24. 帰国
未だ内乱が終結の気配を見せず継続中である以上、一軍を率いている私があまり長く国外に滞在する訳にはいかない。
現時点で纏めておくべき事柄について全て合意し終えた私は、数日後にはフェーレンダール王国を後にする。
復路でも往路の際と同じようにして進み、幸いにして大きな戦闘に巻き込まれたりすることの無かった私達は無事にレールシェリエにまで帰り着くことが出来ていた。
そして、その際に現宰相とラーゼリアの支配地域をそれぞれ通過したことで、私が国外にいる間の戦況が大まかにであるが掴めている。
予想の範囲内であるが、現在最も優勢に立っているのはラーゼリア側であるらしい。
現宰相側は先日の敗戦とその際の諸侯の大挙しての寝返り、また旗印であった第二王子を失ったことでその勢いをほぼ失っており、未だ公爵家及びそれに近過ぎて最早一蓮托生となった貴族達の私兵が二十万程度は残っているようだが、激しく攻め寄せるラーゼリアの攻勢を食い止めるだけで精一杯の状態であるようだ。
とはいえ私達が楽になったかというとそういう訳でもなく、現宰相側の勢いが衰えたことによって余裕が生まれた彼らはそれを以てこちらにも本格的に攻撃を仕掛けてきており、王国の中央部と南部の境界付近では彼我の攻防が始まっていた。
元々、現状においてラーゼリアにとって厄介なのは大義名分と勢いとを同時に失い落日に差し掛かった現宰相達ではなく、むしろ着実に地盤を固めつつある私達の方である。
こちらとしても、いくら現宰相の討伐に成功したとしても隣国の軍勢が国内に残ったままでは何の意味も無い。
仮にそれで即位したとして、それまでに最低でも国境の向こうまで押し返しておかなければ、我が国の国土が占拠されたままの状態では権威を確立出来ず殿下が安定的な権力基盤を持つことは不可能だろう。
それではいくら王都を奪還して戴冠式を行ったところで敗北に等しいので、当面の敵は彼らであるということになる。
故に、これまでは現宰相が防壁となっておりそれ程大規模には交戦していなかった彼我の衝突は激しさを増しつつあった。
幸いにもフェーレンダールが動いてくれるためにあちらにはこれ以上の増援は無いだろうし、また彼らは占領地の拡大が主目的であるために兵力が分散している。
それらを鑑みれば、勝機は十分にあると言ってよい。
広場に着いて解散を言い渡すと、同行してきていた属吏達は疲れの色を表情の上に見せながらも執政府の建物へと入っていく。
そして騎士団長が自ら指揮をする騎士団を解散させると、彼らは次々と愛馬を預けるために厩舎の方へと向かう。
その光景を、私は馬車の窓越しに眺めていた。
そういえば、帰りの道中でも当然一行は第三騎士団の護衛を受けていた訳だが、その中で先日の決戦の際の不可解な動きの理由を尋ねてみたことがあった。
すると、寝返ってそれまで友軍だった軍勢を攻撃することは自らの信条に反するためだという答えを返した彼。
第二王子に従っていた彼はあの戦いの中で大量の軍勢が寝返ることは知っていたのだが、自らはそこから外してくれるように頼んたのだそうだ。
その結果、戦いが終わってからこちらに合流するという形になったらしい。
第三騎士団の三万(形式上は一万ということになっているが)は数以上の力を持った精鋭であり、実際にこちら側へと合流する直前にラーゼリアの軍勢を散々に撃破している。
敵として戦った時は恐ろしいなどというものではなかったが、しかしだからこそ味方になった今はこれ以上ない程に頼もしかった。
私がそう感じているのだから他の諸侯や兵達も同じように感じているはずであり、彼らが味方になったことは士気が上がるという意味において兵数や戦闘力以上の意味をも内包していると言っていい。
そのようなことを考えながら馬車から降りる私。
今回は厩舎の中に残したままそれなりの期間この街を留守にしていたので、近いうちに遠乗りでもしてヴァトラを存分に駆けさせてやらねばなるまいと思いつつ、石畳の上に降り立った私はカルロと共に執政府の方へと向かった。
階段を上って三階へと進んだ私は、カルロが開けてくれた扉を通り自室へと入る。
「お帰りなさいませ、お嬢様、カルロ」
すると、その先にはアネットがおり、入室した私に対して礼をして出迎えの言葉を掛けてくれる。
実家にいた頃や、学園の寮で生活していた頃ならば毎日のことであったそれも、しかし私が王都を出奔してから最近までは彼女とは別行動を取っていたために此度が初めてだった。
懐かしさと、慣れ親しんだアネットの姿を目にしたことによる安心感を覚えつつ、私は靴を脱いで床に敷かれたカーペットへと上がる。
「ありがとう、アネット。こうして貴女に迎えられるのも随分と久々ね」
「はい。私も斯様にお嬢様のお帰りを待てることはとても嬉しく存じます。これからも、この喜びが続けばと願っております」
「もちろんよ。心配してくれてありがとう」
幼少の頃より十年以上も共に過ごしてきたアネットとは、もう互いに完全に気心が知れている。
遠回しに私のことを心配する言葉を掛けてくれた彼女に対し、安心させるべく微笑みを浮かべて頷く。
当然ながら、アネットもまた私が護りたい人物の一人だ。
にもかかわらず、こちらが心配させてしまうようではいけない。
「さて……では、夕食まで少し休ませてもらうわ。貴女も、それまでは好きなことをしていなさい」
「畏まりました。時間になりましたらお呼び致しますか?」
「いいえ、眠る訳ではないから不要よ。気にしなくて構わないわ」
そう告げて、自室の扉を開く私。
置かれている執務机の方に歩いた私は、そのまま椅子へと身体を預けた。
それから数時間後。
時折気休めにアネットが淹れてくれた紅茶を飲んだりしつつ、不在のうちに溜まった書類などを一枚一枚片付けていると、ふと外から扉が鳴らされる。
その音に反応してそちらに目線を向けると、続いて扉の向こうからクララの声が聞こえてきた。
「入りなさい」
そう声を掛けると扉が開かれ、その向こうから学園にいた時と同じようにオーロヴィア家の制服を纏った少年が姿を現す。
扉が閉まる音が響く室内。
淑やかという表現さえ似合うようなどこか儚さのある美貌を持った彼は、その場で腰を折ると淀みの無い動きでしなやかな礼をした。
「どうしたの?」
「フェーレンダール王国が動いたって報告が届いたんだ。詳細はまだ分からないけど、王が自ら率いてるかなりの大軍が南下して一気に国境沿いの城砦を全部攻め落としたらしい。ラーゼリアは、こっちに援軍として送るために編成してた二十万の軍勢を慌ててそっちに差し向けたみたいだ」
「そう……ありがとう」
ひとまず彼に対して労いの言葉を掛けると、私は思考に没頭する。
第一報なのでまだフェーレンダール軍の編成までは掴めていないそうだが、国境沿いに数多くある城や砦を一気に攻め落としたとなれば、それが相当な大軍であることは疑いがない。
ましてや、先日顔を合わせたエルリック王の親征であるという報告もその推測を裏付けている。
だが、ベルファンシア公爵家が自家の私兵の編成に長大な時間を要していたように、大軍の編成にはそれ相応の時間が必要だ。
私が訪問してから現在までの時間で、それだけの大軍が編成出来るとは思えない。
ということは、こちらが訪れた理由と思惑を察知していた彼らは、私が彼の国に到着した頃にはもう攻め込む気満々で準備を始めていたのだろう。
ともあれ、これで懸案の一つは解決した。
これだけ迅速に動いてくれるとは思わなかったが、私達としてはそれはかなりありがたい。
北からの大規模な侵攻を受けたとなれば彼らもそちらへの応戦に専念しなければならないだろうし、とてもこちらに援軍を送るような余裕は無いはずだ。
援軍として編成されていた二十万がもしこちらに到着してしまえばとても勝ち目など無かったので、その懸念が失われたことに安堵する。
となれば、ここからは速攻ありきだ。
戦後の情勢までを見通す(恐らくだが私とほぼ同じような見通しをフェーレンダール側も持っているのではないだろうか)ならば、ここは可能な限り素早く動かなければならない。
そのために助勢を要請する相手にフェーレンダール王国を選んだのだ。
新たな動きを受けて数日中にはまた軍議が開かれるであろうし、その際にどのようなことを提案すべきかを頭の中で纏めていく。
「では、国内にいるラーゼリアの軍勢に対しその事実を広めなさい。混乱してしばらくの間は動きが鈍るはずだわ」
目の前に控えているクララに対してそう命じる私。
このような報せが届けば、混乱しないはずがない。
仮に彼我が逆の立場だったとして、敵国でそうした事実が広まったとしたら全軍が一時的に大混乱に陥ることは確実だ。
そして混乱するのは兵だけではなく、それを率いている貴族達も同様である。
このまま進むべきか、もしくは撤退して防衛を優先すべきか。
恐らくは(余程対フェーレンダール戦線が絶望的な戦況に陥らない限りは)撤退することはないだろうが、とはいえその方針が決まるまでの間はあちらの動きは完全に停止することになるし、その分だけ時間を稼ぐことが出来る。
「ああ、早速広めてくるよ、お嬢様」
そう言うと再び礼をして、彼は部屋を退出する。
一人になった私は、執務机の引き出しから空白の紙を一枚取り出し、そこに思い立ったことを書き出したりしながら今後の戦略についての仔細を考えていった。




