第六章 閑話6 とある屋台の店主は商品を売り込む 3
「パン、か……」
「?」
モスコさんは顎に手を当て、考える仕草をとった。
俺はそんな彼の様子に首を傾げる。
たかがパンを卸すという話でどうしてそこまで考えるのだろうか?
いや、商売の話なのだから大事なことは理解できる。
しかし、まだほとんど何も……パンを卸してほしいと伝えた段階の状況で考えることなどあるのだろうか?
そんな疑問を覚えていると、不意にモスコさんは女性に声をかける。
「エミリー」
「はい、何でしょうか?」
「パンを用意してくれないか? できれば、いろんな種類を一個ずつ」
「かしこまりました」
モスコさんの指示に女性は頭を下げ、部屋から出ていった。
その一連の流れのスムーズさに二人の信頼関係を見ることが出来た。
ここに疑念の感情が少しでもあれば、女性は聞き返すことをしていなかったはずだ。
それなのに、女性は反論を一切せずにモスコさんの指示に従っていた──それはつまり、モスコさんが信頼されているのだろう。
モスコさんが恐怖政治をしている可能性もない事はないだろうが、彼女や商会の様子からそれはないと思われる。
そして、数分後に女性がパンの入ったかごを持って戻ってきた。
中には10個ほど──つまり、10種類のパンが入っているということだ。
彼女はテーブルの上にかごを置き、皿の上にパンを乗せていく。
均等に5個ずつ2枚のさらに……ん? 2枚?
「はい、どうぞ」
「え?」
なぜか俺の前にまでパンの入った皿を置かれた。
俺は思わず驚きの表情で彼女を見てしまう。
だが、彼女はどうして自分がそんな表情を向けられているのかわかっていないようだった。
妙な空気が流れるなか、モスコさんが口を開いた。
「あなたが提案したことなんですから、あなたも食べないといけないでしょう?」
「あっ……」
言われてようやく気が付くことが出来た。
そんな当たり前のことまで考えられないとは、想像以上に緊張していたのだろう。
まあ、初めてこんな大きな商会の会頭と話すことになったのだから、緊張しない方がおかしいだろう。
納得することが出来た俺は女性に軽く頭を下げる。
「すみません」
「別に構いませんよ。私も説明しなかったのが悪かったですし……」
「ですが、よくよく考えればわかることでした。それにモスコさんは最初から理解していたようですし……」
「まあ、指示を出した本人ですからね。というか、そういうことは事前に言っておいてくれませんか、会頭?」
「えっ!? 私が怒られるのか?」
彼女の怒りがモスコさんに向いた。
部下にここまで怒られるのは仲が良い証拠なのかな?
「私が戻ってくるまでの間に彼に説明することぐらいはできたでしょう? どうしてそんなことが出来ないんですか?」
「い、いや……わかっているものだと思っていたし……」
「会頭は何も言ってないからわかるはずないじゃないですか? 私みたいにずっとこの商会に勤めている人間なら会頭が言わなくてもわかりますけど、彼は今日初対面なんですよ? そういうことを求めたら駄目じゃないですか!」
「う、うむ……たしかにそうだ」
あっ、言い負かされた。
意外と押しに弱いのかもしれない。
いや、正論に弱いと言うべきかな?
こんなんで商売に向いているのか心配になったが、これだけ大きな商会を率いているのだから商売の才能はきちんと持ち合わせているのだろう。
ただただ人が良いだけで……
「で、では、試食しましょうか?」
「ええ、そうですね」
話をぶった切ろうとモスコさんが言った言葉に俺は頷く。
少し横道にそれてしまっていたが、ようやく本題に入ることが出来た。
さて、これからどうなることやら……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「今日はお疲れさまでした」
「こちらこそお時間をとっていただき、ありがとうございます」
二時間後、俺は入り口でエミリーさんに見送ってもらっていた。
こんな大手の商会の従業員であるので、やはり彼女の対応は素晴らしい。
そんな彼女としっかりと話し方につられて、俺は慣れないながらも敬語を使っていたりする。
「しかし、今回はすみませんでした。うちの会頭が……」
「いえ、別に構いませんよ。流石に今日で決まるとは思っていませんでしたから……というか、むしろ今日だけでここまで話が進んだことの方が驚きですよ」
この会話からわかる通り、今日の試食では決定できなかった。
いや、俺の感触から言わせてもらうと、もうすでに商品化することは決定できたと思う。
だが、残念なことにまだどんな商品にするかを決めることはできなかった。
その原因はひとえにモスコさんの優柔不断さだろう。
エミリーさんが持ってきた5種類のパン──その中から一時間かけて3種類まで絞ることが出来た。
けれど、残り1時間をかけてもそこから絞ることが出来なかったのだ。
そして、タイミングが悪い事にモスコさんに重要な仕事がやってきてしまったため、今回の試食はこれでお開きになってしまった。
とりあえず、数日後にもう一度来てくれと言われたので、大丈夫と言ってもいいのかもしれないが……
「そう言っていただけるとありがたいのですが……とりあえず、会頭の方にはこちらからきつく言っておきますので」
「……お手柔らかにお願いしますね?」
「善処します」
「……」
モスコさんはどれだけ怒られるのだろうか?
最初見たときは大人しそうな雰囲気の女性だと思っていたけど、彼女は案外言うべきことは言うタイプのようだ。
まあ、俺個人としてはこういう女性の方がタイプだったりする。
こういう人だったらきちんと気持ちを伝えてくれそうだし、こちらも自分の気持ちを伝えやすい気がする。
そういう点では俺たちは気が合いそうだ。
といっても、今のところはそういう感じになる気配など微塵もないわけだが……そもそも俺たちが出会ったのは今日が初めてなわけだし……
まあ、俺が今すべきことはカリーを売れる商品にして、しっかりと世の人に知らしめることである。
それを成し遂げるまではそういうことに現を抜かすわけにもいかない。
とりあえず、今は帰って少しでもこのカリーを改良してみよう。
「では、俺はこれで……」
「あのっ!」
「ん?」
帰ろうとした瞬間、エミリーさんに呼び止められた。
俺はすこし怪訝そうな表情で振り向く。
この状況で呼び止められるとは思わなかったからだ。
そんな俺に彼女は構わず話しかける。
「あの、私はエミリーって言います」
「……知ってるけど?」
彼女の言葉に俺は思わずそんな返答をしてしまった。
彼女から直接聞いたわけではないが、モスコさんが呼んでいたのでそうだと思っていた。
それに気が付いたのか、彼女ははっと気が付いたような表情になる。
「あっ、そうですね」
「それでどうして名前を?」
「私があなたの担当窓口になるように会頭が言いまして……とりあえず、名前を伝えた方が良いと思いまして……」
「なるほどね」
状況は理解できた。
俺がミュール商会を訪ねたときに直接会頭であるモスコさんを訪ねるわけにはいかない。
なので、最初に声をかけるべき窓口を作ったというわけだ。
それはありがたい。
「なので、次回からは私を呼ぶようにしてください」
「わかったよ」
「それでは、また」
伝えるべきことを伝えた彼女は頭を下げる。
こういうところもしっかり教育されていることがわかる。
だが、彼女に伝えられたことで俺にも用件が一つできた。
「俺はラグーです」
「え?」
「俺の名前はラグーです。名前を教えてもらっても、そちらが知ってなければ意味ないでしょう?」
「あっ!? そうですね」
俺の言葉に納得したのか、うんうんと頷くエミリーさん。
しっかりとした女性だと思っていたが、どこか抜けているところがあるのかもしれない。
そういえば、今日もどこかそういうところがあったな。
まあ、人間なんだから、完璧なやつの方が少ないんだからおかしな話ではないな。
「じゃあ、次からよろしく頼みます」
「ええ、こちらこそ」
そう言って、俺たちはそのまま解散した。
そして、俺は家路につく。
帰り道、燃えるように真っ赤な夕日が今の俺の気持ちを表しているようだった。
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