5-33 死んだ社畜は朝の訓練をする
「ん? 誰だろう?」
玄関から出た後、屋敷の周りをランニングしていると開けた場所に誰かがいることに気が付いた。
俺は気になったので、その人物のもとへと近づいていった。
すると、近づく俺に気が付いたのか、その人物は意外そうな表情を浮かべながらも声をかけてきた。
「おお、グレインか? こんな朝早くに何をしているんだ?」
そこにいたのはバランタイン伯爵だった。
右手には片手用の木剣を持っているということは、訓練をしていたようである。
「日課のランニングだよ」
「ほう? こんなに朝早くからか?」
「うん。昼間にはいろんなことをやらなくちゃいけないから、何の道具もいらないランニングは必然的にこの時間になっているんだ」
「ふむ、なるほどな」
俺の説明を聞き、手を顎に当てながら頷く伯爵。
どうやら、納得してくれたようだ。
この世界は地球に比べると文明的にはかなり遅れている。
中世ヨーロッパレベルといったところだろうか──わかりやすく言うならば、電球などという便利なものは存在していない。
この世界での灯りはいわゆる蝋燭などの火である。
当然、そんなものでは周囲をうっすらと照らすことしかできず、暗い間はあまり大したことができなくなってしまう。
というわけで、ものを使う作業は日の昇っている昼間になるわけだ。
まあ、時間がない場合には蝋燭の火などで照らして作業をする場合もあるが……
「……」
「どうしたの、爺ちゃん?」
爺ちゃんが何かに気付いたようで、じっとこちらを見てきた。
正確に言うと俺だけではなく、一緒に走っていたリュコのことも見ているようだ。
なんかじっと見られるのは恥ずかしいな。
「二人とも、しっかりと鍛錬を積んでいるようだな」
「「え?」」
伯爵の言葉に俺とリュコは驚きの声を上げる。
なんせ、そんなことを言われるとは思わなかったからだ。
そんな俺たちの反応に伯爵は笑いだす。
「はははっ、まさか本人たちがそんな反応をするとは思わなかったぞ?」
「だって、言われたことなかったし……」
「私は自分がそんなことを言われるとは思わなかったですし……」
伯爵の言葉に俺たちはそんな返事をしてしまう。
俺たちは確かに鍛えているが、それを見ただけでわかるほど鍛えているとは言えないと思っていた。
現に俺は周囲の人間からそのように言われていなかったし、リュコだって他の使用人と比べても鍛えているようには見えなかった。
どうして伯爵はそんなことを言ったのだろうか?
【歴戦の猛将】と呼ばれているバランタイン伯爵が言うのだから、間違いではないと思うが……
「まあ、お前たちの場合は周りもおかしいだろうからな」
「「?」」
「まあ、わかりやすくいうと、周囲の人間が鍛えすぎなだけだ」
「「ああ、なるほど」」
ようやく伯爵の言うことが理解できた。
俺たちの評価基準がおかしかったようだった。
俺たちはカルヴァドス男爵家の人間──武功で貴族に成り上がった一族である。
つまり、武功を上げるほど強い者が一族をまとめており、そうなると必然的に屋敷にいるほとんどの人間が鍛えることになってしまう。
エリザベスやクリス、シリウスのような例外──つまり、魔法をメインに戦う場合は必要最低限しか鍛えていないが、それはあくまで例外中の例外だ。
魔法を使えない者たちは鍛えるしかないし、魔法を使える者も接近戦をこなすために鍛えたりする。
そのため、周囲の人間も体を鍛えており、比較してもそこまでおかしくなかったわけだ。
「まあ、グレインがまだ年齢に見合った体つきであることが救いだな?」
「そうなの?」
「ああ。小さいころから筋肉をつけすぎると、成長に支障をきたす可能性があるらしい。グレインを見てみるとたしかに筋肉は多いように見えるが、ぎりぎり年齢通りだと思うな」
「ぎりぎり、かぁ……」
伯爵の評価に俺はどう反応していいかわからず、苦笑してしまう。
一応、子供という評価にしてもらっているようだが、【ぎりぎり】と言われるのはそこまで嬉しくない。
一歩間違えば、簡単に枠組みから外れると言われているようなものだからだ。
まあ、カルヴァドス男爵家の人間であるならば、それも仕方のない事なのかもしれないが……
「さて、ものは相談なのだが……」
「「ん?」」
「私と打ち合ってみないか?」
「「え? ええっ!?」」
伯爵の突然の言葉に俺たちは一瞬理解できず、その後に驚きの声を上げてしまった。
なんせ、いきなりの提案だったからだ。
そんな俺たちに伯爵は笑顔で話す。
「私はお前たちに興味を抱いた。実力を見るのは昼間の訓練でもよかったのだが、今のうちにその片鱗だけ見るのも一興だと思ってな」
「いや、そんなことを言われても……」
「昼間の訓練は魔法を入り混じったものになる。総合力を見るには申し分はないかもしれないが、基本的な部分を見るのならば魔法なしの方がいいからな」
「言わんとすることはわかるけど……」
伯爵の言葉に俺はどうするべきかを悩んでしまう。
伯爵と戦うのは俺にとっても実りがあるものになるのは理解できるが、だからといってこの場で戦うのはあまり気乗りがしない。
なんせ、生身でこの人と戦うのは正直怖い。
アレンやリオンほどではないが、この人も年齢に見合わずかなり鍛えている、
180センチは超えているだろうか、大柄な男と評することができるだろう。
そんな大の男と魔法なしで戦うというのだから、恐怖を感じない方がおかしい。
なんせ、こちらは鍛えているとはいえまだ8歳の男の子なのだから……
「あの~」
「ん、なんだ?」
と、ここでリュコが会話に入ってくる。
その言葉に伯爵はリュコに意識を向けた。
「今の話だと、私も伯爵様と戦うことになっているようですけど……」
「そうだが? 何か問題でも?」
「ええっ!?」
伯爵の言葉にリュコが驚きの声を上げる。
まあ、仕方のない事だろう。
まさか伯爵から戦えと命じられるとは思っていなかったのだから……
「何を驚くことがある? 君はグレインの専属メイドなのだから、主と共に戦うことぐらいあるだろう」
「そ、それはそうですけど、伯爵様と戦うわけには……」
「これは訓練だ。実戦ではないのだから、そこまで気にすることはない」
「で、ですが……」
伯爵の言葉にリュコはおろおろしてしまう。
まあ、仕方のない事だろう。
伯爵の命令とはいえ、自分の主よりも格段に上の権力を持つ相手に武器を向けることは難しいはずだ。
俺だってこれが身内でなければ、武器を取り出そうとすら思うことはできない。
「私が戦いたいのだ。気にすることはない」
「で、ですけど……」
伯爵の言葉でもまだリュコは受け入れることはできていない。
それも仕方のない事だ。
使用人であるリュコに貴族と戦えと言う方がおかしいのだ。
しかし、それはあくまで一般論──この場においては意味をなさない。
「ふっ」
(ザッ……シュッ)
「えっ!?」
いきなり伯爵が駆けだし、持っていた木剣を横薙ぎに一気に振り抜いたのだ。
あまりの突然の行動に、リュコは驚きの声を上げるだけで反応することはできなかった。
(ガッ)
「うぐっ!?」
俺は近くにあった木剣を取り、どうにか伯爵の攻撃を受けきる。
しかし、完全にダメージを逃すことはできず、手のしびれに苦しげな声を上げてしまう。
そんな俺の様子に伯爵は少し嬉しそうに口を開く。
「ほう、咄嗟の反応はかなり評価できるな」
「そ、それは……どうも……」
「では、まだまだいくぞっ」
「っ!?」
そんな会話の後に伯爵は攻撃を再開した。
どうやら息つく暇も与えてくれないようだ。
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