18. 緻密
日が昇っている間は街道を進み、完全に暮れて世界が闇に包まれると夜営をする。
それが通常の行軍というものであるが、しかし私が代表を務めるこの一行に限っては違っていた。
そもそも、こちら側の支配下にあるのは主に南部地域に限られており、そこから北にしばらく進むと現宰相側の支配地域となっているし、辺境伯家の領地を除いたこの国の東部の大半はラーゼリアの軍勢に占領されている。
そのどちらもが私達にとっては敵であり、しかも目的地はレールシェリエから見れば遥か北東の方向に当たる。
つまり、馬車であるためにそう速度を出せない私達は敵地の只中を進み続けることとなるのだ。
敵からの攻撃を受けた際に備えて護衛として第三騎士団の一万が同行しているとはいえ、もし数倍の軍勢と遭遇した場合に普段であれば難なく撃破することが出来るであろうが、何かを護りながらでは戦い方も通常とは変わってくるので、いくら彼らであってもこの場合は足手纏いでしかない私達を護りながら戦うとなると苦しい状況に追い込まれる可能性がある。
故に私達は、昼間はなるべく遭遇の危険が少ないだろう場所で休息し、夜に街道を進むという態勢を取っていた。
デメリットとしては空が明るい中では当然通常より発見される可能性が大きくなるために完全に姿を隠せる場所を発見するのは難しいことであるが、しかし逆に言えばこちらも万が一狙われた際に敵の存在を発見しやすくなるというメリットもある。
元々官吏として各地を移動する小貴族や学園に入学する子女などの護衛を任務の一つとしている第三騎士団は謂わばその道のプロフェッショナルであり、そのためにもしも休息中に奇襲を受けたとしても素早く対処して護衛対象を護れるように訓練されていた。
なので、休息の際には安心して休むことが出来ていた。
行軍するのは日が落ちてからということになっているが、人間が用いることが出来る光源が炎のみであるこの世界においては、夜になると大都市の街中ならばともかく街道の視界はかなり狭くなる。
周囲を照らしているのは星と月の明かりのみであるのだからそれも当然だろう。
そんな中で夜間行軍を行うからには、不意の敵との遭遇を避けるために十分な索敵を行う必要がある。
敵地を進むことはあらかじめ分かりきっていたので、私はカルロの配下の密偵を何人か連れてきており、彼らに索敵を担当してもらっていた。
日中に身を隠す場所を探すのも彼らの役割だ。
そして、敵影が無ければただ進むだけであるが、もし発見したという報告がもたらされた場合には私は騎士団長と話し合い、現在地や敵の数を考慮しながら避けるべきか強行突破すべきかなどを決定することになる。
基本的には、道中においてはその繰り返しであった。
さすがにずっと戦いを避ける訳にもいかず、時折小規模な敵部隊と交戦しながらも北東の方向へと進み続けると、やがて味方である辺境伯家の領地へと辿り着く私達。
ここから北に味方の領地は無いので、無補給でフェーレンダールにまで向かうことが不可能である以上物資の補給を受けておく必要があるし、完全な敵地の中を警戒を密にしながら進んできたためにさすがの第三騎士団所属の騎士達と言えども疲れており、彼らに休息を取ってもらう必要もある。
他にも万が一ヴェルトリージュ家の私兵が苦戦していた場合には彼らを援護するという目的もあり、故に途中で辺境伯家領に立ち寄ることはあらかじめ決まっていた。
ラーゼリアの軍勢は、未だ辺境伯家への軍勢の備えとして西側に五万程の兵を置いて牽制している。
五万といえばヴェルトリージュ家の私兵の半数以下であるが、しかし同様に南側や、国境を越えてラーゼリア国内である東側にも同程度の兵力を張りつけているようなので、牽制としてはそれで十分なのだろう。
事実、辺境伯家はそれで動きをかなり封じられて積極的な攻勢に転じることが出来ずにいるのだから。
ともあれ、無事に味方の領内へと入ったことでこれまでのように身を隠しながら進む必要性が無くなり、私達は白昼堂々と行軍することが出来るようになる。
言うまでもなく、隠れることなく進めばラーゼリアとの間で臨戦態勢にあり警戒を密にしている辺境伯家の側はすぐにこちらの存在に気付く。
領地の境界線沿いに建てられ敵の侵攻を食い止めている砦の側を夜陰に紛れて通り抜けた次の日には、私達の元に彼らからの誰何の軍勢が訪れていた。
事前に訪れるという連絡はしてあるし、当然ながら味方である以上ここで偽りを述べる理由は無い。
ありのままにこちらの身分と目的を伝えると、それを伝える使者がヴェルトリージュ家の館へと向かい、私達は辺境伯からの返事が戻ってくるまで近くの街に留め置かれる。
そこで一昼夜を過ごすと、監視として留まっていた軍勢の指揮官らしい男からこちらの主張が確認されたとの連絡を受けた。
それに加えて、館からはそのことを伝える使者と共に迎えの者も来ているという。
既に到着していると言うので、挨拶をすべく私は部屋の外に出た。
貴族向けの高級宿の二階の部屋を提供されて使っていた私であるが、階段を用いて一階に下りると、突如身体に正面から軽い衝撃を受ける。
決して勢い余って倒れたりはしない程度の優しい衝撃。
何かが正面からぶつかってきたのだ。
「……久しぶり、サフィーナ」
こちらに衝撃を与えた存在が一体何であるのかを確かめるためにそちらに視線を向けると、そこには久々に見る小柄な少年の姿。
辺境伯家の嫡男であるファルトルウ・ヴェルトリージュが、やや長く伸びた灰色の前髪に隠れかけた深紫の瞳で、私の身体に抱きつくようにしたままこちらを上目遣いに見上げていた。
幼さの色濃く残る顔立ちは相変わらず無表情であり、しかし不思議な光を宿してまるで宝石のように輝く瞳と目が合うと、思わず引き込まれそうになるような錯覚に襲われる。
「お久しぶりです、ルウ。自らお出迎えいただいたことに少し驚いてしまいました」
押しも押されぬ大貴族の嫡男である彼が自ら出迎えに来たことと、間近で目の当たりにした彼の瞳の煌きとが合わさって強い戸惑いを覚えた私であるが、それを表に出さないようにしつつ私はそう言葉を返す。
彼が迎えに来たことには、どのような意味があるのだろうか。
友人だから……と納得するのではなく、たとえ親しい友人の間であってもプライベートの時以外は相手の意図を考察しなければならないのが貴族というものだ。
「少しでも早く会いたかったから。会えてよかった」
「ふふ、ありがとうございます。私も、ルウがご無事で安心致しましたわ」
そう言って、私はちょうどいい高さにある彼の頭を撫でる。
今でこそ睨み合いが続き膠着しているものの、辺境伯家はラーゼリア王国の宣戦直後にはこれまで通り西の国境沿いからと、更にレージェス侯爵領を突破して我が国の側から大きく右に回り込むようにして進んだ東側からとの双方から同時に攻撃を受け、二正面作戦を強いられていた。
それそのものは二百年前の内戦の際に当時のベルファンシア公爵がラーゼリアを動かしたことによって現実味を増したため、以来東西双方から挟撃を受けても対応出来る体制の構築が辺境伯家の防衛ドクトリンとなっており、故に二正面作戦を前提として領地の東側の境界沿いにもいくつもの砦や城が築かれてきている。
なので東西に兵を二分した上でそれを利用しつつ侵攻を食い止めていたのだが、そういった状況であれば二分したうちの片方の指揮はもちろん辺境伯本人が執るのだが、しかしもう一方の指揮は名目上であれ嫡子であるルウが執るのが通常である。
それは武門の家として名高いヴェルトリージュ家であればなおさらであり、ということはルウが前線に出るということだ。
いくら城壁に護られているとはいえ当時の攻撃は激烈であったというし、無事で何よりだった。
思わず撫でてしまったが、心地よさげな様子で瞼を閉じてされるがままになるルウ。
彼の灰色の髪は柔らかくふかふかで、とても触り心地がよかった。
目が閉じられると、髪と同じ色の長い睫毛が処女雪のように純白の肌と重なってはっきりと視認出来るようになる。
「……ん、そろそろ行こ? ヴェルトリージュ家はサフィーナを歓迎する」
「ありがとうございます。では、案内をお願いしますわ」
しばらくすると、瞼を開けたルウがこちらを見上げながらそう口にする。
そして彼は私から離れ、纏っているドレスの裾をくいと引っ張った。
布が伸びたりする心配が無い程度の弱い力のそれに導かれるように、私は彼の後に続く。
入り口の方へと向かって屋外に出ると、そこには既に軍勢が整列していた。
貴族同士の会話であるということで先程まではルウと二人きりであったのだが、その間に彼らの方は準備を整えていたらしい。
私は再び馬車に乗り込み、出立の準備を終えた一行はルウが率いてきた軍勢の後に続く。
西の境界近くにあるこの街からであれば、目的地である辺境伯家の館は東に少し進んだ場所にある。
そこを私が訪れるのは、前世も含めてこれで二度目だった。
当時も、王都から馬車に乗ってここまで来たのだったか。
その時の記憶を思い出して少し懐かしさを覚えるが、とはいえ二百年も過ぎていれば内装なども完全に様変わりしていても不思議ではない。
あらかじめ必要な補給量は計算してあるので、到着したらそれについて辺境伯と交渉しなければと思いつつ、私は馬車の僅かな揺れに身を任せた。




