8-2-1 死んだ社畜は出発する 1
「全員、集まったみたいだな」
三日後、俺たちはバランタイン伯爵邸に集合していた。
どこに集合するのか迷っていたが、一番ましだということでこの場所にしたのだ。
学院では人通りが多すぎる。
城の前では敵と思われる勢力の目と鼻の先である。
公爵家の前の場合は見張られている可能性だってある。
ということで、バランタイン伯爵邸に決まったわけだ。
といっても、ここにも何らかの問題はあるだろうが……
その一つに……
「お前たち、本当に行ってしまうのか?」
我らが祖父であるバランタイン伯爵である。
彼はまるで今生の別れをするかのように涙を流していた。
普段の硬派な雰囲気が微塵も感じられない。
俺たちは留学をするだけなのだが……
せいぜい一年程度で帰ってくるのに、なぜそこまで悲しいのだろうか?
「あなた、そんなに泣いてはこの子たちに迷惑ですよ?」
「だ、だが……」
「一年の我慢でしょう? それに、その次の年からはハクアちゃんとクロネちゃんが来るのですから、それまでの我慢ですよ」
「そのときにはこの子たちは帰ってしまうではないかっ!」
リナリアさんの言葉に伯爵は反論する。
ハクアとクロネは二年後の春に王立学院へ入学するため、王都にやってくる。
もちろん、バランタイン伯爵家に住まわせてもらうはずだ。
だが、その時には俺たちはもう卒業している。
入学の前準備と卒業後の準備の関係で、同じ時期に王都にいることはあるかもしれないが……
「気持ちはわかりますが、大人のあなたが我慢できなくてどうするんですか? 孫たちに示しがつかないでしょう?」
「むぐ」
リナリアさんの言葉にバランタイン伯爵が言葉を詰まらせる。
自分が情けない事をしている自覚はあったのだろう。
だからこそ、それを指摘されて何も言えなくなったわけだ。
「孫たちの成長を見守るのも祖父としての務めですよ? ここはドシッと構えて見送るべきでしょう」
「……わかった。そうしよう」
リナリアさんの説得に伯爵が応じた。
真剣な表情でこちらをじっと見る。
だが、体の所々を振るえているのを見ると、相当我慢しているようである。
「お前たち、頑張ってくるのだぞ」
「「「「「はい」」」」」
伯爵の言葉に俺たちは元気に返事をする。
流石にここで不安そうな表情を見せれば、余計に伯爵を不安にさせると思ったからである。
まあ、元々そこまで不安もなかったが……
「じゃあ、いってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
「たまに手紙を送ってきてくれな」
伯爵たちに挨拶し、俺たちは出発した。
いや、たかが一年の間にそう何度も手紙を送るようなことはないと思うのだが……
前世のように数日で行き来できるのならまだしも、最低でも一週間、下手したら一ヶ月くらいかかる距離を進む旅で手紙を書かなくてもいい気がする。
とりあえず、俺たちは出発をした。
「相変わらず面白いわね、バランタイン伯爵」
馬車を引く馬を操っていると、いつの間にか横にいたイリアが話しかけてきた。
その表情は今にも吹き出しそうなのを我慢しているようだった。
「あの人は家族思いで有名だからな。今回の留学も最初は反対だったよ」
「まあ、そうでしょうね。でも、どうやって説得したの?」
俺の話を聞き、イリアが首を傾げる。
孫大好きな伯爵がそう簡単に留学を許すとは思わなかったのだろう。
それがたとえ陛下からの命令だとしても、孫への愛で断る可能性すらあるのだ。
今回の提案は娘を奪った宿敵アレンから──伯爵にとっては意地でも認めたくはなかったと思うだろう。
しかし、誰でも弱点というものは存在する。
「俺とシリウス兄さん、アリス姉さんの三人で何度もお願いしたからな」
「え? それだけ?」
俺の言葉にイリアがぽかんとした表情を浮かべる。
たしかに言葉にするだけならば、そこまで大したことではないかもしれない。
だが、かなり苦労したのだ。
「許可してもらうために、いろんなことをしたんだぞ? 肩を揉んだり、お土産を買ってきたり……」
「なんか祖父に甘える孫みたいな行動ね」
「まあ、実際にそういう関係性だからな。ちなみに、これはリナリアさんの発案だ」
「流石に自分の旦那のことはよくわかっているのね」
「この方法は丸二日かかったよ」
「ながっ!?」
イリアが驚く。
まあ、祖父に許してもらうために丸二日も時間をかけていれば、驚きもするか。
だが、伯爵の方だって強情だったのだ。
なんせ、受け入れてしまえば、一年は俺たちと会えなくなるのだから……
「よくそれで準備が間に合ったわね」
「準備自体は1日で済ませたからな」
「え? それだけで済んだの?」
「ああ、もちろんだ。最初の日にミュール商会に行って、最低限必要な物のリストを渡しておいた。あとは、それを出発前に受け取るだけだ」
「親しい間柄だからできることね」
「そういうことだ。とりあえず、説得で時間がかかることはわかっていたから、買い物に時間は掛けられなかったんだよ」
「なるほどね」
イリアが納得する。
先ほどの伯爵の様子を見れば、俺の言っていることが正しいと理解したのだ。
それに時間を割くために、他の部分をできる限り早く済ませる必要性も……
「それでそっちはどうだったんだ?」
「どうだった、とは?」
「何も問題はなかったのかと思ってな」
俺はイリアに質問をする。
俺の方で問題もあったのだ。
彼女たちの方にも何らかの問題があってもおかしくないと思ったわけだ。
「まあ、まったくの問題がなかったわけじゃないわね」
「何があったんだ?」
やはり予想通り、何かあったようだ。
しかし、流石にうちほどひどい状況ではないと思うが……
「兄さんにバレかけたのよ」
「兄さん、というと……第二・第三王子の側近をしている?」
「ええ、そうよ」
俺の言葉にイリアは嫌そうな表情を浮かべる。
彼の兄はバランタイン公爵家の長男であり、次期公爵に最も近い存在であると言われている。
しかし、ついている派閥が【正妃派】──つまり【反国王派】である。
バランタイン公爵家が指示している【国王派】とは真逆であるのだ。
公爵家の中では珍しい存在であるともいえる。
「公爵邸にいるなんて、珍しいな」
「まあ、兄さんにとっても実家であることには変わりないからね。むしろ、いない方がおかしいぐらいよ」
「それもそうか」
イリアの言葉に俺は納得する。
彼は現在、王城に部屋を与えられている。
第二・第三王子の側近として、何かを求められたときに即座に対応できるようにするためらしい。
在学時代はそんなことはなかったのだが、卒業をして以降は第二・第三王子たちが暴走するようになりだし、その一つとして彼らの側近たちが王城に部屋を与えられるようになったのだ。
もちろん、王子たちの独断である。
それに反対する貴族たちもいたのだが、王子の命令ということでごり押したらしい。
ちなみに、国王はそれに反対をしていなかった。
国のトップとしての余裕か、それとも反乱分子を見張るためか。
「私が留学の準備をしているときに珍しく話しかけてきたのよ。「どこか遠くに出かけるのか?」、って」
「それだけ聞くと、妹のことを心配する兄の様だな」
「どうせ、私の行動を制限するための情報を集めているんでしょう。兄さんにとって、私は次期公爵になるために最も邪魔な存在なんだから」
「イリアさんは次の公爵になるつもりなのか?」
俺はふと疑問に思った。
いや、彼女が公爵を目指すことはおかしい事ではない。
バランタイン公爵家にはイリアと兄しかいない。
その座に一番近いのは兄の方ではあるが、イリアも十分に公爵となれる条件は満たしている。
別に女性の爵位をこの国が認めていないわけではないので、その可能性は十分にあるのだ。
そこまで多くはないが、この国でも女性の当主は存在しているし……
「ええ、もちろんよ」
「まあ、イリアさんだったら立派な公爵になれるんだろうな」
彼女の言葉に俺はそんなことを呟く。
本心からそう思ったからである。
しかし、俺の言い方が気に入らなかったのか、彼女は何か悪そうな表情で告げてくる。
「もちろん、そばで支えてくれるわよね?」
「は?」
イリアさんの言葉に俺は呆けた声を出してしまう。
一体、彼女は何を言っているのだろうか?
一矢報いたと思ったのか、イリアは笑みを浮かべている。
「だって、私たちは婚約者よ? 私が公爵になるんだったら、グレイン君は婿入りことになるでしょ?」
「あ」
そこでようやく気付いた。
たしかにその通りである。
イリアが公爵になった場合、俺はカルヴァドス男爵家を継ぐことはおそらくなくなってしまう。
妻が公爵で、旦那が男爵とはいろいろと面倒なことになってしまうからだ。
これが隣同士の領地だったらまだしも、少し距離があいているしな。
「なら、イリアさんの兄さんに頑張ってもらうしかないな」
「ちょ、どういう意味よ。私が公爵になることがそんなに反対なの?」
俺の言葉にイリアが文句を言ってくる。
まさか応援されないとは思わなかったのだろう。
だが、俺にだって言い分はある。
「流石に公爵の旦那という立場は荷が重い。これでも男爵の次男坊だからな」
「異常な、でしょう? だったら、私の旦那としても十分に働くことはできるでしょうよ」
「それは買い被りだ。俺にだってできないことぐらいはあるさ」
「あら、これでも正当な評価をしているとは思うけど?」
俺の言葉にイリアが驚いたような反応をする。
俺のことを高く買ってくれているのだろう。
まあ、大抵の人は俺のことを高く評価してくれているが……
だからといって、俺が何でもできるわけではないのだ。
「現に、俺はいまだにイリアさんに議論で勝ったことがない。知識としてはそこまで差がないはずなのに……」
俺は思わずそう告げる。
イリアとは時折、様々な分野について話し合ったりする。
それは歴史であったり、文学であったり、生物や植物についても議論したことがある。
知識をインプットするだけなら大変ではあるが、誰でもできることではある。
だが、それをアウトプットできるようになるには、いろんなことをしなければいけない。
その一つが議論である。
俺は真の知識とは人と議論をすることで初めて自分の物になっていると思っているのだ。
記憶をしているだけではあまり意味がないとも思っている。
「グレイン君は少し考え方が偏っているからね。私はその考えの弱点となる部分を攻めているだけよ?」
「これでもいろいろな方向から考えているんだが?」
彼女の言葉に俺は反論をする。
俺は自分の考えが偏っているとは思っていなかった。
一つの物事を複数の視点から見て、どのようなメリット・デメリットがあるかなどを把握し、その理由や改善点なども考えたりしている。
そこまでしても、イリアに論破されてしまうのだ。
「グレイン君は一つの物事について、その立場でどうするべきかを考えているでしょう?」
「それのどこが悪いんだ?」
「別に悪いとは言っていないわ。でも、その立場にこだわりすぎるあまり、考え方が偏っていると言いたいわけよ」
「む……」
彼女の言葉に俺は言い返せなくなる。
俺としてはいろんな角度で物事を見てきたつもりだが、彼女からしてみればまだ足りないということだろうか。
「一つの立ち場にこだわり続けている限り、私に議論で勝つことはできないわ」
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
「とりあえず、新しい案を考える、とかかしら?」
「新しい案?」
「ええ。例えば、二つの意見があった場合、それぞれのメリット・デメリットがあるはずよね」
「ああ、そうだな」
「その両方のメリット・デメリットを考慮したうえで、その二つを合わせた新たな案を考えるわけよ。そうすれば、私を納得させるような案ができるはずよ」
「ふむ……」
彼女の言葉に俺は考え込む。
たしかに彼女の言っていることは間違っていない。
そして、俺の視野が狭いと言われても仕方がないと思ってしまう。
だが、個々で一つ疑問が……
「でも、イリアさんは俺との議論でそんなことをしていなかった気が……」
「だって、私だけそんなことをしたら面白くないじゃない。やっぱり、勝負とはギリギリのところで勝つのが一番面白いわよね」
「……」
彼女の言葉に俺は黙り込んでしまう。
どうやら、俺はまだ彼女の本領を見ることはできていないようだ。
この人も大概【化け物】だな。
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