺に向いた。
イリアさんの言葉に店主だけでなく、俺も驚いてしまう。
しかし、そんな俺の反応をよそにイリアさんは説明を続ける。
「私たちに仕返ししようものなら、恐ろしい報復が待っていると相手は思っているでしょうね。なんせグレイン君がいるんだから」
「その坊主に何ができるんだ? すごい冒険者であることは聞いているが……」
イリアさんの説明に店主は首を傾げる。
いくら俺が凄いという情報を得たとしても、【聖光教】を相手に同行できるとは思えないようだ。
相手は自分たちの神しか信じていない宗教集団──俺という戦力だけで抑止力になるとは思えないのだろう。
だが、それはイリアさんの言いたかったことの半分だけだった。
「昔、ある貴族の家に【聖属性】の魔力を持った娘が生まれたの。それを知った【聖光教】の人間はその娘を【聖女】として迎え入れようとしたけど、その貴族に断られてしまったの」
「何の話を?」
イリアさんの話に店主はさらに首を傾げる。
いきなり何の話を始めているのだろう、と思ったのだろう。
だが、俺は違った。
どこかで聞いたことがあるような……
「その【聖光教】の人間は無理矢理その娘を誘拐したわ。そして、その娘を【聖女】と任命することによって、自分達に所有権があると言うためにね」
「なっ!? そんなことをするような奴なのか、あいつら」
イリアさんの話に店主が怒りを露わにする。
彼の反応はもっともである。
まともな考えを持った人間であれば、彼のような反応をするだろう。
ちなみに、【聖光教】の人間はすべてがそのような人間ではないはずだ。
そのような行動をするのはあくまでも一部の過激な連中だけのはず……
そして、ここまで聞いて、俺は彼女が言いたいことを完全に理解してしまった。
「けど、その計画は失敗してしまったわ」
「どうして? 誘拐は成功したんだろう?」
「たしかに誘拐は成功したけど、すぐにその貴族から追手が来たわ。もちろん、その娘が【聖女】であると認める前にね」
「つまり、取り返されてしまったということか?」
「ええ、そういうこと。そして、その【聖光教】の人間たちがいた神殿は一夜にして消えてしまったわ」
「え?」
イリアさんの話に店主は驚く。
周囲でこそこそ話を聞いていた街の人たちも同様の表情であった。
神殿とは大きな建物だという認識はほとんどの人が持っているだろう。
そんな建物が一夜にして消えたのだから、驚くのも当然である。
そして、それをやったのは……
「それをやったのはここにいるグレイン君よ」
「「「「「っ!?」」」」」
イリアさんの言葉に人々の視線が俺に向く。
そこには恐怖と戸惑いの感情が見て取れる。
まあ、そんな反応になって当然か。
だが、一つだけ言っておきたいことがある。
「いや、それは……むぐ」
「空気を呼んで」
だが、俺の反論はイリアさんによって止められた。
ここで真実を告げるのはまずいのだろうか?
そんな俺の反応をよそにイリアさんは説明を続けた。
「【聖光教】にとって、グレイン君の存在は厄災そのもの──つまり、私たちに何かしようものなら、それ相応の報いが待っているのよ」
「な、なるほど」
イリアさんの説明に店主が納得する。
今の説明で納得するのか。
「あと、数日はこの街に泊めてもらおうかしら」
「え? 留学の道中なんだろう?」
「私たちが立ち去った後にあの連中が何かやらかさないとも言えないでしょう? あいつらがこの街から離れるまでは警戒させてもらうわ」
「なるほど、そういうことか……なら、いい宿を用意させてもらうよ」
「あら、ありがとう」
宿を用意してくれると言った店主の言葉にイリアさんは感謝を伝える。
しかし、勝手に今後の予定が決まってしまったな。
まあ、必要なことなので文句はないのだけれど・……
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