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23. 本性

 そうして交渉兼食事が終わった訳ではあるが、とはいえ翌日にはもう帰路に着くことが出来るという訳ではない。

 王と話したのはざっとした大枠部分に過ぎないので、帰るまでに詳細についての折衝をしておかなければならないのだ。

 その相手は、当然初日に私を案内してくれたこの国の若き宰相となる。

 二日後の昼過ぎ、食事を済ませた私は別室で彼と顔を突き合わせて打ち合わせを行っていた。

 細かな部分では様々なものがあるにしろ、メインとなる議題はやはり穀物の輸出についてである。

 ベルフェリート王国で生産されている穀物は大麦、小麦、蕎麦の三種類だ。

 そのうちのどれをどのくらいの量輸出するのか、一袋当たりどれくらいの価格で取引するのか。

 優先貿易であるからには、そうした事柄についてあらかじめ決めておく必要があった。

 もっとも、元々我が国は南方貿易の利益によって大幅な黒字であるし、輸出するのは余剰で国内には行き場の無い分の穀物であるため、多少安い価格で売っても問題は無いのだが。

 それどころか、別に輸送費(船で比較的楽に往来出来る南方貿易とは異なり陸路で長期間進まなければならないため費用もかさむのだ)を差し引きして赤字になる価格にしたとしてもこちらとしては構わない。

 たかがその程度の赤字では国庫への痛痒など何一つ無いし、何よりそれでフェーレンダールを動かせると言うのならば安い出費だろう。

 とはいえ相手の言い分を全て鵜呑みにするようでは正使として失格であるので、少しでも利益を得られるよう交渉はきちんと行っていく。


 取引価格の問題については然程重要ではないのであっさりと纏まった(ぎりぎりこちらにも僅かながら利益が出る程度の価格だ)が、それよりも重要なのが輸出する穀物の種類と量についてである。

 当たり前だが、フェーレンダール国内における穀物の不足を解消するために彼らは我が国から穀物を輸入する以上、消費されないものを輸入しても何の意味も無い。

 しかしながら、この国で主食として広く口にされているアマランサスは我が国においては生産されていないのだ。

 故に輸出の候補として上がるのは大麦と小麦と蕎麦の三種なのであるが、そのうちのどれを主に輸出するかが問題だった。

 この三つにはそれぞれ長所と短所が存在している。

 まず、小麦の長所は小規模ながらも既にこの国でも生産されているため、受け入れられる土壌が少しは存在していることであり、逆に短所は元の嵩に比べてパンとして口にすることが出来る量が少ないことである。

 大麦と蕎麦の長所としてはこの国で主に口にされているアマランサスと炊いて食べるという調理法が共通している点と、水を使って炊くために同じ量でも小麦と比べてずっと多くの人の空腹を満たすことが出来る点であり、短所はこれまでに全く流通していないために市場が存在せず需要の有無も不明であることだ。

 こうして並べてみると一見既に流通している小麦がこの中では最も有利であるように見えるが、しかし主に生産量の問題で流通しているのは首都や大きな都市に限定されており、それ程広く食されている訳ではないらしい。

 流通量が増えたからといってそのまま需要の大きさへと繋がるかは不透明であり、つまり、それによる利点は決め手になる程には大きくないことを意味している。

 かといって大麦と蕎麦がフェーレンダールの民衆に受け入れられるかもまた分からないので、なかなかに悩みどころであった。


「では、我が国で逆徒の討伐が終わるまでは小麦を主として試験的に大麦と蕎麦を少しずつ、こちらが落ち着いたら両者の比率を半々に切り替えるというのは如何でしょうか? 先日エルリック陛下とお約束した訪問の際には、我が国から腕利きの料理人を連れて参りますわ」


 特定の穀物が普及しない理由としては、その地の気候で生育可能であるかや育てるのに必要な労力の多寡などの部分が大きいが、もう一つ食文化にも大きな原因がある。

 アマランサスを主食とするフェーレンダールの料理は当然それに合わせて最適化されており、必ずしも他の穀物と相性がいいとは限らないのだ。

 例えば、刺身を拉麺と共に食べようと思う者が果たしてどれ程いるだろうか、ということである。

 根本的には、あちらにとってはもし普及させられるのであればより多くの量を口に出来る大麦や蕎麦を輸出する方が都合がいい。

 故に、そのためにはただ市場に流通させるだけではなく同時に大麦や蕎麦に合う料理を広める必要があった。

 そのためには、ベルフェリート王国の誇る腕利きの料理人に同行してもらいこの国の料理人の前でいくつか料理を披露すればよいのではないかと思い、机を挟んで対面に座るラファエルへと提案する。


「分かりました。その方向で進めさせていただきましょう」


 すると頷いた彼は、隣室に控えていた官吏らしい男を呼び出すと小声で何か指示を伝える。

 そして、男が立ち去り室内が静かになると、ラファエルはこちらへと視線を戻す。


「貴女はとても聡明ですね、サフィーナ嬢。エルリックが興味を抱く理由もよく分かるというものです」


 無表情のまま私を見つめながら、彼はそう呟くように口にする。

 静謐の中を伝わる小さな、それでいて私にまで届くことを前提としたような呟き。

 反応に困ったし、返事を期待しての言葉であると思えなかったので黙っていることにする私。


「ですが、私は貴女が嫌いです。……その整った美しい顔を眺めていると歪めてしまいたくなる」

「……それは残念ですわ。私はセルージュ様のことを尊敬致しておりますのに」


 だが、続けられた台詞に対して、私はそう言葉を返す。

 さすがにこのようなことを言われては皮肉の一つくらい返したくなるというものだが、しかし現状で彼我の立場が対等ではない以上、こちらの内戦が終わるまでは彼の機嫌を損ねるのは得策ではない。

 故に、無難な答えを返しておくことにする。


「まだ若年であるというのに、このように告げてもなお自らを装って瑕疵を見せない。私は、完全過ぎる貴女が嫌いです。その装われた表情を壊してしまいたい」

「お戯れを。セルージュ様のように優れた方になりたいと常々思っておりますわ」


 無表情であることがほとんどであった彼の顔には、今は穏やかとさえ表現して構わないような笑みが浮かんでいる。

 発せられている言葉とは明らかに食い違うそれに強い不穏さのようなものを感じつつ、無難な言葉を頭の中で選んで口にする私。

 とはいえ、実際のところ、ラファエル・セルージュという人物が相当有能であることは事実だ。

 折衝の中で様々な事柄について打ち合わせていく中で、彼の鋭い才覚に一端ではあるが触れることが出来ていた。

 まあ、飛び抜けて有能でなければこの年齢で宰相に就任することなどまず不可能であるのでそれは当然なのだが、とはいえこれ程の人物が宰相であるのならばこの国は安泰だろう。


 そんな私の返答に対し、彼はそれ以上言葉を返さなかった。

 必然、室内に広がることとなるどこか気まずさを内包した沈黙。

 それを振り払うように、私は机上に置かれている自らの分のカップへと手を伸ばし、紅茶を口に含む。

 一国の王宮で出されるだけはあって味も香りも極上のそれを味わっていると、机の向こうでラファエルがふと立ち上がった。

 もちろん、私の視線は自然とそちらに向かうことになる。

 私の見つめる先で、彼はドアの方に歩み寄ると、おもむろに手を伸ばして鍵を掛けた。

 軽い音を響かせながら、こちらを振り返るラファエル。


「私達がいることが分かっているこの部屋に、呼ばれもせずに来る者などいない。それは貴女もよく理解されていると思いますが」


 そう言って、彼は扉から手を離すとこちらへとゆっくりと歩み寄ってくる。

 警戒からか一歩足が進められる度に自然と強張っていく身体。


「―――誰にも邪魔されぬうちに、貴女の仮面を壊してしまいましょうか」

「セ、セルージュ様……っ!」


 すぐ目の前で立ち止まった彼は、そのまま右手で私の顎に触れて指先で持ち上げると、自らも軽く身体を曲げた。

 すると、必然的に彼我の顔が至近距離で向かい合う形となる。

 僅かな距離の先には先程の微笑を浮かべたままのラファエルの整った顔立ち。

 いきなりのことに戸惑うなという方が無理だ。

 思考は激しく混乱しつつも、羞恥に体温と鼓動とが激しく高まっていくのを自分で感じる。


「ふむ、貴女はこうしたことが苦手なのですか……。欠点が見当たりませんでしたが、これはいささか意外でしたね」


 しばらく見つめ合う形になった私達だが、不意にそう口にすると彼が私から離れていく。

 それに気付き、ようやく元通りに戻る私の思考。


「まさかこのような弱点があるとは実に面白い。前言は撤回しましょう、貴女はとても面白い方だ」

「……嬉しくありませんわ」


 先程まで座っていた席に戻り、楽しげな表情でこちらを見つめる彼に対し、私は内心で強く苛立ちを覚えながらもそう伝える。

 これでは、完全にからかわれた形だ。

 苛立ちをそこに乗せつつ視線を強めて彼を睨むものの、その表情が崩れることはない。

 私は乱暴な仕草にならないように気をつけつつ、これまで身体を預けていた柔らかなソファーから立ち上がる。


「失礼致します」

「ええ、また。再び貴女が訪れる日を楽しみにしておりますよ」

「……はい。その際はよろしくお願い致します」


 もう、主な用件である細部の折衝は終わっているのだ。

 これ以上同じ部屋にいても苛立ちが強まるだけだろうと思い、私はそう告げて部屋を後にしようとする。

 すると扉に手を掛けて鍵を開けたところで後ろから声を掛けられ、振り返った私は渋々ながらも答えを返した。

 とてもよろしくしたいとは思わない気分だが、一種の社交辞令だ。

 最後に礼をすると、廊下へと出る私。

 同じ四階であっても、一つ一つの部屋が大きいためにここから私が利用している迎賓室まではそれなりの距離がある。

 部屋に戻る最中にも、先程覚えさせられた苛立ちは心の中へと残り続けていた。

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