ex.8 もう一人の王子(2)
オーロヴィア家令嬢のサフィーナ・オーロヴィアの軍勢と交戦してから数日が過ぎ、第三騎士団の団長を務めるベリード・クラスティリオンは王都へと帰還する。
そして、王宮にてこの国の第二王子であるアルフェリオ・レストリージュと非公式に謁見していた。
開かれた扉から室内に足を踏み入れた騎士団長は、その場で膝を折り、貴族のそれとは異なる騎士式の礼をする。
その際に、彼の透き通るように長い銀髪の髪がそっと背中側へと流れた。
「お帰り、リート卿。首尾はどうだった?」
扉が閉ざされると、椅子に腰を下ろしている至尊の座へと昇る資格を持った少年が入室した銀髪の男に対してそう尋ねた。
彼の幼くも整った顔立ちの上には、ひどく楽しげな笑みが浮かんでいる。
「申し訳ありません、勝利を収めることは叶いませんでした」
「別に良いよ、単なる余興みたいなものだし。それより、経緯をもっと詳しく聞かせてよ」
サフィーナの率いる第一王子側の軍勢との交戦において勝利を収められなかったことについて、謝罪の言葉を口にする長身の男。
しかし、第二王子はそれに対し怒る様子一つなく頷くと、詳細の説明を促す。
それに対し、騎士団長は指揮を執った者としての視点から、自らの私見を交えつつ戦場においてのあらましを説明していく。
「……以上です。引き分けという体裁ながら、こちらは大きく押し込まれており、私の動きを封じられた場合の備えが十分でなかった以上私としては敗北同然であると考えております」
帰還するまでの経緯を口頭で語り終えた彼は、最後にそう私見を付け加えると報告を終える。
これまで剣での立会いにおいて敗北はおろか引き分けの経験さえ一度も無く、第三騎士団について自ら鍛え上げた精鋭であるという自負を持っていた騎士団長にとっては、自身と互角の剣の腕の持ち主に動きを止められた挙げ句にその隙を狙って押し込まれた此度の戦いは敗北に等しかった。
「それは仕方ないんじゃない? 余もリート卿と互角に戦える化け物なんて兄上くらいだと思ってたし。それにしても、まさかリート卿の軍勢と正面からぶつかって押し込むなんて思ってもみなかったな。せいぜい善戦をすれば十分だと思ってたんだけど」
今後予想され得る展開をある程度予想し見通していた少年が、しかしそれに反する結果になったことに対して驚きの言葉を口にする。
これまでの実績からサフィーナのことをそれなりに評価している彼であったが、しかし寄せ集めの軍勢に第三騎士団が撃破されるとは思ってもいなかったのだ。
回転を続ける少年の頭脳の中で、彼より三歳年上である金髪の少女の評価が上方修正される。
「リート卿と互角に戦ったっていうその侍従も凄いけど、第三騎士団を撃退しちゃうサフィーナも凄いよね。まさかここまでとは僕も思ってなかったし、サフィーナも、サフィーナを臣従させてる兄上も文句なしの合格かな。もし兄上が駄目そうなら余が王になるつもりだったけど、これなら国を任せても大丈夫そうだね」
まるで独り言のように、しかし傍らで跪いている騎士団長に聞こえるような声量でそう呟く彼。
二人以外には誰も存在しない室内には静謐が広がっている。
戦場ではないので第三騎士団長としての礼服を身に纏ったすらりと細く長身の男は、黙って無音の室内に響く少年の言葉を聞いていた。
「それじゃ、リート卿はヴィアドラ卿にルヴジェントへと余の親征を行うことを進言しておいて。余が言う訳にもいかないから。編成はヴィアドラ卿の軍勢が十万で卿寄りの諸侯の軍勢が五万、それから余が集めた諸侯と第一、第三騎士団ってところかな。本当はもうちょっとベルファンシア家の私兵を引っ張り出したいけど、ラーゼリアの軍がいるからあまりやり過ぎる訳にもいかないし、これが限界だろうね」
続いて少年は、騎士団長に対してそう指示をする。
現在ベルファンシア公爵と並んでこちら側の陣営の動きを間接的に先導しているのは第二王子である彼であり、その内容を公爵へと伝えているのが銀髪の男であった。
そもそも公爵が第二王子を国王へと擁立しようとしているのはこれまで通り王を傀儡とするためであり、依然として王都の実質的な支配権がその手にある限りは彼は表立って逆らうことは出来ない。
故に彼は油断を誘うために使えると見做される程度の聡明さは見せながらも野心の無い振りをして公爵とその派閥の人間達を欺く必要があり、その幼い表情の奥に隠された本当の彼を知っているのは限られた人間だけであった。
なので第二王子自身が直接自らの発案した策を公爵へと伝える訳にはいかず、騎士団長を通して彼の口から伝えさせているのだ。
十六歳という若年ながら精鋭として知られる第三騎士団の団長を務めている男は二百年前のクーデターの際に活躍し、それ以来代々の宰相の側近として最も近しい家となっているクラスティリオン伯爵家の次男であり、また開戦初期に王都が奇襲された際には僅か六千の兵力で二万一千の軍勢を撃破しているために現宰相からの信頼がかなり厚かった。
しかも、それに加えて高潔な人格の持ち主であり忠義に非常に厚いことで有名な彼ならば、頻繁に第二王子と面会していても不審に思われることはない。
そのため、少年が自らの代理人とするにはうってつけの立場を持った存在であったのだ。
「畏まりました。確かに伝えて参ります」
「うん、お願いね。それと、場所はリート卿に任せるから、近いうちにどこかでラーゼリアの軍勢と会戦して思いっきり撃破しちゃって。奇襲みたいな感じだったから混乱してる間に押し込まれるのは仕方ないけど、余の予想以上にヴィアドラ卿達が無能だったからこれ以上放っておくと彼らが勝っちゃうからね。まったく、ヴィアドラ卿とラーゼリアが交渉してるって最初にリート卿から聞いた時は呆れたよ。それで、結局こうやって敵を呼び込むことに繋がってるんだから頭が悪いよね。でも、これもいい薬になるんじゃないかな。……ふふ、ヴィアドラ卿に次なんて無いけど」
くすくすと顔と年齢に似合わない笑みを浮かべながら、普段は信頼するごく限られた者の前でしか出さないような、辛辣な内容の言葉を次々と放つ第二王子。
それと共に、彼は騎士団長に対してラーゼリア王国の軍勢を撃破するように命じる。
現在もラーゼリア軍の攻勢は続いており、国土の東部を突破して中央部への侵入を許す程に押し込まれているため、どこかでその進撃を止める必要があったのだ。
信念と考えに基いて自らもまた独自に動いていた彼にとって、隣国の軍勢の存在は極めて大きな厄介事だった。
「とりあえず先にラーゼリアの軍を撃破して、戻ったらヴィアドラ卿にさっきの話を伝えておいて。戦略的な意義を説明すれば、まず断らないだろうしね」
「仰せのままに。必ずや我が国を脅かす軍勢を撃破致します」
「頼りにしてる。本当は出奔したかっただろうに引き止めちゃったけど、それももう少しだよ。……ああ、もちろんリート卿の家族のことはちゃんと兄上に話しておくから安心してね」
「殿下の御身をお護りするのが私の責務であると考えております。そして、殿下の深きお心に感謝を」
不意に二人はそんな会話を交わす。
そもそも、騎士として王家に忠誠を誓う高潔な人格の持ち主である男が王家に矛先を向けているベルファンシア公爵に従う形で王都に留まっているのには理由があった。
それは、第一王子であり王太子であるレオーネ・レストリージュと並ぶ王位継承権の持ち主である第二王子のアルフェリオ・レストリージュがいるためである。
もし第一王子が敗れたとしても、残された第二王子の力となれるよう、彼は自らも南部地域へと出奔して剣を振るいたいという心を押し殺しながらこの街に留まっていたのだ。
それに報いる形で、少年は男の家族であるクラスティリオン伯爵家について兄である第一王子へと取り成すことを約束していた。
「余からの話はこれくらいかな。下がっていいよ」
全ての指示と連絡事項を伝え終え、少年がそう告げると、男は再び美しい礼をして室内を退出していく。
扉が閉まると、彼は自室に一人残される。
「サフィーナ・オーロヴィアってどんな人間なんだろ。あはは、会うのが楽しみだなあ」
一人になった少年は、壁から掛けられたお気に入りの絵を眺めながらそう呟く。
その脳裏には、まだ幼い頃に目にした少女のぼんやりとした記憶が浮かべられる。
そうして、彼の暗躍もあって事態は大きく動き始めることとなった。




