2-6 死んだ社畜は酒場に行く (改訂)
「グレイン様、帰りましょう。ここはまずいです」
リュコが俺の目の前に立ち、そう言ってきた。
まるで向こう側の景色を見せないように、そんな配慮でしている行動のようだ。
さて、一体なぜこんな行動をしているのかというと……
「おいおい、早く飲めよっ!」
「その程度も一気できないのかよ!」
「じゃあ、てめえらがやれよっ。すげえ量なんだぞ」
「お前らなんざ、この半分も飲めねえだろうが」
「「なんだとっ!」」
彼女の向こう側──建物の中からにぎやかな声が聞こえてくる。
まるで宴会のようなそんな雰囲気が漂ってくるのだ。
昼間なのにもう酒を入れているのか……前世の俺では考えられなかった光景だな。
そして、その店の名は【フォアローゼス】──俺たちが向かっていたローゼスさんの店である。
目の前に映る光景はまさに酒場といった様相──いや、酒場そのものだった。
いや、別にこの村の規模ならば有ってもおかしくはないと思うのだが、まさか昼間からこれだけ繁盛しているとは思わなかった。
そして、そんな状況を子供の俺に見せるわけにはいかないと、彼女は間に入ってきたわけだ。
まあ、彼女の行動もわからないでもないが、今回の目的のためには入らないわけにはいかないのだ。
「別にお酒を飲むわけじゃないから、大丈夫だよ」
「グレイン様にはこういう類の店に入るのはまだ早いですよ。私が伝えてきますから、ここで待っていてください」
「せっかく来たんだから、僕も入るよ」
「エリザベス様にこんなところに連れてきたとバレたら大変なことになりますよ? こんなに小さいのに昼間から酒場に入った、って」
「いや、流石にそれはないんじゃないかな? 母さんだって事情を説明すれば、わかってくれると思うよ?」
彼女の懸念もわからないではないが、流石にエリザベスもそこまで理不尽に怒りはしないと思う。
流石に酒を飲んだり、中のお客さんと一緒に騒いだりしていたら問題かもしれないが、今回はあくまでドライとマティニに話をしに行くだけだ。
「ですが……」
「ローゼスさんだって、俺に向かってまたうちの店に来てくれと言っていたじゃないか。子供も食べられるような料理だって置いてあると思うよ?」
「……そうですか?」
「きっとそうだよ」
根拠はないが、流石に彼女だって酒飲み用の料理しかないのに子供を呼んだりしないだろう。
まあ、そういうことを気にしない人なのかもしれないが……
「とりあえず、入ろうよ。二人に会わないと話ができないしさ」
「……わかりました。ですが、お酒は絶対にダメですよ」
「いや、流石にそれぐらいはわかってるよ」
彼女はどこまで俺のことを信用していないのだろうか?
たしかに何度か問題行動を起こした自覚はあるが、それでも流石に絶対にダメな部分の線引きはわかっている。
この年齢でお酒を飲んではいけないことはしっかりとわかっている。
前世だってきちんと20歳になってからお酒を飲み始めたし、お酒で人に迷惑をかけたことなんて……
そういえば、お酒で迷惑をかけたことはなかったが、就職してからなんて会社がブラックすぎて飲み会とかすらいけなかった気がする。
嫌なことを思い出してしまった。
「おっ、さっきの坊主じゃないか」
「本当だ。早速来たのか?」
「あ、どうも」
店の中に入ると、先ほど喧嘩をしていたドライとマティニがせっせと働いていた。
二人とも料理と酒を運んだり、食器を片したりしているようだった。
本当に働いているんだな……
「どうしたんだい? ここは子供が楽しめる店じゃないんだが……」
「いえ、ちょっとローゼスさんに話があって」
「姐さんに?」
俺の言葉に首を傾げるドライ。
まあ、普通はわからないかもしれないな。
そんなことを考えていると、店の奥からローゼスさんが顔を出した。
「おっ、早速来たか」
「どうも……ちょっとお話したいことがありまして」
「おお、そうか。じゃあ、ちょっと待っていてくれるか? とりあえず、注文された料理だけ作り終えたいから」
「別に構いませんよ。僕は時間があるので、待ってますよ」
「それはありがたい」
俺の言葉にローゼスさんが再び厨房に戻る。
奥でどんな風に調理をしているのかはわからないが、どんどん料理ができているところを見るとかなり慌ただしく料理を作っているように感じる。
しかし、だからといって手抜きの料理をしているわけではないようだ。
お皿に盛られている料理を見てみると、どれもおいしそうに見えるのだ。
まあ、どれも酒のあてみたいな料理ばかりではあったが……
「ふぅ……ようやくひと段落だ」
「お疲れ様です。繁盛しているみたいですね」
汗を拭きながらやってきたローゼスさんに俺は労いの言葉をかける。
その姿を見て、様になっているなと思ってしまう。
別に屈強な女性が好みとか女性の汗が大好きなんて変態思考を持ち合わせているわけではないが、彼女が仕事を終えて一息つく姿はなんというか板についているように感じたのだ。
「店が繁盛するのはありがたいが、昼間から酒場に入り浸って酒を飲みまくるなんざ、この村の人間は大丈夫なのかね?」
「仕事を終えているんだったらいいんじゃないですか? 流石に仕事をサボってきているんだったら、追い出せばいいと思いますよ?」
「はは、それはしているさ。一応ここに残っている奴はきちんと仕事を終わらせているはずさ。嫁さんとかにしっかりと聞いているから」
「ああ、なるほど」
流石に彼女も仕事を終わらせていないような人間に酒を飲ませるつもりはなかったようだ。
何事も力技で解決してそうな人ではあるが、そういうところでは良識があるようでほっとした。
この村の人間はドライとマティニの大喧嘩を楽しむような人ばかりだったらどうしようかと思ったが、彼女とこの村の女性陣はしっかりと良識を持っているのかもしれない。
そんな中、ふと恐怖で抱き合う二人の姿を見ていた女性の視線を……
……うん、考えるのはやめておこう。
あれは男の俺が踏み込んでいい領域ではない。
人の趣味嗜好をとやかく言うつもりはないが、普通の感性を持つ俺には一生縁のない分野だ。
「それで少年はどうしたんだい? まさかこんなに早く来るとは思っていなかったんだが……」
「いえ、ちょっとあの二人について話しておこうと思いまして」
「ドライとマティニのことか? どんな内容だ?」
俺の言葉にローゼスさんの表情が真剣になる。
先ほどまで仕事をひと段落させて力を抜いていたのに、しっかりとオンオフのできる人なんだな。
「あの二人が喧嘩していたことについてです」
「ああ、それは私も注意しているんだが、なかなかやめなくてな」
「……そうですか」
「普段は結構仲が良いのに、突然喧嘩をし始めるんだ。一体何が原因なんだか……」
彼女はそんなことを言いながら頭を悩ませる。
彼女にもどうして二人が喧嘩をしているのかわからないようだ。
だが、
(((((じぃ~)))))
なぜか店内にいたお客さんがローゼスさんの方をじっと見ていた。
彼女はその視線には気づいていないようだし、俺も一瞬どうして彼女がそんな視線を向けられているのかがわからなかった。
しかし、すぐにドライとマティニの男二人とローゼスさんという一人の女性という状況を考え、どういう理由でこの喧嘩が起こっているのかを察することができた。
だが、これについては部外者の俺がどうこういうことではない。
当事者が解決すべき問題なのだ。
まあ、とりあえず用件だけ伝えよう。
「あの二人の喧嘩はちょっと危ない気がしまして……一応、注意勧告をしておこうと」
「注意勧告? それはありがたいな」
「そうですか?」
「私が言っても聞きやしないから、ある程度権力を持った人間に言われた方が効果はあるだろう? あと、少し聞きたいことがあるんだが……」
「なんですか?」
「少年は何者だ? 見たところ平民ではないようだが……」
彼女は真剣な表情のまま俺にそんな質問をしてきた。
ああ、そういえば自己紹介はしていなかったな……
俺は少し礼儀を欠く行為をしてしまったことを反省し、椅子から立ち上がって自己紹介する。
「名乗るのが遅れてすみません。僕はグレイン=カルヴァドスです。ここの領主の次男です」
「なっ!? 少年は貴族だったのか?」
俺の自己紹介にローゼスさんは驚愕の表情を浮かべる。
そんな彼女の様子が周囲にも伝播し、一時店内は騒然としてしまった。
まさかこんなことになるとは……




