21. 緑髪の宰相
城壁を潜り抜けた私達は、そのまま少し傾斜のある大通りを真っ直ぐに進んで王宮へと案内される。
平地にあるベルフェリート王国の王都は区画別に分かれているが、山を利用して造られているこの街は区分がもっとシンプルらしく、王宮を頂点としてそれに近い場所程、つまり高いところ程住んでいる人間の地位が高くなる傾向があるようだ。
大通りを進んでいくにつれて、そのように周囲の様相が変化していく。
そして、王宮を取り囲う城門の前へと辿り着く私達。
四角い形をしている我が国のものとは異なり、背後が険しい山であるこの城壁は真っ直ぐ横に広がっているために、城というよりもむしろ関であるというような印象を受けた。
開け放たれた門を潜ると、その先には庭園が存在している。
植生の違いによって植えられている植物の種類の多くはベルフェリート王国のそれとは異なっているが、しかし見る者の目を楽しませようという目的は変わらない。
視界に入った庭園を前にして、私は目を奪われていた。
馬車が進むにつれて窓から見える花も色とりどりに変わっていき、その度に私の心が満たされていく。
とはいえ、こちらは正使という立場でこの城を訪れている以上いつまでも見蕩れている訳にもいかない。
やがて馬車が止まると、私は開かれた馬車の扉から外に出て石畳の上に降り立つ。
「ようこそ、正使殿。我が国の庭は如何ですか?」
すると、そんな私に対し、男の声で言葉が掛けられる。
声のした方へと目線を遣ると、そこにはまるで黒曜石を思わせるような極端に暗く黒に近い緑の髪の男が立っていた。
顔つきは整っているが鋭く、一見すると冷徹という印象を受ける青年。
見たところ年齢はかなり若く、恐らくはまだ二十代半ばというところだろう。
しかしながら、その服装や後ろに何人もの従者がいる様子からして、既に彼がどこかの家の当主、それも少なくともそれなりの大貴族の当主以上の高い地位にある人物であろうことが窺い知れた。
この人物が、私の接待役なのだろうか。
「ええ、とても素晴らしかったので思わず見蕩れてしまいましたわ。私はベルフェリート王国が正使、サフィーナ・オーロヴィアです」
「私はフェーレンダール王国宰相、ラファエル・セルージュです。お見知り置きを、サフィーナ嬢」
私が微笑を浮かべつつドレスの裾を指で摘みながら膝を折ってそう名乗ると、男は流暢な礼をしてそう自らの名と地位を返す。
それを耳にして、さすがに表には出さないものの私は内心でかなり驚いていた。
昔身を以て体験したのと同じように、宰相という実質的な最高職ともなれば、そこには相当なしがらみが存在している。
故に、それに就任するとなれば当然ある程度の大貴族の合意は不可欠であり、果たして国王か彼自身かどちらが推進したのかは分からないが、それを考えればこのような若年で宰相になるというのはまさに驚くべきことであった。
例えば、ベルフェリート王国の七百年の歴史を紐解いても、ベルファンシア家によって宰相位が世襲されるようになる以前には二十代の宰相など一人として例が無いし、三十代で宰相になった者さえ過去に二人いるのみなのだ。
どう見ても二十代の半ばであろう彼が宰相位に就任していることの異常さが分かるだろう。
「私が宰相であると知れば大抵の客人は驚かれるのですが、貴女は驚かれていないようですね。……では、案内致しましょう」
どうやら、私は表情を変えることなく微笑を保ち続けることに成功したらしい。
そう口にした彼が、案内をするといって身を翻し、こちらに背を向けて王宮へと歩き出す。
「そ、そのような非礼を致す訳には」
ひとまずその背に続いた私であるが、さすがに今度は戸惑いを隠せずに彼の背に向けてそう言葉を掛ける私。
何しろ、一国の宰相がわざわざ出迎えに来た上に案内をすると言っているのだ。
通常ならば接待役の貴族が専用に任じられるはずであるし、宰相が自ら来ることなどあり得ない。
もちろん、他国の王や宰相である者が訪れた場合には宰相自ら出迎えたりすることもあるが、しかし今の私は大した地位を持たない下級貴族である。
当然正使が私であるということは事前に伝えられているし、そうであるからには当然私のこともあらかじめ調べて知っているはずなので、にもかかわらず宰相が自分で案内をすると言うのだから驚きは隠せなかった。
というよりも、こちらが同格の宰相以上の地位にいる訳ではない以上そのようなことは非礼に当たってしまうので、さすがに慌てざるを得ない。
「私がよいと言っているのだからよいのですよ。安心してついて来るといい」
だが、一度立ち止まってこちらに振り向くと、そう告げて再び彼は歩き始める。
そうまで言われてしまっては、私としてもそれ以上何も言うことは出来ない。
宰相である彼は子爵家の一員として子爵扱いである私より遥かに地位が高いし、何より元々この交渉においてはあちらの方が優位な立場にあるのだ。
どうにか説き伏せてフェーレンダール王国を動かさなくてはならない以上、現状において立場が弱いこちらとしてはこの人物の機嫌を損なう訳にはいかない。
私は、交渉の際には主な相手となるだろうラファエルという彼が果たしてどのような人物なのだろうかと考察しつつ、彼の背中を追った。
入り口を通り、王宮の中へと入る私。
足を踏み入れてすぐのそこには半ば吹き抜けのようになったホールが広がっているのだが、その様相もまた当然というべきかベルフェリート王国のそれとは異なっている。
我が国の内装は基本的に壁面には壁紙を貼り、床には絨毯を敷くことによってその下にある石を極力(書架などの役割上やむを得ない場所を除けば)見せないようになっているのに対し、ここでは意図的に美しい文様や輝きの石材が露わにされているのが目立つ。
こういった発想は、石材資源が豊富なフェーレンダール王国ならではのものなのだろう。
とはいえ意図的に目立たされているだけはあってそれは高い位置にある窓から差し込んだ陽光を反射してとても美しく、眺めて楽しむことが出来た。
そして、正面のやや右側にある巨大な階段を上って二階へと進んでいく彼と私。
階段もまた絨毯などが敷かれることなく白く輝いている石材が剥き出しとなっており、故に私が履いている踵の高い靴がそこに触れる度にこつこつという硬い音が響くこととなる。
それを自分で耳にしながらも歩を続けると、やがて二階へと到着した。
内装や、廊下に飾られている美術品こそ普段目にしているものと大きく異なっているが、どうやら部屋の配置などについては我が国とそれほど大きな違いは無いらしい。
案内をしてくれているラファエルは特に会話をする気が無いようで、依然として私の前を歩いている。
暗い緑髪をした彼はこちらに背を向けているのをいいことに不躾に観察するとそれなりの長身であり、目測ではあるが身長は百八十センチには届いているのではないだろうか。
しかしその体格は細身であり手足もすらりと細く、とても戦場で剣を振るうような人物には見えない。
宰相の地位にいる人物であるということもあり、文官気質の人物なのだろう。
更に階段を上ると三階を通り過ぎ、四階へと辿り着く。
「こちらが迎賓室です。夕食までおくつろぎください。夕食の際にはお呼び致しますので別室までご足労ください。陛下が同席を望まれておりますので」
一つの部屋の前に立ち止まったラファエルが、その扉の持ち手に触れながらこちらに振り返ると口を開き、そう告げる。
陛下、その三人称が指し示しているのは、彼が口にするからには即ちフェーレンダール王国の現国王に他ならないだろう。
外交とは言っても、別に現代の企業が行うような商談ではないのだから、わざわざ特別な席を設けて堅苦しく話し合う必要は無い。
互いに封建制の国家であるからには、殿下より正使として全権を任されている私と、フェーレンダールの国王とがいればどのような場であってもそこがそのまま交渉の席となり得るのだ。
先方が夕食を共にするという意思を示しているということは、つまりあちらはその席で交渉を行うつもりであるということだろう。
「畏まりました。楽しみにしておりますわ」
そう言葉を返すと、私は彼に礼をしてからその前を通り過ぎ、室内に足を踏み入れる。
迎賓室とはつまり、現在の私のような他国からの正式な使節が使うための客室だ。
そして、使節となるのは封建制国家においては王族や貴族に限定されるために、迎賓室を用いるのは他国の貴族であるということになる。
我が国の王宮にあるものもそうであるが、他国の貴族に対して自国の繁栄と威光を示すために、こうした部屋の内装には相当に力が注がれるのだ。
事実、部屋に足を踏み入れた私の視界に映ったものもまた、実家であるオーロヴィア家では千年掛けても購入出来ないだろう上質なものばかりであった。
それこそ地球であれば一軒家が建つのではないかという程の広大な室内や、十人が並んで横たわったとしてもまだ十分以上に余裕があるだろう巨大なベッドにも目を奪われるが、特筆すべきは壁際に置かれている箪笥であろう。
部屋の広さの割にそれ程大きいという訳でもないその箪笥は石で作られており、それだけでもベルフェリート王国で生まれ育った私にとっては珍しいのだが、しかし最も驚くべき点はそれが一点の染みも無く純白であるということである。
無論、白く色を塗ったり柔らかな石を使っている訳ではなく、模様の無い石材だけを選び出した上でそれを丁寧に削ったりして作り上げたのだろう。
染みの無い純白の石材、それも一定以上の大きさを持ったものなどそうそうあるものではないことくらいは容易に想像出来る。
そのことを思えば、この箪笥がただ美しい以上にどれ程貴重なものなのかが理解出来た。
とはいえ、この場にはまだラファエルがいるからにはいつまでも見蕩れている訳にもいかない。
まだ交渉が始まってさえいないのだから、その相手に隙を見せる訳にはいかないのだ。
私が緑髪の男の方を振り向くと、彼は無表情で目を少し細めながらこちらを見つめていた。
どちらも口を開くことなく、束の間続く沈黙。
しかし数瞬程の後、沈黙を終わらせたのは彼だった。
「こちらが部屋の鍵です。それと、夕食には私も同席させていただきますので」
彼は纏っている黒い服の胸ポケットから鍵を取り出すとこちらに手渡し、続いて依然として無表情のままでそう告げる。
交渉の場となるだろう夕食に、宰相である彼も同席するというのは当然だろう。
「では、また後程」
すべきことを全て済ませると、そのまま挨拶をすると立ち去っていくラファエル。
そんな彼に対し同じように言葉を返し、私は扉を閉めて部屋へと入った。




