16. 指先には白い花束を(1)
先日の会戦の勝利と諸侯の寝返りによって、まだそれなりの兵力は残っているとはいえ最早現宰相はこちらにとってさしたる脅威ではなくなった。
しかしながら現在のこの国は三つ巴の情勢にあり、依然として侵攻してきたラーゼリアの軍勢は大きな脅威である。
現宰相の脅威が薄れた今こそ、こちらは宿敵でもある隣国に対する手を打つべき時だろう。
私はいつかと同じように化粧をして正装のドレスを纏い、殿下へと謁見するために自室を後にする。
四階を巡回している侍女に謁見を求めて殿下の許可を得ると、私は彼が現在いるという執務室へと足を踏み入れた。
室内に入るとその場で膝を折り、礼をする私。
「本日は、お目通りをお許しいただき恐縮にございますわ」
「構わん。それで、何の用だ?」
顔を上げるように促され、私は彼に対してまずはそう挨拶をした。
執務机の前に座って書類を片付けていたらしい殿下であるが、その最中の謁見要求にもかかわらず気にした様子も見せずにそう言ってくれる。
「本日は、臣より提案したき儀が一つあり参りました」
「言ってみろ」
「王都の逆徒達の権勢は明らかに弱体化しており、最早我らの脅威ではありませんが、しかし国内にはもう一つ敵軍が存在しております。故に今後は彼らと干戈を交えることとなるでしょうが、しかし残念ながら国内が一つに纏まっていない現状でラーゼリア王国と交戦することは決して得策ではないかと思われます。そこで、フェーレンダールと共闘するのがよいのではないかと愚考致しました」
殿下の許可を得て、そう以前より思い描いていた構想を奏上する私。
フェーレンダールとは隣国であるラーゼリア王国の北に存在する王国であり、我が国とは国境こそ接していないものの、しかし近隣諸国であるということで国交は存在していた。
今奏上した際に述べたように、国が二つに割れた状態でラーゼリアと全面戦争状態に突入するのはいくらなんでも無謀である。
何しろ、あちらとしては断続的に国境の向こうに軍勢を送り続けていればやがて我らが限界を迎えることとなるのだ。
そのようなことをすれば、利があるのは我らでも現宰相側でもなく隣国のみであろう。
故に、我が国と変わらない程度の大国であるフェーレンダール王国と手を結んで共闘することで、彼らの戦力を二つに分けさせようという考えである。
隣国の軍勢を敢えて招き入れるというのならばその始末法まで責任を持って考えておかなければならないということで、この構想は初めから持っていたものの実際に行うとなるともっと後になるだろうと思っていたのだが、しかし予想外に早く奏上することとなっていた。
「フェーレンダールか……。悪くはないが、動かせるか?」
「私が使節として参りますわ。必ずや説き伏せてみせましょう」
当然であるが、何かしらの理が無ければ彼らとて動かないだろう。
ラーゼリア王国とフェーレンダール王国はここ数十年程は関係が悪化しているようなのでそういった意味では然程ハードルは高くないが、とはいえ何らかの利を提示した上でそれが兵を動かすに足るものであると納得させなければならない。
自ら使者としてあちらに赴き、何としても説き伏せるつもりだ。
「どの程度の条件を考えている? 決めるのは俺だが、お前の考えを聞かせてくれ」
「原則としては、ラーゼリア領の北部及び東部全域と中央部の北半分の領有の承認、そして穀物の優先貿易権の保証を考えております。もしあちらが主張したならば中央部の南半分及びラーゼリア南部の領有までは譲歩するつもりですが、少なくとも南部の領有を求めてくることは恐らく無いでしょう。このような条件で如何でしょうか?」
私は殿下の問いに答え、考えていた条件を挙げていく。
そもそも、両国の関係が悪化したのは数十年前よりフェーレンダール王国がラーゼリアの北部地域を狙い始めたためである。
殿下は既に気付いているだろうし当然フェーレンダール側も提示されれば気付くだろうが、この条件には明示されていない前提が一つあるため、北部と東部の領有を承認することを約すれば恐らく動いてくれるはずだ。
またそれでは足りなかったとしても、彼らは様々な要因が重なったことによって不作が続いているために穀物がそう潤沢ではなく、それ故に比較的豊かなラーゼリア北部を狙い始めたという経緯があるようなのだが、故にこちらからの余剰穀物の優先的な輸出を保証すれば動かざるを得ないだろう。
元々我らからすれば輸出する余剰穀物とは国内で消費し、更に有事の際のための備えとして備蓄し、それでもなお余った穀物であるのだ。
ベルフェリート王国の貿易の利益の大半は南方貿易によってもたらされているものであるし、優先貿易権を保証したところで何の問題も無かった。
「内乱終結後まで見据えた条件か。これも軍議に出す訳にはいかんが、このような時に意見を問えるファルトルウがいないのが痛いな……。少し考えさせてくれ」
「畏まりました」
やはり暗示されている前提に気付いたようで、そう言って一人私からの奏上の検討を始める殿下。
ルウがいれば、と呟いている辺り、普段は何かと喧嘩のようなことをしている姿を見ることが多い二人であるが、何だかんだで信頼はしているようだ。
そうでなければ、そもそも共に謀略を語り合ったりはしないだろうが。
「お前に任せよう、その通りにするがいい」
数分間の静寂。
それを破ったのは殿下の声であった。
彼は、提案された内容を許可する旨を私へと伝える。
「承認いただきありがとうございます。必ずや成果を出して参りますわ」
「ああ、頼んだぞ。それから、国書はいつまでに書き上げておけばいい?」
「こちらの準備は三日程で終わりますので、それを目処にお願い致します」
殿下の名の元に外交使節としてフェーレンダール王国へと向かうことになった私であるが、あくまでも外交使節に過ぎないために交渉のためには殿下が書いた国書が必要となる。
それをいつまでに用意すればよいかを尋ねられたので、私は三日後と回答した。
当然ながら他国に赴くとなればそれなりの準備が必要であるし、それらが完了するのが三日後であると見込んでいるのだ。
「分かった。それまでに書いておこう。くれぐれも気をつけるのだぞ」
「ご心配いただき恐縮です。それでは、早速準備を始めて参りますわ。本日は執務中のところを申し訳ありませんでした」
執務中であったのだから、奏上が済めばあまり長々と邪魔をする訳にはいかない。
邪魔をする形になったことについてそう謝罪すると、彼に対して礼をした後退出する私。
廊下に出た私は、その足で自室へと向かった。
自室へと戻りカルロとクララに対してフェーレンダールへと向かうことになった旨を伝え、そのための準備を済ませておくように言うと、私はこの建物の二階にある書架へと向かう。
到着した私が入り口の扉を開いて室内に入ると、扉の軋む小さな音が静謐の中へと響き渡った。
石の壁と床が剥き出しになっているために内部の気温は低かったが、しかし現在は正装のドレスを纏っているために感じる肌寒さはそれ程でもない。
扉を閉めて歩き進むと、その度に履いている踵の高い靴が立てるこつこつという硬質な足音が石へと反響する。
さすがに王宮や王立学園のそれには及ばないとはいえ、ここレールシェリエの執政府の書架にもそれなりの数の書物が所蔵されている。
その中から現在私が探しているのは、フェーレンダール王国について書かれている書物だった。
私が彼の国について持っている知識はその大半が二百年前の時点で止まっている。
しかしながら、使節として交渉に赴くのならば最低限近年のあちらの外交方針や国内情勢などを知っていなければ話にならない。
そのために、そういった事柄について記された本に目を通しておく必要があるのだ。
なお、ここは南部であるために遠く離れている彼の国について記されている本が無い可能性も十分にあるのだが、その場合にはクララの配下の密偵達をいくらか割いて可能な限り情報を集めてもらうしかない。
ともあれ、広い書架の中に何十も並んだ本棚の間を探しながら歩いていると、やがて目当ての事柄について書かれている本を見つける。
それを棚の中から取り出し、直射日光による本の痛みを避けるために敢えて濁った硝子が嵌められている窓際へと近付き、ページを開く。
適当に何ページかを読んでみたところ、どうやらこの書物を記したのはベルフェリート王国の人間であるようで、故にそれ程詳しい記述がある訳ではなかったが、しかし逆に言えばここに書かれているのは国外にまで概要が伝わる程度には大きな出来事ばかりであるということである。
元より完璧に他国の事情に通じている外交使節などいるはずがないし、それらを知っていれば十分だろう。
ちょうど明日にはアネットが戻ってくる予定になっているし、私が不在の間の騎兵隊の指揮をユーフェルに引き継いだりもしなければならないので、読書にあまり時間を掛けることも出来ない。
私は次々にページを捲り、欠けている知識を脳裏へと刻みつけていったのだった。




