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15. その手には策謀を

 自室へと戻ると寝台に横たわって身体を休め、翌朝まで意識を眠気へと委ねた私。

 朝になり、採光窓から差し込む日差しを瞼の上に受けて目を醒ました私は、鏡を見つつ自らへと軽く化粧を施してから玄関の扉を開くと、廊下を歩いていた侍女を呼び止めて朝食の注文を告げる。

 カルロとクララの分のメニューも同時に伝えると、全てを聞き終えた彼女はこちらに礼をして食堂の方へと立ち去っていく。

 二人の分として伝えた献立は昨日の夜にあらかじめ本人に希望を尋ねておいたものなのだが、しかしクララの分に関しては無許可でそこに本来含まれていなかった野菜料理を付け加えておいた。

 そもそも、彼はそのまるで少女と見紛うような美貌とは裏腹にかなり男性的な性格や嗜好の持ち主である。

 そのために、こうでもしない限りクララは肉と主食である穀物以外の食べ物を決して口にしないのだ。

 この街に来てから一度魚料理を食べさせてみたこともあるが、どうやら魚も苦手らしく、最近も依然として肉料理ばかりを食している。

 あまり偏食なのもどうかと思い、さすがに毎日では可哀想なので数日に一度彼の食事にこうして野菜を混ぜるようにしているのだ。

 元々は貧しい裏通りで生まれ育っているためか、彼はどんなに嫌いなものであっても自分の前に出された料理は絶対に残さず、ひどく嫌そうな顔をしながらでも全てを食べきる。

 野菜に関してはそこまで嫌そうでもないのでこうして混ぜている(どうしても駄目なようならばそれこそサプリメントでも作るつもりだった)ものの、以前試しに魚料理を出してみた際などは口に合わないそれを見るからに嫌々食べている様子があまりにも可哀想だったので、思わず皿を取り上げて代わりに私が食べた程だ。

 魚料理に縁の無かった彼にとってはそれを好きな人間がいることが信じられなかったのだろう、美味しくそれを食べる私を見て妙な表情をしていたのが記憶に残っている。


 しばらくして厨房から運ばれてきた朝食(元々そう量は入らないし朝なので軽いパンとスープ程度だ)を完食すると、物思いに耽る私。

 彼女に命じていた役割が全て果たされたので、数日後には戻ると私付きの侍女であるアネットからの手紙が届いている。

 労いの意味も籠めて何かしようと思っているのだが、何がよいだろうか。

 そのようなことを考えていると、ふと廊下へと続く扉が叩かれる音が聞こえる。

 誰かが訪れたらしい。

 普段であればアネットが応対するところであるが、まだ彼女は不在であるため代わりにカルロが応対に出る。

 少しして私の部屋へと入ってきたカルロによると、相手は第二王子からの使者であるという。

 昨日騎士団長が予告していた相手だ。

 王族からの使者をあまり長く待たせる訳にはいかないので応対に出ると、使者である男は私に対して第二王子が会いたがっているとの旨を伝えてくる。

 四階にある彼の居室にすぐにでも来てほしいとのことだったので、私は一度室内に戻ると普段着から正装のドレスへと着替え、それが終わると靴を履いて廊下へと出た。

 そして使者の男の背に続く形で廊下を歩くのだが、その道中では他の貴族達やその使用人達の姿を普段以上に頻繁に目にする。

 それは、先日の戦いの際に八万もの軍勢が新たにこちら側に加わったことによるものであった。

 兵数が八万にも達する程の人数の諸侯ともなれば、その数は十人や二十人どころではない。

 五十人を優に超える数の貴族が一挙に新しく滞在し始めたことによって、当初は空室が多かった三階も随分と賑わってきている。

 とはいえ、南部地域の中心地であるこの街の執政府は元々相当数の貴族が滞在しても問題がないように設計しているために、部屋が満室になってしまう恐れとは未だに無縁であった。

 何しろ、大小合わせて広大なこの国に存在する貴族家の数は千や二千を遥かに上回っている。

 数年がかりでそれのためだけに計画を練って予定を合わせでもしない限りはその全てが一箇所に集まることは絶対にあり得ないとはいえ、例えば万が一南方諸国との戦端が開かれた場合はここレールシェリエに近隣の諸侯が私兵と共に集まることになる可能性も十分に考えられるのだ。

 ベルファンシア公爵家やヴェルトリージュ辺境伯家のように中には十万を超える数の私兵を抱えている家もあるとはいえ、当然ながら全体数で見れば私兵が百人に満たないような小貴族が大半である。

 故に、収容可能な数が百や二百程度であると王家が動員を掛けて諸侯の軍勢を集めることが困難になってしまう。

 仮にこの街に籠城するとなった際も同様だ。

 そのため、私の現在地であるレールシェリエの執政府の三階には千室近くもの客間が用意されていた。

 これが王都の中心に存在する宮殿ともなれば更に規模が大きく、優に二千室は超えているだろう。

 すれ違う貴族に対して挨拶をしたりされたりしながら長い廊下に敷き詰められた絨毯の上を歩いていると、やがて上の階へと続く階段へと辿り着き、私はそれを一段一段上っていく。

 四階に着くと王族を除けば居住スペースではなく実務的な部屋が並んでいるので諸侯とすれ違うことは無くなったが、しかし相変わらず巡回の侍女の姿は時折視界に入る。

 南側の階段から上ってきた私がしばらく廊下を進んでいくと、やがて第二王子が居室として使っているという部屋の前へと到着した。

 使者の男によって扉が開かれると、私はカルロを入り口のところで待たせて室内へと足を踏み入れる。

 一度面識があるとはいえそれは第二王子がまだ幼い頃のことであったので向こうは私のことを覚えていないだろうし、成長に伴って彼が現在どのような人物となっているかは私には分からない。

 少し緊張しつつも入室した私は、背後で扉が閉まる音を聞きつつ奥の椅子に座っている小柄な少年へと礼をする。


「面を上げよ」


 いつか、初対面の際に彼が口にしたのと同じ言葉。

 しかしながら、全く同じ発音と意味のそれに幼さのみを感じた当時とは大きく違う響きを、現在掛けられた言葉からは感じられた。

 あれから何年もの時間が過ぎ、まだ数歳であった彼が大きくなっていることを考えればそれも当然だろう。

 言われた通りに、私は膝を折って礼をして絨毯を見つめていた頭を上げた。

 すると、必然的に第二王子の方向を見ることになる。

 身長は私より十センチ程低く、およそルウと変わらないくらいだろうか。

 視界に映る彼の髪はミルクティーブラウンと形容するのが最も近いような色合いであり、整いながらも幼さを非常に強く残した容貌を見る限りでは実の兄である殿下の面影は全く見受けられないが、しかし同じ薄茶色をした瞳が二人が兄弟であることを雄弁に物語っていた。


「よく来てくれた、サフィーナ。茶を出すからそこに座るといい」


 そう言うと紐を引いて侍女を呼び出し、茶の用意を命じる第二王子。

 それに従って私は立ち上がり、彼の正面の席に腰を下ろす。

 茶が来るまでは話題を出す気が無いようで、背筋を真っ直ぐに伸ばしながら彼は膝の上に手を置いて座っていた。

 やがて準備を終えた侍女によって円卓の上に茶器と茶菓子が乗った皿が並べられ、カップの中に穏やかな香りを立てる紅茶が注がれる。

 一連の作業を終えると、礼をした彼女は室内を後にした。


「久々だね、前に会った時のことはよく覚えてないけれど」


 すると、それを見計らったように第二王子は口を開く。

 彼は覚えていないと言うが、当時の年齢を考えればそれも無理はないだろう。

 しかも当時の彼にとっては私は単なる辺境伯家に行く途上でたまたま一泊した小貴族の家の息女でしかないのだ。

 むしろ覚えていない方が自然だろう。


「こうして再び殿下に謁見致せましたこと、非常に光栄ですわ。して、本日は臣にいかなるご用でありましょう?」

「ううん、何か用があった訳じゃない。兄さんからサフィーナのことを聞いて、会ってみたくなったんだ」


 会いたがっているとは聞いていたが理由に関しては思い当たる節が無かったので尋ねてみると、そうした答えが返ってくる。

 ここまでの会話で私が彼から受けた印象は、一言で表現するならば歳相応の少年であるということだった。

 言葉遣いなどは当然王族のそれであるし、会話の端々からは年齢から期待される水準をはるかに上回る知性を窺うことが出来たが、しかし性格や気性といった方向では年齢相応の無邪気さなどがそれなりに前面に出ているように思われる。

 もちろん王族であれば第二王子の年齢であっても既にある程度の教育を受けているだろうし、殿下や父の評を聞く限りでは頭脳という面においてかなり聡明な人物ではあるようであり、実際に直接会話を交わした私もその通りの印象を受けたものの、しかし人格という面においてはおよそ歳相応だろうというのが感想だった。

 まあ、まだ顔を合わせたばかりであり二言三言言葉を交わした程度であるので、それが正しいのか的外れなのかは分からないが。

 その後は、彼から私に関してのことをいろいろと質問される。

 私についてと言ってもその内容は他愛の無いものばかりであり、例えば好きな食べ物はとか好きな楽曲はなど、そういったものだ。

 それに答えたり紅茶を飲んだりしながら会話を続けていると、不意にノック無しに入り口の扉が開かれ、廊下から燃え盛るようなローズブラウンの髪をしたこの国の王太子が姿を現す。


「どうなされたのですか? 兄さん」

「……猫を被るのはやめろ、フェリオ」


 不思議そうに首を傾げながら第二王子がそう尋ねると、殿下は何故か少し嫌そうな顔をしてそう言葉を返した。

 部外者である私には身内同士である二人の会話の意味がよく分からず、今度はこちらが首を傾げることとなる。


「あはは、ごめんね、兄上。せっかくだしサフィーナを口説いちゃおうかと思ってたらいきなり兄上が来るんだもん、何の用かと思ってさ」


 だが、その疑問に答えるように突如として第二王子の口調が一変する。

 単純に音として抜き出してみた場合そう変わらないが、しかし口調などの要素から感じられる言葉の雰囲気は先程までとは豹変と表現しても過言ではない程に大きく変化していた。

 彼の言葉の中からは先程まで強く現れていた幼さが痕跡すら残さずに消え失せ、代わりにこれまで垣間見えていたものよりも更に強い知性の輝きと、一歩退いた場所から全てを見下すような冷たさが姿を見せる。

 その変貌ぶりたるやまさしく豹変という言葉がぴったりであり、さすがに戸惑いを覚えてしまう。


「サフィーナは俺のものだ、お前には渡さん」

「安心してよ、まだ口説いてないからさ」

「当たり前だ」


 そして、軽く口論のように言葉を交わし始める二人。

 正直なところ、私としては話の流れについていけない。

 相手が二人とも王族であるために臣下の身であるこちらとしては迂闊に口を挟む訳にもいかないので、黙って会話の行方を見守る私。


「残念だけど、兄上が怒ってるから今日はこれくらいにしておこうか。でも、兄上お気に入りのサフィーナがどんな人間なのか確かめられたのは楽しかったな」


 しばらく会話を続けた後、こちらにそう言って茶席の終わりを告げる第二王子。

 何がどうなっているのかといった感じで戸惑いを覚えつつも、終了を告げられたからには場を後にするしかない。

 二人に対して礼をしつつ私は部屋を退出し、釈然としない気分で自室へと向かったのだった。

 ……部屋に残っているあの二人は大丈夫だろうか。

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